鬼妖眼

 空花と命様とは違って茜さんの着物は黒一色で色気など欠片も無いが、ぶっちゃけそんな事はどうでも良い。些末な事だ。何故ならあの茜さんが着物を着ている事実こそが何よりも重要なのであり、その他の事実そして情報はおまけでしかない。

 何より美人は何を着ても似合う。落ち着きのある茜さんに華やかな色はむしろミスマッチだった気さえするので、黒一色の着物はむしろチョイスとして正解だ。

「はあ…………ああああああぁぁぁ…………!」

「兄貴!?」

 どうしよう、ドストライク過ぎる。死にそうだ。死ねば茜さんと一緒に居られるだろうか。なら死んでも良いか…………いやいや。それは流石に。けれどどうしても死んでしまうというなら仕方がないなあ。

「少年。私が聞きたい事は一つだけだ。何故こちら側に?」

「あああああぁぁぁぁ………………あ、茜さんこそ、何で参加してるんですかッ?」

「おやおや、仲間外れにしないでくれたまえ。このお祭りは人間に限らず我々も楽しみにしているんだよ。人間嫌いな私だが、ここに居るのは君を除けばどいつもこいつも人ならざる存在だ。参加しない道理はない」

「で、でも怪異としての縛りみたいなものは……茜さんは俺が『視た』から大丈夫ですけど!」

 怪異が言霊を起点とする以上、その存在には縛りが存在する。トイレの花子さんはトイレから出られないし、ジェットババアは車で走っている時しか存在出来ないし、こっくりさんは儀式を介さないと俗世に干渉出来ない。縛りとは要するに活動範囲だ。茜さんの言葉を信じるなら、ここに居る怪異達はそういう縛りを無視して参加している事になる。

「…………ふむ。君達がここに来た理由が分かった気がするよ」

「え?」

 何故当事者たる俺には分からないのだろう。茜さんのモデルは名探偵か何かなのか。

「所で、彼女は?」

 この場に居る女性は清華しかいないが、茜さんの視線は明らかに清華を捉えていない。今までの交友関係からしてその言葉が指す人物は一人しか居ないが、茜さんと出会えた事が嬉し過ぎて俺はついついボケたくなった。

「彼女は居ません。茜さん彼女になって下さい!」

「フフ、吝かじゃないが、君の神様に消されそうだからやめておこう。それに君も理想としてはあの神様と恋人になりたいんだろう? 妥協するにはまだ早いよ。私も君の事は大好きだが、同時に君の幸せを願ってもいる。あの神様と添い遂げた方が君の人生には彩りが生まれるだろうさ」

「いや、理想を言うと二人と結婚…………!」

 この国は重婚禁止だが、相手が怪異と神様だからオーケーだろう。法律は人間を対象とした秩序であり、別存在に一々当てはめるのはナンセンスだ。俺の背後で欲望丸出しの会話を聞いていた清華は口を覆って引いていた。

 茜さんは「有難う」と言って俺の額に軽く口づけをすると、それで強引に話を仕切り直した。

「それで、神様は?」

「月祭りに参加中ですよ。俺も一緒に参加してました! でも途中でコイツを見つけて―――ああコイツ、俺の妹なんですけど。一応」

「え、私こんな気持ち悪い兄貴知らないッ」

「他人のフリをするな!」

「気持ちは分かるよ」

「茜さん!?」

 背後からヘッドショットを喰らった気分だ。勢いよく詰め寄ると茜さんは両手を上げて後ずさった。

「一先ず落ち着くんだ少年。考えてもみれば異常なのは明らかだろう? 私の体は女性だが、私自身は男性でも女性でもない。君の事は大好きだが、それは愛でもあり友情でもある。感情とは実に複雑で理解しがたいものだ。そして一般的に、普通の人間以外を好きになる者はおかしいとされる」

「それでも俺は茜さんの事が大好きです! おかしくたっていい、俺は自分に正直に生きたいんです!」

 メアリのせいで、この世の全てはまやかしとなった。アイツこそが真実である世界において、俺の行動、思想、言動は何もかも間違っているのだろう。今、この世界における普通とは、メアリの影響を受けて信者になる事に他ならない。


 俺は周防メアリには屈しない。


 『視る力』がある限り、俺はアイツに理解されない。その不可侵領域が崩れぬ限り、この意思だけは崩したくない。俺が折れない限り正しい正しくないを論じる以前の段階なのだから、せめて正直に生きなければ損だろう。倫理も正義も善も悪も、全てアイツの匙加減で決まる限りは。

 茜さんは珍しく頬を指で掻きながら、困り顔を浮かべた。

「…………弱ったな。少年とは短い付き合いだが、それでも多少は性格を把握しているつもりだったよ。果たして君はここまで頑固だったかな?」

「茜さんの着物が美しいから仕方ないのです!」

「―――君は和服が好きなんだな。褒められるのは嫌いじゃない、特に君に褒められるのはね。そこでどうだろう、暫く私と一緒に歩かないか?」

「兄貴、この人ヤバいよ。辞めた方が―――」

「喜んで!」

「兄貴!」

 清華は茜さんの事を知らないからそんな空気の読めない発言が出来るのだ。これはどう考えてもデートのお誘いであり、体育祭のお返しだろう。何故断る必要がある。メアリが相手ならまだしも、相手はあの茜さんだ。それも着物を着た茜さんだ。

 隣を歩けるだけで気分は恋人ではないだろうか。

「フフ、どうやら私も胸が躍っているらしい。少年と出会ってから感情が動かない日は無いよ。新鮮な気分だ。では行くとしようか。百鬼の集う闇祭りを共に。少年を独占出来る内に……ね」

「はい!」














「ねえ兄貴! 出口探すんでしょ! お店巡ってる場合ッ?」

「出口なんてその内見つかるだろ~まあ落ち着けって!」

「兄貴の馬鹿!」

 清華には茜さんがどう見えているのだろう。嫌悪感を剥き出しにして何とか俺から引き離そうと色々やっているが、茜さんの手が冷たすぎるせいで触れないらしい。だからと言って俺を引っ張らないで貰いたいが。

「―――私は毎年訪れているが、ここに迷い込んだ人間が帰還出来た事は一度もないよ」

「え? じゃあ迷い込んだ人間って今は何処に居るんですか?」

「まあそれはその内見えてくるよ。それよりも脱出方法を探しているんだろう? 心当たりはなくもないが、まずは何故君達が迷い込んでしまったのかを話すとしようか」

「闇祭りの噂からして偶然って考えるのが一番辻褄が合うんですけど違うんですか? 俺も毎年『月祭り』参加してますけど、こんな目に遭ったの初めてですよ?」

「偶然はあり得ない。何故ならこの『闇祭り』には主が居るんだからね」

「主?」

「そう、主。行事には責任者が必要だろう? 不可視達が己の縛りから解放され、『視る力』も持たぬ君の妹さえ私達を認識出来ているのもその主のお蔭さ。少年は私が店を巡っているだけだと思っているみたいだが、ちゃんと君達異邦人の事は考えている。だから今、その主の下に向かっているんだ」

「本当ですか?」

 正体不明の丸焼きを食べる茜さんの口元がセクシー過ぎて、全く気付かなかった。正体不明の丸焼きというのもおかしいが、本能的にそれを理解してはいけない気がしたので、放置しておく。知らぬが華こそ不可視達と付き合う秘訣だ。

 諺が混じっているが、実はこれで正しい。茜さんは正真正銘の華なのだから。

「―――少年は今まで不思議に思わなかったのかい? 突然変異的に不可視の存在を認識し、干渉する力を持ってしまった事に」

「いや……まあ最初はおかしいなって思いましたけど。おかしさで言ったらメアリの方がおかしいし、視なきゃあっちも視えるって気付かないんで……あんまり」

「私の予想が外れているなら指摘してくれて結構だが、その力は生来のものではないよね? 月祭りに参加した時に……身に付けたんじゃないか?」

「あ、正解です。三歳の頃に行って……あんまり記憶力に自信が無いから何とも言えませんけど、あれ以降ですかね」

「成程。予想通りか。ならばやはり君達が迷い込んでしまったのは偶然ではないね」

「……話が見えてこないんですけど」




「君の力は、ここの主によって与えられたものだという事だ」




 清華はすっかり置いてけぼりだが、その言葉を聞いてから俺も置き去りにされてしまった。何を言っているのかさっぱり理解出来ない。俺は既に闇祭りの主催者と会って…………もしかして、あの滅茶苦茶美人のお姉さんがそうだと言うのか?

「君が『視る力』と称するその正しい名前は鬼に妖の眼と書いて『鬼妖眼』。ここまで来た君達ならお察しの通り、闇祭りの会場は異界になっている。この異界に居る限り我々怪異は己が存在の根底にある言霊から解放され、自由に動けるのさ。幽霊であっても地縛霊なら同様の効果が得られる。早い話が、『闇祭り』は不可視の存在にとっての自由時間という事だ。開催されている間は自分の意思で全てを決められる。幽霊も未練を忘れ、恨みを忘れ、今はひたすらに楽しんでいる。君達が歩いていても襲われないのも、それが理由だ」

 つまり、この異界全体に俺の『視る力』が働いていると考えれば良い。怪異達が新たに定義されているから清華も見えるのだ。

「へ~。でも悪口言われたらやっぱり襲ってきますよね」

「襲われるより前にここの主に消されるだろう。話を戻すが、以前、私は君に神と怪異の同一視は危険だと言って、不可視の存在の種類について語ったのを覚えているかな? 覚えていないなら改めて説明するけど」

「大丈夫です。覚えてます」

 怪異は言霊を起点に生まれるが、それ故に存在が不安定。形はハッキリしているが、言霊が変化すると形も変わる。


 幽霊は魂を起点に生まれるが、魂が不定形故に形も曖昧。存在はハッキリしている。

 神は神自身を起点にしている。存在もハッキリしているし、形もハッキリしている。

 そして俺の視る力―――鬼妖眼は形を与える力。観測によって定義する事で、その者の変化を停滞させる。


 細かいところは覚えていないが、大体こんな話だった。

「あの時……私は敢えて一種類省いた。仕方がない事だったんだ。不可視の存在の話をしているのに、可視の存在の話をしたら脱線は避けられなかったからね」

「…………はあ。それで、その一種類って?」

「それはね―――」

 ネタバラシをしようとした所で、茜さんが足を止めた。俺達も正面を向くと、眼前に聳え立つのは何重にも連なった赤い鳥居。そこに吊るされている無数の人型には頭陀袋がかぶせられているものの、僅かに動いている。生きている……のか?

「ああ、これが今まで迷い込んできた人間だね」

「え…………!」

 清華は顔を青ざめさせて、一歩退いた。

「茜さんこれ……生きてるんですか?」

「この異界に死の概念はないからね。あまり動きはないだろうが生きているとも。彼等がここに吊るされている理由は流石の私にも見当はつかないが、君達と同様に脱出しようとして、その果てにこの鳥居の先に居る主へ交渉しに行ったんだろう―――そしてこうなった」

「主ってのは気難しいんですか?」

「そんな事は全くない。そもそも『闇祭り』を訪れる殆どの存在は主から招待を受けて来ているんだ。そして当然―――ここに吊るされている人々も、君達も。迷い込んだという表現は飽くまで君達の主観でしかないという事さ。先程は君達の立場に寄り添っていたから、私も敢えて正さなかったがね」

 だが招待される謂れは無い。俺も清華も、この人達もきっと。闇祭りの主催者は何を判断基準に招待しているのだろうか。

「この先に行く前に、敢えて問おう。行くかい?」

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