日一目



 嫌がらせは覚悟していたが、存外にメアリは物分かりが良かった……想像以上に酷かったとも言うが。とにかく恥を捨てて土下座をした甲斐あって、俺は無事に外の世界へと戻る事が出来た。


「……最悪な一日だった」


 感想はそれ以外にいない。世界中をメアリに掌握されたくないからと今まで立ち向かい、またとないチャンスと一騎打ちした結果がこの様か。全く笑えない。歴史の教科書に存在すら載らないだろう。ダサすぎるし、弱すぎる。


 俺に彼女とのタイマンは早すぎたのだ。あそこまで性格最悪で気持ち悪くて恐ろしい奴だと思ってはいたが、どうしてそれを軽々上回ってくるのだろう。猶更女性として意識出来なくなった。信じられない事に、そんなヤバい奴に絆されかけた人間が居るらしい。



 …………今日、もう疲れたな。



 理想は今から頑張って黄泉平山を上り、既に命様の庇護下に入る事だが、瞼が非常に重たい。こんな重く感じたのは久しぶりだ。錯乱と同様から無駄な動きも激しく、実時間としては少し交流しただけなのにどっと疲れてしまった。


 ……少し?


 何を言う。外はもう夕方だ。少し処じゃない。疲れて当たり前ではないか。これだけ身体に疲労が蓄積していると、頑張っても家に戻って眠るくらいしか出来ないだろう。夕食も風呂も残っているが、今日はもういい。不潔だ不健康だ言われても、この疲れさえ取れれば今日はもうどうでもいい。何もかも無気力、何もかも憂鬱。メアリにやる気を吸い取られたのだろうか。アイツならやりかねないので、ほんの冗談とも言い難い。


「……命様の胸の中で、寝たいなあ……」


 月喰さんでも悪くないかもしれない。とはいえ、精神的疲労を重ねた状態で彼女と出会うのはいささかハイリスクだ。『契り』を行使する際に、俺は対等で居られる様に努力しなければならない。でなければ忽ち彼女の『魔』に囚われてしまうだろうから。


「……茜さんが膝枕してくれたらなあ………………」


 疲れている時程欲望が丸出しになるのは俺だけだろうか。そうは言っても、遭遇する可能性があるのは茜さんくらいで、確実に呼ぶにはもっと声を張る必要がある。今は無理だ。奇跡が起きないと。


 赤く濁った空が、渦を巻いている。疲労に濁る俺の心もこんな感じなのかもしれない。空が心を映し出す鏡とは思わないが、妙な親近感も湧いてきて今は嫌いじゃない―――


 ん?



 もう夕方なのはおかしくないか?



 俺が何のために朝っぱらからアイツの家に行ったか。それはもし返り討ちにあった際に命様の所へ避難する為だ。俺がアイツの家に居た時間はどう長く見積もっても数時間。まるっきり空の色が変わってしまう程長時間居座っていたとは考えられない。


 無論、説明のつく見方はある。メアリが時間を操作出来ると仮定すればこの疑問は解消したも同然だ。問題は俺にそれを認識する方法が無い……飽くまで『鬼妖眼』は視えない存在を定義し認識する力。概念は流石に対象外だ。


 また、俺の時間感覚が狂っていたという場合もある。あんな訳の分からない部屋に居たら狂うのも無理はないので、十分に考えられる。


 何はともあれ、命様の所へ行くには時機が悪すぎる。無理をする必要はないだろう。一日がメアリ染めになってしまったのは最悪というより極悪だが、後悔先に立たずだ。失敗してしまったものは仕方ないとして、明日からまたいつも通りになればいい。そうだ、俺はアイツとタイマンで勝負出来ないと分かったのなら、今回は失敗じゃない。これを命様やつかささんに話せばもしかしたら進展があるかもしれない。


 色々と理屈を捏ねたが、要するに早く眠りたかった。この一日を早く終わらせたい。そんな気持ちばかりが俺の心を支配していた。時間という概念が俺に配慮した結果、時が早く過ぎたりなんて―――考えている内に、帰宅した。


 両親はまだ帰ってきてないらしい。



 ―――居ない方が、都合が良いっちゃいいのか。



 清華の件は……どう説明しても両親に納得させる事は出来ないだろう。俺が世界の嫌われ者であったのと同時に、彼女は両親の寵愛を一身に受けていた。その清華があんな……駄目だ、実を言えば俺も辛うじて受け止められただけで、まだ呑み込めてはいない。改めて向き合うには中々どうしてハードルが高い。


「…………お休み」


 遂に誰も居なくなった家に就寝を告げて、俺は自室に戻った。やはり風呂にだけは入った方が良いかもしれないと思ったが(余程の事情が無いと風呂は欠かさない)、ここまで疲労が溜まっていると湯船の中で気絶する恐れがある。死にたくないなら入らない方が良い。幸いにして寝るのが早ければそれに応じて起きる時間も早くなるタイプなので、今寝れば早朝に起きられるだろう。そこで風呂に入れば良い。


 久しぶりに被った布団はとても冷たかった。学校の授業で、昔の王族には添い寝係が居たとか何とか聞いた事があるが、その必要性について今なら分かる気がする。隣に空花か命様が居ればこの孤独の滲む冷たさも随分違っただろう。


 散々疲労を訴えていた身体はベッドに身を預ける以前から半分以上睡魔に侵されていたのだろう。体が横たわった瞬間、俺の意識は瞬く間に潰れた。




  













「…………ぅん。んん…………ふぅ」


 当初の目論見通り、俺が起床した。時刻は午前四時。早朝も早朝。人によってはまだ深夜というかもしれない。眠り慣れたベッドである筈なのに、不思議と寝心地が悪く感じる。命様も空花も隣に居ないからだろうか。


 居ないと言えば、夏休みが終わったら空花はこの町を出て行ってしまうのを思い出した。せっかく仲良くなれたのに―――非常に残念だ。しかし空花は俺の所有物ではない。まだまだここに残って欲しくはあるが、時間が流れている限り停滞はあり得ない。一度くらいこういう事もあるだろう。


 幸い、今はSNSと呼ばれる便利なサービスがある。会えずとも話すのは容易い。寂しがるのは時代錯誤も甚だしい…………のか?


 やっぱり寂しい。



 ―――風呂入るか。



 このまま外出するのは俺の常識が許さない。風呂に入り(余談だが湯船に浸からずとも俺は風呂に入ると言ってしまう)、歯磨きをしなければ。朝食は―――抜くのは慣れている。出されなかっただけだが。


 視界的にも寝ぼけ眼とは程遠いが、一応目を擦る。根拠は無いがこれをすると目が覚めた気がするのだ。続いて携帯を起動。個人チャットの方に未読通知が無いかを確認してから立ち上がった。


「――――――え!?」


 そのあまりにも綺麗な二度見は、目撃者さえ居れば後世まで語り継がれたに違いない。芸術的な振り返りと共に俺はもう一度携帯を起動。日付を覗き込んだ。





 日付が、変わってない。




 今日もメアリに、染められる。

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