月に揺らぎし乙女は魔に魅入られる

「私たちはいつも通りお店を巡っていました。お祭りの様子はいつもと変わらず、盛り上がっていた様に思えます。変化があったのは……そうですね。朱色の蝶が私達の前に現れた時です」


 ……朱色の蝶ッ?


 それは俺が迷子になった……或いは月喰さんに婿として見初められる事になった原因だ。あの珍しい蝶を追わなければ迷子になる事もなかったし、『闇祭り』に迷い込む事も無かった。あの蝶が何なのかは最後まで分からなかったが、今なら分かる。恐らくは……月喰さんが婿選びに使っていた蝶だ。


迷い込んだという表現は飽くまでこちら側の視点でしかない。月喰さんからすれば招き入れた、になる。


「私もメアリ様もその蝶に魅入っておりましたが、アマラ様だけは別の何かに魅入られていました。何でもない只の小道を見て……一言。『美しい』と。その言葉を聞いた私も直ぐに小道を見ましたが、見えたのはメアリ様と同い年程度の男の子が一人。その子供に対してアマラ様が『美しい』と発言したとは、私には到底考えられません」


 その子供も、メアリの母親が『美しい』と感動した人物にも心当たりがある。最早言うまでもないだろうが―――ああ。闇祭りの主こと月喰さんだ。


 当たり前だが、あそこから脱出する方法を知らなかった俺が、当時の年齢で前回と同様に抜け出せる筈がない。とすれば、俺が抜け出すには月喰さん本人が直接俺を連れて行く必要がある。現に俺は彼女の手が離れた瞬間元のお祭りに戻れた。そして家族と再会出来た。


 メアリの母親が見てしまったのは、その一瞬。瞬き一つずれていたら目撃出来なかったであろう偶然。誰よりも美しかった者が自分より美しい者を知ってしまったのである。


「それからです。アマラ様の様子がおかしくなったのは。あれだけ溺愛していたメアリ様に暴力を振るう様になりました」


「暴力?」


 アイツの身体に古傷など見当たらなかったが、死者蘇生すら可能にする奴に古傷がどうのこうの言い出すのは無駄というものだ。どうせ治せる。科学をベースにアイツをはかっちゃいけない。


「何の意味も無く暴力を振るっていた訳ではありません。が、私には意味を感じ取れませんでした。矛盾はしていません。アマラ様はご自身が思う完璧にメアリ様を導こうとしていましたが、私にはそれが理解出来なかったというだけの話です。……話を戻します。アマラ様にとっての完璧から少しでも外れたメアリ様に、アマラ様は何度も何度も厳しい罰を与えていました」


「―――あんまり具体的には聞きたくないんですけど。具体的にはどんな?」


「拳骨で殴るなどまだ軽い方です。フォークで手を突き刺した事もあります。嫌いな食べ物を拒んだ時には熱湯に放り込んだ事もありました。メアリ様も努力していた様に思えますが、メアリ様がアマラ様の求める基準に達した事は、一度も無かったと思います。両手足を骨折しても、それでもアマラ様は許しませんでした」


「…………莢さんは、助けなかったんですか?」


「食事を抜かれた時にはまかないではありますが提供しました。肉体的・精神的苦痛からどうしても逃れたいと訴えてきた時には、どうにかアマラ様の気を引き、一時間だけでも睡眠を取らせる様にしました。ですがそれら全てをアマラ様に目撃された場合、私も只では済まなかったでしょう。実際、メアリ様は一度辱めを受けています」


 好奇心猫をも殺すと言ったってと、普段の俺なら思っているが、それだけは聞く気になれない。所詮は他人事なのにと言えばそれまでだが、身内に似た様な目に遭った人物が居ると、どうしても忌避してしまう。


 話を聞いていると、ふと疑問に思った事がある。それは思わず口を吐いて出てしまった。


「それって何歳頃の話ですか?」


「幼稚園に上がる前……月祭りの日から大体半年と言った所でしょうか」


 つまり幼稚園に通う前、か。メアリの受けた仕打ちがあまりに残酷でついつい時系列がおかしいのではと気にしたが、これなら矛盾していた方がいっそマシだったかもしれない。三歳も四歳も心身の強度は殆ど一緒だ。彼女の受けた仕打ちは、とても幼子に耐えられる代物ではない。俺も十一年間酷い目に遭い続けてきたが、それはメアリが俺にちょっかいを掛けてくるからであって、どうやってもそれが出来ない状況では、意外と平和だった。それでも一年中何かしらの被害には遭っていたが。


「アマラ様に変化が訪れるにつれて、メアリ様も段々とおかしくなっていきました。具体的には……いいえ。これは気のせいかもしれません。ですが、表情は確実に減っていきました。アマラ様が居ない時でさえも一日中私室でボーっと何かを眺め続けている時もございました。使用人の身で大変に失礼な発言にはなりますが、どうして自殺しなかったのだろうと、不思議でなりません」


「いや、失礼じゃないと思いますよ。俺だったら自殺しますもん」


「私も同じ意見でございます」


「でもそれっておかしいですよね。日ごとに表情が乏しくなって、無気力になってったってなら、今のメアリは何ですか? 表情豊かどころか表情が持続してる時なんてないし、無気力な奴が市長になるのもおかしい。まだもう一変化ありますよね。そっちはどうなんですか?」


「……申し訳ございませんが、私もこれ以上はあまり知らないのです。只一つ言えるとしたら、メアリ様がああなってしまわれると同時に、アマラ様の不思議な魅力は全く消え去ってしまったのです」


「……同時?」


「はい。アマラ様に求婚していた殿方は忽然と姿を消し、ヨヅキ様も顔を突き合わせれば離婚を迫っておられました。メアリ様が『煩い』と発言なさるまでは―――」


 莢さんが言葉を切ったと同時に車が止まった。俺の家の前だ。この続きは明日……明日なんてやってくるのだろうか。どうもメアリの発言からすると、まだまだループをしそうな気がする。


「どうかなさいましたか?」


 莢さんが怪訝な表情を浮かべながら俺の顔を窺っている。慌てて取り繕ってはみたが、多分間に合っていない。


「ああいや、その。……明日って、来るんですかね」


「来なかったとしても、それはそれです。私にも創太様にもメアリ様を止める術はございません」


「ご安心ください。何度繰り返したとしても、私は味方でございます。少なくとも、貴方様がメアリ様の興味を引いている限りは」


 そりゃあそうだ。何か俺に期待しているらしいから、メアリの興味が俺から離れれば莢さんにも味方をする理由が無くなる。彼女は空花みたいに純粋な好意から俺と付き合っているのではなく、飽くまで可能性に期待しているから付き合っているのに過ぎない。


 ある意味でメアリに最も忠実な使用人なのだ。


 車から降りた所で、背中に声が掛かった。


「私からも一つお尋ねしてよろしいでしょうか」


「はい? 何ですか?」


「今の話を聞いても、創太様はメアリ様の事がお嫌いでしょうか」


「―――そりゃそうでしょ」


 悩むまでもない。ここで悩むのは馬鹿か、もしくは俺の人生を知らない誰かだ。この十一年間どんな目に遭ってきたかを思い出せば、むしろ嫌い以外の感情が湧いてこない。


「俺はアイツが嫌いですよ。死ぬ程嫌いです。俺に常識って奴が無かったらもうとっくにアイツを殺してますよ。悲しい過去があるからなんだって言うんです? 俺がアイツに受けた痛みは話が別な上に、段違いだ。生活を奪われ、家族を奪われ、学校を奪われ、友人を奪われ―――自分が受けた痛みだからって、相手に押し付けちゃお終いだと思いますよ。俺は筋が通ってるとか通ってないとかあんまりよく分かりませんけど…………意味分かりませんからね。俺にする意味が無い。他の誰かでも良かったのに、俺が選ばれたんです―――嫌いになるのは当然でしょう」


「……そうですか。そのお言葉が聞けたなら十分です。それではまたお会いしましょう」


「ええ。また」


 再び空を見上げる。暮れる様子はまだまだない。他の事をする余裕は十分にある。アイツに支配されない時間の、なんと流れの遅い事か。 



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