可視の怪

 普通の人が幽霊を見た時、脳が理解を拒むだろう。そんなものは居ないと考えていても、本当に居ると考えていても反応は変わらない。俺がメアリを見た時に覚える気持ち悪さみたいなもので、そういう気持ちはある種の本能だ。

 影を着ていたり、影が白かったり、暗闇が光を遮ったり、この短時間で様々な非常識に遭遇してきた。白い影は物理的に考えてあり得ないし、そもそも影は実体処か決まった形すらない。更に言えば暗闇に光を遮る性質は無い。

 俺の『視る力』は個人的なもので、檜木家の血が所有する力ではない。清華は良くも悪くも普通の女の子であり、霊感など欠片も無い少女だ。そんな彼女に百鬼夜行も斯くやと思われる別世界を見せれば、この反応は至極当然のものだった。

「………………………兄貴。ここ」

「俺もこんな場所は知らないぞ……でも心当たりはある」

「心当たりって?」

「『闇祭り』だよ。早い話がオバケ達のお祭りだな。迷い込んだら二度と出られないなんて噂もある……」

「…………そんなの、噂でしょ! ここは違うよ! だって現実だもん!」

「あれは嘘っぱちだから違うって言いたいのか? それなら俺はメアリの存在そのものが嘘っぱちであってほしいよ」

 まあこれも嘘だとは思っていたが。何せ俺は一度も迷い込んだ事がない。『視る力』でも迷い込めないという事は、つまり真の意味で存在しないという事だ……と思っていたが、もしここが『闇祭り』会場だとすると、俺の『視る力』は飽くまで個を見る力であり不可視の現象は例外に入るのだろうか。

 特に活用しようがない情報を知ってしまった。

「兄貴、戻ろうよ! ここおかしいって!」

「突っ切ったのに戻るのか?」

「道を間違えたんだよ! きっとこういうのは正しい道を進んだら戻れるんだって!」

 俺の判断に問わず清華は戻るつもりだった様だ。返事よりも早く振り返り―――停止してしまった。

「どうかしたか―――」

 大方先程突っ切った『人物』が背中に追いついてしまったとか、その辺りだろうか。心内で警戒しながら俺も振り返ると、


 そこに通ってきた道はなく、俺達の背中には灰色の壁が重々しく構えていた。


 確固たる真実が目の前にあるのだ。俺達の通った道は確かにまやかしだったのだろう。それでも俺達にとっては退路だった。文字通り退路を絶たれたこの状況。俺はともかく清華にとっては著しい負担になっていた。

「な、何でよ! 兄貴、道……道が無いって! 私達さっき通ったのに!」

「……取り敢えず進んでみるか?」

「嫌! あんな気持ちわ―――」

 それは禁句だ。言い切る前に何とか清華の口を押さえたが―――ああ、大丈夫そうだ。反応している奴は居ない。

 もしここに居る存在達が敵意剥き出しなら、俺達が迷い込んできた瞬間に襲撃してきただろう。それをして来ずに屋台へ並んでいるという事は、少なくとも拒否はされていないという事だ。魚心あれば水心という諺は霊にさえ適用される。こちらが敵意を持てばあちらは間違いなく敵意を持つだろう。霊や怪異には己の感情を縛る立場や社会が存在しないのだから。

 命様が居ない以上、太刀打ちする術はない。迂闊な発言はしないに限る。

「お前な、いい加減にしろよ。死にたいのか?」

「…………私は別に、死んでもいいよ」

「………………本気で言ってるのか?」

「本気だよ。私なんて消えてなくなればいい。兄貴だって本当はそう思ってるんでしょ―――」


 パァン!


 生まれて初めて、俺は女性を叩いた。清華は愕然とした表情を浮かべて頬を押さえる。罵られたとしても、激昂したとしても、名実ともにクズとなったとしても、その発言は許容出来ない。家族だった者として、絶対に許してはいけない。

「生きろとは強制しねえよ。たださ、それは違う。俺がメアリ含めて信者共が嫌いだし消えてなくなってほしいと考えた事があるのは事実だ。でもな、そりゃ誇張って奴だよ。視界から消えてくれないから段々そう思ってきただけで、実際俺に関わらないでくれるなら信者にしてもメアリにしてもどうでもいいんだよ。信者だった頃のお前に対してもそう思っていた。この世から居なくなってほしいなんて思ってない。死んでもいいなんて言われても納得できる訳ないだろ」

「…………だって、私。許されない事をしたし」

「かもな。じゃあ聞くが、死んだからって許されるのか? 俺は許さないし、死んだら猶更お前を追いかけるからな―――大体、どうしてそんな自暴自棄になってるんだ? 自暴自棄になってる奴が何で祭りに参加してるんだよ」

「…………うるさい」

 会話拒否か。これ以上は聞き出せないだろう。

「―――叩いて悪かった。大丈夫か?」

「聞くぐらいなら叩かないでよ」

「ごめん」

「…………全然痛くないから謝らないで。兄貴の力って弱々だし」

 清華を叩いた余韻が掌の上にまだ残っている。そのせいか分からないが腕全体が重い。腕に鉄球付きの枷が嵌まったみたいで全く動かせない。慣れてないし、そもそも嫌いな行為はするべきではない。しかし俺の思考を決めつける様な発言を否定出来るのは俺だけだ。

 まあそれでも、殴るのはどうかと思うが。

「……申し訳ない」

「だから謝らないでよ! …………私は兄貴にもっと酷い事してるんだから」

 最後の言葉は聞き取れなかったが、喧嘩を経た事で彼女は一旦落ち着きを取り戻した。それでも怪物達は極力視界に入れたくないらしく、今度は俺の背中に隠れてしまった。

「―――私、何があっても兄貴の後ろついていくから」

 ゲームかよ。

 あの喧嘩で注目を浴びたらどうしようかと思っていたが、怪異達は心底どうでも良さげだ。こちらを見ている奴は一人も居ない。横で起きた喧嘩も気にならない程の物とは、一体そこの屋台は何を売り物にしているのだろう。屋台の癖に店の名前が書かれていないので、行列に並ぶか、列が空いた時に売り物を確認するしかその商品を確認する方法はない。面倒なので無視しよう。

「取り敢えず前に進むぞ」

 行き交う存在はどいつもこいつも非人間的だ。顔が半分破損している霊、下半身が無いのにも拘らず上半身だけで高速移動をする怪異、全身から血を噴き出したミイラに、自分の臓器を使って誰かとキャッチボールをする人体模型。綺麗なお姉さんが出たと思えばマスクをしているし(恐らく口裂け女)、巨大な蛾かと思えば人面の蛾だったり。

 共通点があるとすれば等しく敵意が無い事と、俺に『視られた』後の様に存在がハッキリしている事(清華にも見えている事からそれは証明されている)、怪異はこの町に存在する都市伝説という共通点があり、幽霊は時々初見じゃない奴(一度でも視界の端に移り込んだ奴の事を言っている)が居るので恐らくこの町に漂う幽霊という共通点がある。

 もしそうだと仮定するなら、俺は段々『闇祭り』の正体が分かってきた気がする。この祭りは『月祭り』の裏のお祭り―――つまるところ、幽霊たちにとっての『月祭り』なのだろう。何故わざわざ裏の方で集まっているのかが分からないが(不可視の存在達は当たり前だが基本的に人間には配慮しない)、とても楽しんでいる様に見える。

 気になる事はまだある。どうして俺と清華が急に迷い込んでしまったのかという事だ。定期的に迷い込んでいるならともかく、俺も清華も迷い込んだのは初めてで、原因が全く分からない。裏のお祭りが不可視達にとってのお祭りなら、生者である俺と清華はどう考えてもお門違いだし、門前払いされても文句は言えない。

 誰かが招待したと言うなら話は別だがこんなお祭りに招待してくる奴には心当たりがない。命様は表に居るし。

「…………お、あれは……!」

「え、何? 出口でも見つけたの?」

 清華の疑問には答えず、息を潜めて『それ』に接近。殆ど零距離まで密着した所で、『それ』の足が止まった。




「…………意外な所で出会ってしまったね。まさかここで君と再会するとは、いやはや夢にも思わなかったよ少年。現実とは斯くも奇妙な縁を築いてしまうのだね」 



 

 俺が見つけたのは、元メリーさんこと茜さんだった。



 …………着物を、着ている!?  

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