俺の居場所



 歩き続けてどれだけの時間が経ったのだろうか。変な異界に入ったせいで時間間隔が曖昧だ。長い時間が経過したと思っていたら、月祭りは迷い込む前の盛り上がりを変わらず見せている。


「……戻ってこれたの?」


「そうみたいだな」


 圏外も解除された。背後を振り返るも、そこは単なる人気のない道であり、もう一つのお祭りに繋がっている気配は無い。奥に見える公園にちゃんと人が見える。朱色の羽を持った蝶々が俺達の背後から人混みの方へと飛び立った。


 清華の手を離し、命様たちの居るであろう方向に歩き出す。時間が経過していないなら、まだあそこに居る筈だ。


「―――あ、兄貴!」


 呼ばれたので足を止める。約束はしっかり守るつもりだが、それでも引き留めると言う事は、何か言いたい事でもあるのだろうか。


「何だ?」


「…………兄貴はさ、どうして私を怒らないの?」


「怒る? 今は怒る理由が無い。お前はもう信者じゃないしな。だからって許した訳じゃないが……怒って欲しいのか?」


「……兄貴。だってあれ見たんでしょ。私の……嫌がらせ。聞いたよ…………人から」


「は? 嫌がらせ? 何の話だよ」


「とぼけないでよ! 兄貴への嫌がらせの為だけに私は…………兄貴のクラスメイトと…………」


「クラスメイトと…………?」




「クラスメイト全員と関係持っちゃったんだよッ?」




 本人を責めても仕方ない事だが、それは言うべきではなかった。ヤケクソ気味に放たれた真実は俺の本能が隔離していた記憶を呼び覚まし、今一度還元させてしまったのだから。むしろ何故忘れていたのかと言えば防衛本能が理由であり、それさえなければ俺はあの出来事を絶対に忘れなかっただろう。


 忘れられるものか。


「…………………………ああ。そう言えばそんな事も…………………………あったな」


「一週間良い画が取れないからって何度も何度もやり直して! それもこれも全部兄貴への嫌がらせの為なのに、どうして怒らないの! 何で兄貴は私に優しいのッ? おかしいじゃん! もっと私を嫌っても怒ってもいいじゃん! どうして何も言わないのッ」


 今まで忘れていたものを急に思い出してしまうと、感情もそれに応じて変動する。今の俺の気分は、メアリによって助け出されてから帰路に着いていた時と全く同じだ。あの時は茜さんが慰めてくれたが、今そんな人物は一人も居ない。空花も命様も公園でトイレに行った俺を待っているだろう。


「……………………………怒るとか、そういう話じゃない、だろ。お前はメアリの名前、を使われて断れなかった。それだけ。それだけで話は終わりなんだ。怒れないだろ、怒れるのか? どっちでもいい。その話、それ以上辞めてくれよ」


「……なんで、兄貴が泣いてるの?」


「泣いてねえ! …………いいから、もう行けよ。お前が無事だって分かったならもういい。言及はしない。家にも、帰れとか言わない。お祭り楽しんで、こいよ。怒ったり、しないから。もう、追わないから」


 涙を袖で拭い、俺は身を翻すと同時に言った。





「……ごめんなあ、清華。嫌われ者で情けなくて妹の事も碌に守ってやれないお兄ちゃんで」





 もう立ち止まらない。背後からどんな言葉を掛けてきても、鉄の意志で俺は公園まで戻る。もう顔は見せられない。涙なんて拭った所でまたすぐ出てくる。前からすれ違う人々は俺が滂沱の涙を流している事に疑問を覚えるだろう。


 最後に残した言葉は清華に何を思わせたのだろう。声は掛からなかった。やがて二人を繫いでいた空間に雑踏が割り込み、塞がれる。振り返っても彼女は見えない。


「…………馬鹿野郎が。どんな顔して会いに行けばいいんだよ。もうお祭り楽しめねえよ……!」


 勘違いしないで欲しいのは、祭り自体がつまらなくなったのではない。俺の気分が激烈に盛り下がっただけだ。お祭り騒ぎに沿ったテンションが、今となっては葬式をも下回るテンションで、本当にどんな顔をすればいいやら。空花や命様にまで影響が及んだら、それこそ迷惑になる。



 公園に戻ると、何故か空花が剣玉で遊んでいた。


「あー! おにーさん遅いよー! トイレすっごい長いじゃん!」


「悪い悪い。つい長くなったよ。所で何分くらい経ったんだ?」


「三十分くらいだよー。携帯があるんだから時間見てよー、もう!」


 空花は何も知らない。命様も何も知らない。俺が真実を思い出し、お祭り処のテンションではない事など絶対に分からない。しかし屋台を巡る内にいつかはボロが出るだろう。ここで少しでも気分を落ち着かせないと、いつしか下限を突破して、気づけば周囲を地獄とさえ錯覚しかねない。


「…………命様!」


「む? 何じゃ?」


 魔性の色香に自ら埋もれる様に、俺は命様の身体にダイブ。実り豊かな乳房に顔を埋めて、ベンチの上で押し倒した。二人からすればトイレから帰ってきた俺が突然積極的になったため、さしもの命様とて驚きを隠せていない。


「おお、どうしたんじゃ創太ッ? もしや妾の色香に惑わされ我慢出来なくなってしもうたかッ?」


「え、おにーさんここでエッチな事しちゃうのー? 命ちゃんって普通の人に見えないから、絶対警察呼ばれちゃうよッ!」


「フ~フフフフフ。ふふふふ~グフフフー」


「何て言ってるか分かんないんだけどー、命ちゃん分かる?」


「妾にも分からん。じゃが創太も男児じゃ、こういう事をしたい時もあろう。普段は気恥ずかしさから遠慮しているがのう。これでも妾の胸は気持ちいいのじゃぞ? お主も体験してみるか?」


「え、本当ッ? おにーさん帰ってきたらまた食べ歩きしようかなって思ってたけど予定変更! ちょっとだけ時間をずらしまーす!」


「妾の前では猛き者も赤子同然……ククク! 創太よ、心地よいか? ―――辛さが抜けるまで、いつまでも妾は待つぞ」


 空花にも聞こえないくらいの声で、命様はそう言った。何だ、最初からお見通しだったのか。これだから神様は侮れないし、命様の前では嘘を吐けない。それが分かってくるとどうだろう。次第に空元気がバカらしくなってきて。


「―――空花、悪いな」


「え?」


 命様の胸から顔を離す。俺は大きく息を吸い、腹の底から叫んだ。



「ここは俺専用の場所だからお前には譲らねえよおおおおおおおお!」



「ええええええー!」


 バカらしくなってきたので、いっそバカになろうと思った。







 
















 …………感謝するぞ、ツキバミ。


『汝と婿を取り合う羽目になるとはな。今は手を取るが、抜け駆けは許さぬぞ』


 …………それは妾の台詞じゃ。


 ベンチの後ろにとまっていた蝶々が、暗闇へと消えていく。

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