空虚な器


 仮に明日が来ないとしても、俺だけはループの外側に居る。それはきっと俺が特別だからではなく、メアリがお目こぼしをしているからだ。月喰さんと出会った時に嫌という程思い知っただろう。人ならざる超常の力を持った存在に、普通の人間は太刀打ち出来ない。人間が理屈をつけなければ生きていけない存在である限り、足元にも届かないだろう。

 科学じゃアイツを倒せない。

 舌戦を仕掛けても負けるのは俺だ。あいつは都合の悪い言葉を全て無視する。純粋に会話が噛み合わない。聞く気が無い。あれだけ見てもメアリの事は大いなる馬鹿であると断じても良かったが、今考えると彼女は『決められる』事が嫌いだからあんな歪な反撃をしてきたのかもしれない。俺は『完璧』なぞ求めちゃいないが、肝心な部分がすり替わって行動だけがトラウマになるのは不思議な話ではない。

 肉弾戦を仕掛けても、億に一つの勝ち目すら無い。喧嘩した所など見た事ないが、絶対的に強いのは分かる。理屈じゃ説明出来ないが、論理的に考えれば強いに決まっている。だってアイツは完璧なのだから。

 心理戦は論外だ。

 如何なる方法を用いてもメアリに勝てない。だが勝たなければならない。そう遠くない内に世界が支配される。ツイーターという便利な機能に手を出してくれたお蔭で、俺も彼女の影響度を細かくチェック出来る様になった。

「…………全然食い止められてねえな」

 フォロワーの話ではない。どうやら複数の県の知事をメアリに任せようという動きが出てきているらしい。市長兼県知事なのか、それとも単純なグレードアップとして県知事なのか俺には分からないが……いずれにせよ、確実に侵食されている。ツイーターには否定的な声など一つも見当たらない。『メアリ 死ね』と検索してもそんなものは無いと一蹴されてしまう。分かっていたのだが、改めて突きつけられるとダメージが大きい。

 ループしている限りはメアリの地球侵略も進まないだろうが、俺の行動はどうやら全てが無意味に終わっているらしい。少しでも食い止められているなら、こんな事にはなっていない筈だ。

『…………ん?』

 黄泉平山へ向かう途中、珍しい人物を見かけた。つかさ先生だ。彼が医院の外に出た所を俺は見た事が無い。『月祭り』には行ったらしいが、それも見たというよりは人づてに聞いただけだ。

「つかさ先生ッ!」

 ループについて相談しても仕方がないが、進捗報告は大事だと思う。数少ない智慧人なのだ、情報は共有するに越した事は無い。まだ日も暮れていないというのに、珍しく人通りは少なく、のどかというよりはかえって不自然だが、お蔭で俺の声は問題なく彼に届いた。

「ん? ああ檜木君。久しぶり……ではないな。こんな所で会うのは初めてかい?」

「そうですね。何してるんですか? 買い物?」

「してるというよりは向かってる途中だったんだが、君は気にしない方が良いだろう。世の中には知らない方が良い事もある。特に僕との距離感は気を付けた方が良い。自分で警告してやるのもおかしいが、犯罪者だからね」

 積極的安楽死はこの国では認められていない。それを行う梧医院は違法な運営をしている施設であり、警察組織がその気になるか、俺がチクれば直ぐにでも検挙されてしまうだろう。メアリのせいで腑抜けと化した警察組織、俺との協力体制等、現在の状況は彼にとって非常に都合の良いものがある。

「肝に銘じておきます。所で幸音さんとはその後どうなんですか?」

「幸音君? その後と言われても特に変化はないが」

 そうか、変化はないか。

 彼女がつかささんの事が好きなのは明白で、気づいていないのはつかささん本人だけだ。月祭りに限った話ではないが、祭事というものは異性に対する防御を和らげてしまう。何か進展があれば個人的に嬉しかったが、早々進まないか。

「そうですか……」

「変な奴だな、君は。……タイミングも良いし、君に一つ伝えておこうかな」

「え? タイミング?」



「……良かったら、君の家で幸音君を預かってくれないか?」



 思いもしなかった提案に、俺は何と反応して良いか困惑した。彼の性分を考えると『メアリを殺すけど良いよね?』とかそういう確認かなあなんて考えていたのだが。嬉しくも悲しくも無いし、迷惑でも無ければ歓迎する道理もない。

 提案に困惑し、発言を理解した上で更に困惑した。どんな表情をすれば良いのだろう。

「え、え、え? 急にどうしたんですか?」

「突然の申し出だったよね。すまない。何も今すぐ決断しろとは言わないよ。君にもやる事があるだろうからね。でもどうか、頼まれてくれないだろうか」

「……俺は構いませんけど。本人が嫌がるんじゃないですかね」

「だとしても、預かってほしい。僕は近い内にとても危険な事をするつもりだ。今まで彼女を守ってきたのは確かに僕だが、今度ばかりは巻き込みかねない」

「何をするつもりなんですか?」

「それを言ったら君は間違いなく止めるだろう? 止められても僕はやるが、出来れば穏便に済ませたい。そうだな……一週間待つから、考えてくれないか?」

「……」

 一週間とはまた随分間を持たせてくれる。急ぎの用事ならメアリを後回しにしてでも考えたが、ここはつかささんの優しさに甘えて今は忘れておこう。ループ脱出が最優先だ。

「分かりました。それじゃあ俺、命様に会いに行くんで」

「そうか。では息災で」

 つかささんは口を固く結びながら、両手をポケットに突っ込んだ。















 たかだかメアリの家に二度行く羽目になっただけなのに、このストレス。黄泉平山に足を踏み入れた俺を包み込んだのは、それにも勝る安心感だった。くどいがここは自殺の名所。俺はまだ一度も目にしていないが、探そうと思えば白骨死体の一つや二つ出て来てもおかしくない場所だ。そんな場所に安心感を覚えているのである。


 …………俺も異常者って事になるのかな。


 メアリと相対する時、決まって俺は自分が絶対的な正義であると信じて疑わない。だが他の人から見た時、俺もメアリも大概で、どちらが異常者かはどんぐりの背比べでしかないのかもしれない。

 周防メアリは見える世界の覇者であり。

 檜木創太は不可視と可視の中間を生きる男。

 客観視してみると良く分かる。どっちもどっちだ。

 しかし今更異常を嘆く程、俺も弱くはない。同じ異常者としてメアリを打倒出来るならこのままでいい。こいつにだけは世界を掌握されたくない。たとえそれが俺の身勝手でしかなく、かえって世界全体の雰囲気を悪化させるのだとしても。

 神社が視えてきた。この階段を上れば、最愛の神様がきっと俺を出迎えてくれる。ループ脱出の手がかりなど欠片も得られていないこの状況。暫くの間は確実に地獄を見るだろう。そんな俺を突き動かす活力が何処から生まれるかと言われると、それはきっと彼女の笑顔に他ならない。

 俺は彼女の笑顔が好きだ。




「おお、創太! よくぞ来たな!」




 柔らかく、全てを包み受け入れてくれる無邪気な笑顔が。

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