ちっと通してくだしゃんせ


 メアリに好かれている自覚はあるが、それでも逆プロポーズの経験は流石にない。何せ人生における重大な決断の一つだ。経験する人もしない人も居るだろう。しかしその多様性がプロポーズの重大性を下げている訳ではない。むしろ経験しない人が居るからこそ、プロポーズは重大な決断たり得ているのではないだろうか。

 結婚とは要するに他人の人生の一端を担う行為だ。結婚にメリットを感じないと発言する人間は担ぐ事にメリットを見いだせない人間であり、だから経験をしない。何故メリットが見いだせないかは単純明快で、他人の人生の一端を担うのはそれだけ責任が伴うからだ。無責任が常であるなら人は何でもできる。そこに責任が生じた時、多くの人は及び腰になってしまうものだ。現に信者共はメアリの居ない所では俺を虐める癖に、アイツの前だと良い子になってしまうだろう。他ならぬ自分の行動に責任を負いたくないからだ。

 …………一例もあげたが、ここまでは飽くまで自論に過ぎない。だが月喰にはその用意があるのだろう。今更責任云々で腰が引ける妖怪ではなさそうだ。

「坊。貴様は我の婿になるのだ。案ずるな。貴様に特別何かして欲しい訳ではない……強いて挙げるとするなら、貴様をここに招いた時から身体の疼きが収まらなくて仕方がない。気が狂ってしまいそうだ。ここに残り、我と肉欲の日々を送ろうぞ」

「……あ、いや。でも俺は命様と七日七晩の契りを交わさきゃいけないので……」

「七日七晩で満足する男か、貴様は?」

「現実的に考えたら一晩でも満足しますよ!」

 そもそも七日七晩に惹かれているのは字面による行為の濃厚さであって、実際に出来るかどうかは別だ。そんな体力が人類にあるかは分からない。でもしてみたい。俺を純粋に愛してくれる彼女に応えたい。

「我の婿になれば七日七晩と言わず一年中だぞ?」

「絶対体力持ちませんよ! 月喰さんはもつかもしれませんけど、俺は絶対無理です!」

「案ずるなと言った筈だ。我は今を生きる妖。人を惑わし、魅了し、時にかどわかす。この身体は魔性そのものであり、我の唾液は雄の本能を激化させる。一年程度は訳無い。また昔の様に全身を埋めても良いのだぞ?」

「その話はしないでくださいッ! 滅茶苦茶恥ずかしいんですッ」

「…………少年は昔からスケベだったんだな。私はその頃の話を知らないが、月喰がわざわざ出すくらいだ。余程思い出深い出来事だったんだろう」

「違うんですよ茜さん! あの時は月喰さんが俺を泣き止ませる為にしてくれた事で…………」

「…………兄貴」

「何でお前まで引くの!?」

 その反応は心外だが、あれのせいで柔らかいものが好きになったのは否めない。ただしメアリは例外だ。アイツの抱き心地は確かに柔らかいが、それ以上に嫌悪感が凄まじい。快感を不快感が上回る

経験は実に貴重だが、叶うなら一度として味わいたくなかった。お蔭で優しい筈の性根がアイツを前にすると外道になり果てるのだから(この場合の優しいはお人好しという意味の自虐である)。

「……とにかく、俺は月喰さんの婿にはなれませんよ。まだやり残した事もありますし」

「やり残した事……?」

 月喰さんに話した所でどうかなるとは思えないが、こういう流れになってしまったなら語るしかないだろう。語って減るものでもなし、ここは異界だからメアリの耳に届く道理も無い。俺は当面の目標を彼女に話した。

「……周防メアリなる女子が、我の婿を誑かしているのか」

「あれ、そんな話だったかなッ? 人の話聞いてます?」

「愚問だ。トコヤミにも唾を付けられていたとは、天敵ながら趣が合う……奴はこの祭りに来ているのか?」


 ―――やっぱり人の話聞いてねえぞ! この妖!


 訂正が面倒なのでツッコまない。

「あ、勿論来てますよ。元々表の方を俺と一緒に巡ってたんですけどね……この清華のせいで」

「兄貴が追って来なきゃ良かったんだよ! ていうかそんな事どうでもいいから早く帰ろうよ!」

「………………待て」

 最初こそ俺を除いた二人を『早く去ね』と邪険にしていた月喰が、今度は一転して引き留める。

「檜木創太。我と一つ契りを交わさぬか?」

「結婚は駄目ですよ?」

「今は良い。いずれは貴様から交わしてくるからな……それよりもそのメアリの行動は目に余る。我には奴の目的が見えたぞ」

「……目的ですか? え、俺にはなるようになったとしか思えないんですけど」



「奴はこの世から我々を完膚なきまでに消し去る気だ」



「は?」

 不可視の存在……月喰さんは違うが……はメアリにとって大好きなものだ。何でも出来るアイツが唯一出来ないのが『視る』事で、それは同時に俺が唯一出来る事でもある。だからアイツは俺に執着するし、不可視の存在との邂逅を夢見ている。

 そのメアリが……視えない存在を消し去ろうとしている?

 月喰さんの思考回路はどうも理解出来ない。何を考えたらそんな結論に飛躍するのだろう。

「な、何をどうしたらその結論が?」

「どんな手段で以てかは知らぬが、メアリは世界中の信仰を己へ集めるつもりだ。廃人を信者とする我はともかく、現世に在る者共はそれが達成された時消滅するだろう。客人が消えては闇祭りも寂しくなる。それだけは容認出来ぬ」

「ああ……」

 微妙に質問の答えになっていないが、思考回路は理解出来た。その発想は今の今まで及ばなかった領域であり、またも俺は感心してしまった。それもその筈、メアリを良く知るが故に俺の思考回路には暗黙の前提がある。メアリは不可視の存在が好きだとか、大胆な格好には意外と躊躇が無いとか。それによって思考の選択肢が縛られているのだから、彼女の挙げたような発想はまず出ない。

「そこで我との契りだ。交わしてみる気はあるか?」

「どんな契りですか?」

「ふん。それはな―――」

 言葉が切れた次の瞬間、瞬きする暇もなく俺の身体は引き寄せられ月喰の身体に密着した。豊かな胸に顔は全て埋まり、俺の意思とは関係なしに両手が彼女を抱きしめたが、俺の身体は着物の内側に収まっている。つまりは素肌に密着しているのだ。命様みたいな権能染みた色香で意識が希薄になる事はなかったが、命様の数倍は柔らかい胸の感触はそれだけで気絶必至だった。一方でハリは命様が……って俺は何を評価しているのだろう。

 酸欠で頭がおかしくなったのかもしれない。

「――――――だ」


 え?


「どうだ、交わしてみるか?」

 脳の理解が時々置き去られる。気が付けば茜さんの背後に戻っていたし、俺が一瞬だけ攫われたというのに二人はその事実を認識していないらしい。俺の方を気に掛ける様子はない。しかし幻覚ではないだろう。月喰はもう話した気になっているし、俺も契約内容を確かに聞いた。清華と茜さんだけ首を傾げているのは―――分からないが、もういいか。妖怪の力って事で納得しよう。契約者は俺だから、周りに聞かれたくないと思うのは特別変な話ではないし。

「…………はい」

「ん? 契約内容を聞いたのか?」

「聞きました。あ、それと月喰さん。その契りを交わしたら、俺と清華を表の祭りに帰してくれませんか?」

「良いだろう。そこな若輩に道を教えておく。そして契り方も……その言葉で以て成立としよう。坊と別れるのは名残惜しいが、これも坊の為だ。疾く去ね」

「……有難うございます!」

 月喰はくるりと身を翻し、その場に座り込んだ。これ以上の会話はしないという意思表示だろう。俺はしっかりと清華と茜さんの手を握り締めると、背後に控えていた連なる鳥居に踵を返した。

「若輩」

「ん?」

「汝うぬも坊に好意を抱いているみたいだが、それは我の婿だ。手を出せば汝うぬを滅ぼす」

「肝に銘じておくとしよう。全ては少年次第ではあるが」










  


 


「この道をまっすぐ行けば、ツキバミ祭りに戻れるそうだ」

 闇祭りはいつ見ても大盛況だが、通行には難儀しない。茜さんの案内で俺達は端っこの細道を訪れた。

「茜さんは一緒に行かないんですか?」

「少年と共に祭りを巡る。中々趣もあるし悪くはない提案だ。少年に対する感情は恋なのか愛なのかそれとも全く異なる感情なのか。それは分からないが、それでも私は少年を想っている。共に行けば楽しめる事は間違いない。しかしツキバミ祭りの参加者は少年一人ではない。君なら分かるだろう。快感を上回る不快感を。不特定多数の人に囲まれたら、私はどうなってしまうか分からない。気を狂わせる怪異が狂うなんて滑稽極まりない。少年にはそんな情けない姿を見せたくないんだ。だから……私とはここでお別れだ」

「今生の別れとか言いませんよね?」

「君が寿命を迎えて死んだ時しか、今生の別れは訪れないだろう。少ししんみりしてしまうが、表では少年の大好きな神様が探しているんじゃないか? 彼女の為にも早く行くことをお勧めする」

 長話を決め込んでしまったが、空花と命様はきっと俺を心配している。ここまで長時間姿をくらましているといよいよ合わせる顔が無くなるが、何と謝れば許してくれるのだろう。

「……はい。清華、行くぞ」

「私はずっと帰ろうって言ってたのに、何で兄貴が急かしてるみたいになってんの!」

「悪い悪い。でもちゃんと約束は覚えてるから許してくれないか。元の会場に戻ったらお前を解放する。家に帰れとは言わねえよ……不服だけどな」

 茜さんの視線を受けて俺達は恐る恐る細道を進む。後ろを振り返ってはいけないなどの制約はないらしいが、振り返ったら茜さんが恋しくなりそうなので、俺は絶対振り返らない。

「……………ねえ兄貴」

「何だ?」

「メアリさんって、もしかしてあのバケモノの力を使ってるんじゃないの? 兄貴もその……前の私みたいになってたし」

「それはないな」

「何で?」

「足りないんだよ・・・・・・・」

 要領を得ない妹。正直に言えば俺も理解出来ていない。メアリの真相に辿り着けたかと最初は思った。だが違った。あれじゃない。アイツの力は……月喰さんとは関係ない。

「そもそも俺がメアリを嫌ってるのは、まあ信者に酷い目に遭わされてるからってのもあるが、アイツを『視た』時の不快感のせいだよ」

「それは話してて人間味を感じないからじゃないの?」

「それとも全く違うな。確かに会話してると人間と話してる気がしないが、話す前から俺はアイツが嫌いだった。……月喰さんを見た時、そんな嫌悪感は湧き起こらなかったんだ。お前は化け物って言うが、俺はああいう不可思議な存在を見慣れてる。もしメアリが人間じゃないとかそういう話なら、俺はさっきも嫌悪感丸出しだった筈だ」

 ところが現実は彼女の『魔』と肢体に骨抜きにされてしまった。何とも情けなく、空しく、恥ずかしい話である。

「後、月喰さんの方が人間味がある。妖怪だけどな」

「何それ。じゃあ地球上にメアリさんとあのバケモノしか居なかったら兄貴は―――」

「そりゃ月喰さん選ぶよ。二択じゃねえじゃんそれ。祭りの参加者拉致は俺も文句があるけど、月喰さんは生き残りたくてあんな強引な手段選んだんだ。人が死んだ事に対する興味もそうだが、物事の九割に興味が無いアイツとは違えよ。まあ文句とか言い出したらメアリの全てに文句を付けたいし、マジの愚問って奴だけどな」

「……何かそれっぽく言ってるけど。結局それって兄貴が巨乳好きなだけじゃ」

 俺は自虐的に嗤い、今更かと呆れる様に溜息を吐いた。

「茜さんは巨乳じゃないんでそれは違うが、包容力を求めてると言ってくれるなら当たってる。……別に少しくらいいいだろ。今まで誰も俺を愛してくれなかったんだからさ」

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