独占有効法



 最初は目を疑った。時間が巻き戻されているなんてフィクションの中でしか起こり得ないと思っていたが、それならメアリの存在そのものもフィクションにしてくれないだろうか。アイツの存在が文字通り何でもありなせいで、あり得ないという言葉は使い処が限られる様になってしまった。


 家族からも疎外されていたせいで昨日―――要するに今日―――の番組が変わっているかどうかなどの証明手段は使えないが、それでも俺には時間が本当に巻き戻されているかどうかを確かめる術がある。もしこれで違ったのなら、メアリが携帯会社を買収……またはインターネット全体を支配して日付を書き換えたという結論になるが、それはそれで手遅れだったりする。


「…………ああ、戻ってるわ」


 これを冷静と呼ぶ人間は前後の俺の反応をよく見ていない。何故時間が戻っているのか真剣に三〇分は考え込んだ。その末に俺は炊飯器にあるご飯の残量を確認するという方法を取ったのだ。時間が戻っていればご飯は僅かなりとも減っていないし、戻ってないなら減っている。実に簡単な話だったし、ご飯は減っていなかった。


 なので俺はまだ朝食を食べていないし、メアリも俺に手料理を振舞っていないし、あの訳の分からない部屋もまだ知らない。飽くまで時系列的には。



 ―――逃げよう。



 時系列的にはまだ俺は遊びに行っていない。だが俺的には一度遊びに行ったので、今更約束を果たす道理はない。命様の所に行って甘えてこよう。時刻は五時を過ぎようかという頃で、この時間帯ならば流石にまだ起きていない筈だ。


 思い立ったが吉日。朝食は当然抜くとして、俺は直ぐに支度をした。風呂に入らない処か歯磨きもしなかったものだからそれは外せないと思ったが、ループしたのでその事実はなくなった。ああややこしい。


「忘れ物は―――無いな、よし!」


 頭を下げてまで逃げたのだから、いっそ徹底的に逃げてやる。最低限の荷物をポケットに、俺は勢いよく玄関を飛び出した。




「お待ちしておりました、檜木創太様」




 ロング丈のスカートが趣を持つクラシカルな給仕服。


 纏め上げた金髪はホワイトブリムを被る事で煌びやかな印象と同時に何処かシックな雰囲気を当人に与えている。


 それは限りなく奔放で一切の様式に則らないご主人様とは対極にあった。狙ったのだろうか。


「…………だ、誰です?」


 女性は深々と頭を下げてから、穏やかな口調で自らの身分を明かした。


「申し遅れました。私は周防家―――主にアマラ様にお仕えしている使用人の一人でございます」


「―――アマラ様?」


「メアリ様の母君と言い換えれば、ご理解いただけるでしょうか。この度はメアリ様から貴方様の送迎を仰せつかり、参上した次第にございます。失礼を承知の上でお願いいたしますが、どうかご抵抗なさらぬよう」


 アイツの母親の名前は周防アマラというのか。もしかしたら漢字かもしれないが、メアリがカタカナなので母親もカタカナだろう。多分。そんな話はどうでもよく、問題はどうしてこのタイミングでメアリの家の使用人が迎えに来たという事か、なのだが。


 彼女の背後には如何にも金持ちが乗っていそうな黒塗りの車が控えている。今のメアリは仮にも市長だから問題は無いのだが、多分市長になる前から乗っていた。


「済みません。ちょっと聞かせてもらっていいですか? どうしてアイツが―――メアリ、急に送迎なんて?」


「メアリ様の意思はわたくしには理解しかねます。しかしながら、当人同士には理解があるとメアリ様は仰っていました」


「理解ねえよ! え、何? って事は貴方も聞かされてないんですか? じゃあ何で受けたんですか?」


「理由につきましては周防家の使用人ゆえ……では不足でしょうか」


 そりゃそうか。俺も認識が甘かった。現代の使用人は昔と比較すると随分優しく、そして緩くなったが、彼女は神の寵愛を受けた女子高生こと周防メアリの家に仕えるメイドさんだ。ならば昔みたいに全面的な服従をしていても仕方がない。


 もしそうでも彼女は自主的に服従しているのだろうし、法律や倫理はそれを咎めない処か無責任な発言ばかり繰り返す部外者達でさえメアリには否定的になれないのだから、この状態が変化する事はない。


「因みに抵抗したらどうなりますか?」


「控えめに申し上げますと、創太様は地獄を味わう事になります」


 メアリを除いて、俺に女性を殴る真似は出来ない。たとえそれが使用人であっても例外はメアリだけだ。ならばと逃げた所で、果たしてこのメイドさんから逃げられるだろうか。逃げ足には自信があるが、待ち伏せを受けた時点で逃げるとう選択肢は俺の中には無い。


 ここまで距離が近いと、背を向けた瞬間に取り押さえられる未来が何となく見える。抵抗しない方が吉だろう。


「…………分かりました。文句はアイツに言うんで、案内してください」


「ご理解頂けた様で何よりです。それではこちらの車にご乗車下さい」


 そうは言いつつ、メイドさんは決して背中を見せない。隙があれば俺が間違いなく逃げると知っているみたいではないか。メアリならばいざ知らずその使用人にまで俺の思考が見透かされているとは思ってないので、多分偶然なのだが。


 あんまり棒立ちしていても怪しまれるか、強引に案内される可能性が高い。逃げる気が失せてきたのを契機に、俺は諦めて車に乗った。メイドさんが運転するのかと思いきや、運転手は運転手で別におり、当の彼女は俺の横に座ってきた。



 やっぱ逃げられねえ。



 俺の心が完全に折れた所で、車は発進した。メアリの家に着くまでどうせする事もないので、俺は隣に座るメイドさんと会話を試みる。信者は嫌いだが、この人は雰囲気が妙だ。俺に対する敵意が無いというか、嫌悪感が無いと言うか。粛々と仕事をするのは結構だが、そこに信者の性質を一切感じないのである。


「……済みません。えっと―――貴方の名前を聞いても良いですか?」


「私ですか? 私の名前は皁月莢です。創太様はどうしてその様な事を尋ねてきたのですか?」


「名前知らないと会話しづらいんですよ……道中暇なんでね。まあその、話に付き合ってくれないならそれでいいんですけど」


「いいえ、構いません。それでは何を話しましょうか」


 そうやって改めて言われると、何を話したらいいだろう。残念ながら俺の周りの女性は変人ばかりだ。空花は自分を呪っているし、命様や月喰さんはそもそも人じゃないし。メアリは糞野郎。


「…………メアリの事とか教えてもらったり出来ます?」


「メアリ様の事ですか。何を知りたいのでしょう」


「アイツ、両親を黙らせたって言ってたんですよ。それってどういう状況なんですか? ていうか両親はその事に何も言わないんですか?」


「一つずつお答えします。最初の疑問ですが、周防家ではメアリ様と創太様を除き、一切の発言権が許されておりません。それは個人の意思で破れるものではなく、たとえ自傷行為をしても声は出せません。二つ目の疑問ですが、メアリ様のご両親はメアリ様の傀儡となっております。不満など漏らす筈もありません」


 …………傀儡、か。


 両親だけが影響外なのは都合が良すぎると思っていたので、まあそうか。黙らせたというのも言葉通りだったという訳だ。


「他に何か知りたい事はございますか?」


「あ、じゃあもう一つ…………」









「莢さんはメアリの影響を受けてませんよね。それはどうしてですか?」  



  




  

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