狐の穴



 メアリの顔をデフォルメした焼き菓子……俺にとっては恐ろしいものだが、デフォルメされたメアリからはあの気持ち悪さを感じない(なのであの顔が苦手という訳ではない)ので、食べようと思えば食べられるし、今川焼きの亜種みたいなものだと思えばむしろ好きな方だ……が。


 メアリ焼きか。


「わーすごーい。ほんとにメアリさんの顔になってる」


「うーん本当だ……ってお前買ったのかよ!」


「買ったよー。だってこのお祭り以外じゃ買えないじゃん。買わなきゃ損だってー」


 そう言って空花は躊躇なく口に放り込んだ。咀嚼する様を、俺は何故か訝しげに見つめていた。


「どうだ。美味しいか?」


「んー…………うん。美味しいよこれ、普通に。ていうか普通のお菓子。さっきも嫌がってた人居たけど、損したんじゃない?」


「え、このお菓子を嫌がる奴が俺達以外に居るってのかッ?」


「うん、居たよー。子供の二人組……なのかな。でも一人はやけに大人びてたし、ひょっとして保護者なのかな?」


 ああーと俺が納得の声を漏らすと、空花は目ざとく反応を咎めた。


「知ってるんだ?」


「多分な。拒絶反応を起こす心当たりは一組しか知らない」


 十中八九幸音さんとつかささんだ。声を掛けた場合歓迎はしてくれるだろうが、幸音さんの為を思うなら放置しておくべきだろうか。他人の恋に対して静観するべきか干渉するべきかは議論の余地がある。静観すれば良い方向に働く一方で、干渉しなければ進展がない場合もあるだろう。


「女の子の方ってどうだった?」


「男の子の方に手を取られたら顔を真っ赤にしてたり、可愛かった!」



 ……そうか。



 なら良い。


「所でおにーさんは顔を赤くしてくれないのー?」


「え、俺なの? そこはお前じゃ―――うわッ!」


 空花の狙いに乗るかの如く、背後から命様が俺を抱きしめた。背後にとてつもなく柔らかくて大きな感触がむにゅりと触れて離さない。前後を不覚する程の多幸感と同時に、超至近距離で感じる命様の色香は俺の視界を揺さぶるには十分だった。


「み、命様…………! や、やめ……あ、あ~」


「命ちゃん。それ以上やるとおにーさんが……!」


「むう。この姿では迂闊に悪戯も出来ぬか。虜になってくれるのは良いが、これはこれで難儀じゃなあ」


 我ながらメンタルは強い方だとは思っているが、人間の範疇における強靭さでは神の色香には到底太刀打ち出来ない。それもメアリが神ではないと証明させている。アイツが何をしても俺は耐えられる時点で、何度も言っている様にアイツはカルトの教祖でしかないのだ。


 命様が物足りなさを顔に表しつつも、渋々離れてくれた。呼吸を繰り返すと、次第に意識が正常に戻ってくる。


「次は何処に行こっかー、二人共!」

















 二時間程度、何事も無くお祭りは続いた。メアリがそろそろ異常な行動をしてもおかしくはないと読んでいたのだが、それが杞憂で済んで良かった。『闇祭り』に遭遇したいメアリにとって月祭りがどうにかなってしまうのは避けたい事態、という事だろうか。いずれにしても、途中からは俺も恐怖心が無くなり、素直に月祭りを楽しめるようになってきた。


「ふー…………」


 再び公園に戻った時、メアリの握手会は終わっていた。人も先程に比べればまばらになり、休憩所としては問題なく使える。それにしてもあんまり食べた飲んだを繰り返すものだから必然的に尿意を催した。


 用を足す場面を命様に見せたくはないので、俺は二人から離れてトイレへ行った。祭りごとの最中は混みがちだが、ここは滅多に清掃もされない寂れたトイレなので、あんまり使いたがる奴は居ない。足元にゴキブリとか普通に居るし。


「お祭りももうすぐ終わりかあ…………」


 素直に名残惜しい。メアリの反応を気にせず楽しめたのはほぼ初めてだ。メアリには感謝しないが、市長として治安を維持し、祭りを運営してくれるメアリには感謝してやりたい。祭りにはトラブルが付き物だが、まだ一つもトラブルが起きていない。それもこれもメアリが参加しているお蔭だ。


「……何だろうなーこの、青春を今更味わってる感じ」


 本当はもっと早くに味わうべきだった青春。高校生から味わうのも遅くはないだろうが……出来る事なら小学生の頃から味わいたかった。


「まあいいか。命様が一緒なら別に…………」


 用も足し終わり、手洗いを終えた所でふと鏡を見た俺はそれに気が付いた。背後に映る人混みに見えた覚えのある姿―――


 いや、間違いない。間違える筈がない。このお祭り


に参加するのにわざわざ制服を着る奴はこの二時間一度も見かけなかった。



「…………清華ッ!」



 鏡越しに叫んだ声は、彼女に届いたのだろう。清華はこちらを一瞥した後に、人混みに紛れながら一目散に逃げていった。それを逃がす道理が何処にあるのだろう。アイツの捜索が全く捗らないせいで、俺は家に帰れないのだ。


「ちょっと待てよ清華ッ!」


 文字通り千載一遇のチャンスをむざむざ無駄にする訳にはいかない。彼女の格好が制服なのもあり、人混みに紛れたとしてもそのカモフラージュ率はたかが知れている。どれだけ叫んだ所で答えてはくれないが、叫び声から俺の接近を感じ取ったのだろう。清華の速度はドンドン早くなっていく。


 しかし差は開く処か、むしろ縮まっていた。



―――俺がこれまで、どれだけ走ってきたかお前は知らねえだろう。



 ある時にはメアリから逃げて。


 またある時には暴行から逃げて。


 命様と会う為に走り。


 蝶々を探す為に走り。


 とにかく走って、走って、走り続けた。その俺を足の速さで上回ろうなど陸上部でもない限り不可能だ。この人混みの中だったとしても、それは変わらない。


「清華! 何で逃げるんだ! おい、別にお前をどうこうしたい訳じゃない! 海では協力してくれただろ! 止まれって!」


 途中から知らない道に入ったが、人通りが急に少なくなったのは好都合だし、清華にとっては悪手だ。障害物が無くなり不自然に一本道が続いている間に俺は清華との距離を一気に詰めて、その手を掴んだ。


「待てって言ってんだろ―――」



「―――離してよ!」



 掴んだ手は直ぐに振り払われる。しかしもう逃げる気は無さそうだ。清華は俺へと向き直り、敵意に近い何かを剥き出しに睨みつける。


「…………清華。お前今まで何処行ってたんだ?」


「兄貴には関係ないよ。もう放っておいて」


「あのクソ親父に捜索頼まれてるんだ、そうもいかない。なあ、一度だけでいいから家に帰ってくれないか? それなら、もうお前を追わないから」


「嫌。兄貴だって知ってるでしょ。私は―――とにかく絶対に帰らないよ。じゃあね」


 強引に話を打ち切られても、引き下がろうとは思えない。早足で奥へ去ろうとする彼女の手を再び掴んだが、今度はそれよりも早く彼女が足を止めた為、勢い余って背中にぶつかってしまった。


「うおッ。ど、どうした?」


「…………………ねえ」


「ん?」



「ここ、どこ?」










 祭囃子もはるか遠く、俺達は人っ子一人見当たらぬ暗い通り道に迷い込んでいた。

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