それでも貴方は一人だけ



 …………メアリと二人きりの状況、考えてもみれば今まで一度も無かった。


 二人で行動した事は幾度となくあるが、それでも周りには第三者が居た。お祭りだってそう、あの体育祭だってそう。いつだって俺達の周りにはガヤが居た。決着を焦るあまりメアリの家に来たのはいいが全く気付いていなかった。



 俺がこの状況に慣れていないという事実に。



 結果論だが俺の思考は未熟だった。てっきり二人きりだからあの時みたいな無表情を曝け出すかと思いきや、いつものメアリしか見えてこない……いや、時々見えている気もするが、家に来てまで見たかったかと言われると、そんな事はない。学校で十分だ。


「…………ご馳走様」


「お粗末様~!」


 物凄く悔しい。メアリを視た時の嫌悪感は相変わらずだが、それは気のせいではないかと思い始めてきた。俺はコイツが死ぬ程嫌いなのに、何故ちょっとデレデレしているのだろう。正気に戻ろうにも、今も正気だ。正気を保っているつもりだ。それが自分から見てもおかしいから、俺は心内で困惑しているのだ。


 信者でも不可視の存在でも何でも良いから、どうか俺を正してくれ。


 メアリを一ミリでも可愛い奴だと思ってしまうこの憐れな男を鈍器で殴ってくれ!


 俺は月喰との契りをこんな所で行使したくない!


「洗い物終了~!」


「早ッ」


「創太との時間は無駄には出来ないもんね! 所でさ、一つ相談があるんだけどいいかな?」


 洗い物を終えたメアリはエプロンを脱ぐと、ソファで深くくつろいだ俺の横にダイブした。反発性の高いソファが大きく撓み、反動で彼女が跳ね返される。


「嫌だって言ったら?」


「ご飯作ってあげたでしょ?」


「恩着せがましい奴だな」


「どうしても聞いて欲しいもん!」


 屈託のない笑顔でそう返されると何も言えない。メアリに限らず、他人からの評価がどうなろうと知った事じゃない奴の要求は厄介だ。ありとあらゆる反論を『自分がそうしたいから』で返されるから。


 唯一対抗出来る理屈は同じ土俵で『自分は嫌だから』と言い張る事だが、メアリに借りはつくりたくないので、今回は折れないと仕方がない。


「…………まあ。そうだな。じゃあさっさと言え」


「有難うッ。そう、それでお願いなんだけど。創太に案内したい部屋があるの」


「案内したい部屋? ……お前の部屋か?」


「私の部屋には絶対に入れないよ! 女の子の秘密はそう簡単に明かされないのだ~。なんてね、大丈夫、私の部屋じゃないから警戒しないでいいよ♪」


 俺の心を見透かすかの様に、メアリが伏し目で微笑んだ。そこに命様や月喰さんに共通した妖艶さは無く、魔性の色香も感じなければ視線を合わせても心を乗っ取られない。やはりこいつは人間……だが玄関で見た現実はどう考えても人間の引き起こせる現象では―――


 …………全然分からない。


「早速だけど行こうか」


 度々俺に尋ねてくるメアリだが、基本的に選択の余地はない。それは基本的に俺だけが知っているべき情報なのだが、次第に彼女にも知られている気がしてきた。今は半ば邪推にも近い予感だが、でなければ邪推させる様な言葉をわざわざチョイス出来ないだろう。


 リビングを出た俺達を迎えたのは、赤色の壁に埋め込まれた宝石が煌びやかに光る装飾過多な玄関だった。


「ほら、こっちだよ」


 リビングで食事を楽しんでいる間に内装が変わる家……カラクリ仕掛けでもそうはならない。俺を驚かせる名目でやったにしては本人の反応が薄すぎる処か絶無だ。そしてこれは気のせいなんかではない。赤色は刺激色だから当然目に残りやすい訳で。これを見間違えていたら世の中の何もかもがまやかしでもおかしくない。


 メアリ信者が一億居る事が判明した今、そうであってほしい思いは強くなってしまったので、どうかそうであってくれ。


「ここか?」


「ううん。この部屋を抜けないと駄目なの」


 扉を過ぎると、金属光沢を持ったモノクロの壁に首吊り縄が天井から無数に下げられた部屋に出た。


「うわッ!」


 一般人代表としてこの部屋の悪趣味さには異を唱えずに居られない。キラキラしてる部屋も大概居心地が悪いが、こんな処刑場みたいな部屋よりは遥かにマシだ。刑務所の人間だってこんな部屋では一日も過ごしたくないだろう。


 首吊り縄はザッと見た限り百本以上。内二〇本は人形の頭部や腕部、脚部などが分割して吊るされ、内三〇本はハンガーが掛かっておりメイド服や浴衣、さっき着ていたエプロンや水着など様々な衣装が吊るされている。残りは空だが、どうしてこんな所で保管しているのだろう。


 足元に視線を落とす。彼女の発言通り、部屋の何処を注視しても埃一つ見当たらない。たとえ誰も使わなくたって埃は増えていくものなのに、この部屋だけは異常に綺麗だ。


「お、お、お、お………お前! この部屋…………」


 驚いているのではなく、正確にはドン引きしている。気持ち悪い以前に怖い。そして理解不能だ。こんな部屋はたとえ思いついたとしても作らせないだろう。メアリを常識ではかろうとするからおかしな事になるのだが、それにしてもこれは文句を言いたい。


「この部屋? 見れば分かるでしょ。早く行くよ」


「いやいやいやいや! いやいやいやいやいやいやいや! これの何処をどう見たら分かるんだよ!」


「気にしないで良いよ。案内したいのはここじゃないし」


「え、ええ…………」


 困惑を極めているが、しかしお蔭で少しだけ俺は本来の感情を取り戻せた気がする。そうだ、周防メアリはこうでなくてはならない。常人には理解出来ない異常者、常識的な観点から見れば紛れも無い異常者でなければならない。信じられないが、俺はこんな奴についさっきまで若干絆されかけていたらしい。


「この部屋に用はないんだから、早く立って」


「……お前さ、俺を殺そうとしてんのか?」


「創太君は殺さないよ」


 『は』?


 揚げ足取りだと言われたらそれまでだが、どうも彼女から急激に漂ってきたうさん臭さが信憑性を付加させている。これが揚げ足取りじゃない可能性も全然あるのが恐ろしいのだ。メアリには倫理観が一ミリも養われていない。こいつ自身が直接人を殺した事はないし、口先は善人を装っているものの、その実は死に何の価値も見いだせないある種のニヒリストだ。だから間接的に死人を出しても簡単に忘れられる。


 彼女にとって死とは道端の石をたまたま蹴ったに等しい行動なのだ。責任を持つとか持たないとかそういう次元ではない。そんなものは生じないと信じているのだ。一体誰が石を蹴る事に責任を感じるのだろう。石なんて誰でも蹴る。蹴るつもりが無くても足先にたまたまあるかもしれない。


 この澄まされた邪悪こそ、周防メアリ以外の何者でもない。



 やっぱこいつ嫌いだ。



「……どうしてもこの部屋説明しなきゃ駄目?」


「説明出来るもんなら説明してみろ」


「後で何度も来る事になるんだから気にしない方が良いよ」


 それこそ説明してもらいたいが、メアリは意味深な事を言ってはこちらをモヤモヤさせる癖があるので、あまり気にしない方がよさそうだ。少なくとも今は情報が足りない。


 差し出された手を払って自力で立ち上がる。メアリは軽く手首を捻るも、さして気にも留めず再び歩き始める。こんな部屋には長居出来ないので、俺も渋々後を追う。


 首吊り部屋を出た先はまた別の廊下であり、そこからまた無数の部屋に分岐している。部屋数が一〇〇を超えた家はどいつもこいつもこうなってしまうのだろうか。絶対にそんな事は無い筈で、これは単にメアリかその親が意図的に迷路にしている……と信じたい。


「本当にこの部屋全部必要なのか? 俺には無駄にしか思えないんだが」


「だって足りないもん。今もまだ足りないくらい。でも創太本人が来てくれたから、きっと足りるよね」


 相変わらずこいつは何を言ってるのか分からない。俺に教える気があるのか無いのか―――多分無いのだろう。俺をモヤモヤさせたいだけか、もしくは語彙力が壊滅的でボカす事しか出来ないのか。


 その答えは




 理解したくなかった。














 


「ここだよー。ここに貴方を案内したかったんだ」


 メアリの案内を受けて辿り着いた部屋は首吊り部屋の比ではない気持ち悪さを誇る部屋だった。彼女の狙いは分からないが、要するに嫌がらせをしたいという事だけは分かった。




「驚いた? ここはね、創太君の部屋なんだよ」

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