ここはイズコの細道じゃ



 ……メアリから逃げ回ってきた十数年間は絶対に無駄じゃなかった。



 お蔭で街の地理を熟知してしまった。この町を範囲としたかくれんぼや鬼ごっこならメアリにも負けない。この知識量こそ俺が今までどれだけアイツから本気で逃げて来たかの証左と言える。


 所でここは何処だろう。


 俺の記憶にはない。こんな場所は一度も通った事が無い。そもそも祭囃子が遠くに聞こえる時点でおかしいのだ。無我夢中で清華を追ってきたとはいえ、そこまで長い追走劇は繰り広げていない。割と直ぐに捕まえた筈だし、清華もそう思っていたからこの状況に理解が追いついていないのだろう。


 こうも不自然に距離感が違うと、まるで別世界に来てしまったみたいではないか。


「……いやッ!」


「待てやこら!」


 この近距離で取り逃がせる程、俺の身体は都合よく出来ていない。清華は必死に抵抗するが、そもそもの膂力が違うので、やはり脱出は叶わない。


「離して! 一人で帰れるよ!」


「お前もここ知らないんだろ。なら迷子にならない方が良い、行くな」


「知らないけど同じ町でしょッ。お祭りに戻るから離してって―――言ってるのにッ!」



「霊の数がおかしいんだよ」



 それが清華を納得させられる根拠かどうかは分からないが、彼女の足を一瞬止めるには十分な理屈だった。


「……そう言えば兄貴ってそういうのが見えるんだったね。何、百体くらい居るって事」


「逆だ。一体も居ない」


「―――良い事じゃん」


「一体も居ないなんてあり得ねえんだよ。こういう人気のない道は特にな」


 どんな場所にも幽霊は居る。うちの学校には数百体以上居るから、真面目に俺が特集を組んだ場合、学校の七不思議処ではなくなってしまうだろう。この町はそれくらい幽霊・怪異が存在する。この世に未練を残した、人の勝手な言霊から生まれた存在が。 


 その不可視達が忽然と姿を消したなんて、絶対にあり得ない。


「分かった。分かった。家に帰れってもう言わない。言わないから、今は離れないでくれ。もう一度月祭りの会場に戻るまでで良いから……それでどうだ?」


「………………そこまで言うなら、分かった。所で兄貴はこの場所知ってるの?」


「知らねえよ。さっき言ったじゃねえか。だけどこれ、後ろに戻ったら会場に戻れるって訳じゃなさそうだぞ」


「え?」


「後ろ」


 促して振り返らせると、背後の通路は暗闇によって塞がれていた。視界不良によってそう見えるのではなく、本当に塞がれているのだ。試しに携帯の(圏外になっていた)ライトを使って照らしても、光が一定以上先に届かない。


「な…………何で! あ、あり得な―――あ、そうだ! 兄貴のライトが弱いんだよきっと! 行ってみれば帰れるよ。ほら早く行こう! 早く行こう! 早く! 早く!」


「絶対に行かねえよ」


「何で!」


「よく考えろ、光が届かないなんて物理的にあり得るか? ここは深海じゃないんだぞ。ライトが弱くても届くものは届くし、街灯がついてないってのもおかしいだろ! 今の市長はメアリだ、アイツはこんな手抜き仕事はしねえよ」


 街灯の点検が市長の仕事なのかどうかは、俺がニワカなので定かではないが、彼女の性格ならやってしまいそうだし、信者もそれを望んでいるだろうし、どうせ成功する。まがりなりにも世界平和を望むだけはある奴だ。アイツの野望のスケールがどんなに大きくても、それは虚言でもなければ欺瞞でも何でもない、あの洗脳力を以てすれば世界を屈服させる事など朝飯前なのだからそもそも虚言をする意味が無い。


 では何故市長という枠に未だ収まっているかは正直疑問の余地があるが、一先ずそれは置いておこう。


「じゃ、じゃあどうすんのッ?」


「離れるなって言っただろ。俺を信用出来ないのは分かるが……大丈夫だ。絶対守ってやるから」


「…………私なんか、大事にしなくていいよ。許されなくていいって、この前言ったよね」


「ああ、許してないよ。俺はお前を絶対に許さない。そして大事にもしてない。でもお前は妹だ。家族の事は大嫌いだけど……………………ああ、もういいや。忘れてくれ。頭がこんがらがってきた」


 清華の手を引きながら、俺は闇雲に通路を進んで行く。歩くたびに背後が暗闇で塞がれる以上、こちらには『進む』以外の選択肢が無い。通路は時々分岐するが、その時はライトが何処まで届くかで判断する様にしている。


 体幹時間にして一時間。しかし携帯に表示されている時間は四四時四四分という未知の時刻で停止しているので、厳密にはどれくらい経ったのだろう。空に変化はなく祭囃子も絶えず聞こえる事から、然程時間は経っていないと見るのが自然だが。


 次の通路を曲がった時、ようやく人影が見えた。当初はこのよく分からない迷路から抜け出せたかと清華共々喜んでいたが、果たしてそれは本当に『人』影なのだろうか。


「待て清華。ちょっと待て」


 最初に目についたのは極度に肥大化した頭部。ハチの巣みたいに丸っこく、厚みがある。胴体が普通の人間っぽいだけに頭部の大きさは決して見間違いではない。もし俺があんな頭だったらひょんなことから体勢を崩してそのまま地面に崩れてしまうだろう。そして二度と持ち上げられなくなりそうだ。


 次に目についたのは白い影。影とは基本的に黒いのだが、どういう訳かその『人物』の影は白かった。明るいのではない。白い絵の具でシルエットを描いてみれば、それが俺から見えている『影』だ。


 最後に目についたのは―――いや、厳密には二つ目と同時に気付いたのだが、『人物』は本来の影を甚平の様に着ていたのだ。周囲の暗闇と比べると影はあまりにも黒すぎる。同一色には違いないせいで色覚テストさながらの違和感だったが―――影を着るってなんだ? 見たままを述べただけだが、意味が分からない。


「……あれ、人じゃない……よな?」


「私に聞かないでよ。でもなんか危なそう……別の道行かない?」


「やめた方が良いだろうな。ここであの人が通り過ぎるのを待った方が幾分かマシだ」


 光を通さない暗闇を突き進んだ日には何が起こるか分かったもんじゃない。こんな事は生まれて初めてで、清華さえ居なければ俺の方が慌てていたくらいだ。妙に落ち着いているのは単に慌てる役目を清華が担ってくれているから。


 本当は今すぐにでも命様に泣きつきたい。


 『人物』の歩みは亀より遅かった。その癖通路は長いので、このまま待っていたら二人共寝落ちしてしまう。そうなると、残された結論は一つだけ。


「……突っ切るぞ」


「え?」


 清華は信じられぬものを見たと言わんばかりの眼差しで俺を見た。


「本気!?」


「本気も本気だ。あの人遅すぎる。それにほら道の先を見ろ。光が見えるだろ。ここを突っ切れば恐らく戻れる筈だ」


 万が一追いかけられても、一気に突っ切れば関係ない。あの遅さなら追いつかれない筈だ。急に早くなったらどうしようもないが。


 清華に離れるなと言った手前、自分から離れる訳にもいかない。作戦の実行には彼女の承認が必要になるが清華は異形が苦手だ。しかもこれは映画や漫画ではなく、自分たちが迷い込んだ奇妙な現実。画面という壁が無い今、彼女は恐怖を前に平静を保てない。


「嫌! あ、そうだ。兄貴だけ先行ってさ、安全だったら私行くから……」


「お前逃げる気だろ」


「今更逃げないよッ」


「そうか。でも却下だ。俺は通れるよそりゃ。でもそうなったらお前一人で突っ切らなくちゃいけないんだぞ。今こんなに怯えてるのにそれが出来るのか?」


「うッ…………だ、大丈夫。―――多分」


 埒が明かない。駄々をこねる清華を説得するのは無理だと早々に悟るべきだった。というか説得していたらそれこそ疲れ果てて寝落ちしてしまいそうなので、俺は有無を言わさず清華を胴と足を抱え、走り出した。



「ぎゃあああああああああああああああああ!」



 問答無用で『人物』の横を突っ切る俺の頭をバシバシ叩く女性が一人。そう、清華だ。抱え上げられたせいで体の自由が利かない。進行形で突っ切っている訳だから意思が尊重された訳でもない。反感を買うのは必然的だったが、それでも俺は走る事を辞めない。目の前の光に向かって一直線に進み続ける。 


「下ろして! ていうか兄貴よく私を持てるねッ! 重いでしょッ? ねえ重いんだったら下ろしてよ! 自分で走るから!」


「空花よりは全然軽いよ」


「誰ッ?」


 何故空花の方が重いかは推して知るべしだ。彼女にあって清華にないものが原因である。只、重い事には違いない。この状況に動揺こそしても、火事場の馬鹿力は出ないのが俺という存在だ。『人物』は多分追って来ていないから下ろすのは吝かではないが―――


 この際、通路を抜けるまではやろう。清華の攻撃は信者共に比べれば可愛いものだ。痛くも痒くも無い。


「着いたら下ろしてやるから、お前はしっかり掴まっておけよ」


「うう…………兄貴ってこんな大胆な人だっけ…………」


 光の先に見えたのはまた別の通路。屋台が見える。そこに並んでいるお客も見える。何屋なのかは分からないが、ともあれこの通路を抜ければ摩訶不思議な現象は終わりを告げる。約束してしまった以上、家に帰らせる願いは叶わないが、無事を確認出来ただけでも良かった。


 生きててくれて良かった―――






 出口と思わしき光を抜け、俺達は無事に月祭りへと帰ってこれた。














 その会場に『人間』はおらず、並んでいた様に見えたお客は多種多様の霊や怪異。それだけならばいつもの視界なのだが、本来不可視の存在であるべき奴等は、どうやら清華の眼にも映っているらしく。


「………………………………ぇ」


 理解を超えた光景を見た時、人はフリーズしてしまう。闇に支配された道を抜けた先に更なる混沌が待ち受けてるとは思っても無かったのだろう。下ろされると同時に、彼女はその場に座り込んでしまった。





「………………なん、で?」



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