常闇が魅せる魔

 夜が来た。愛おしい夜だ。今日の夜だけは特別。命様の真の姿を眺める事の出来る日だ。初めて見る訳ではないが、別に何度だって見ても良いものは良い。それこそが名作であり、それこそが名画であり、それこそが美女だ。


 いつもと違う点を挙げるとするなら、隣に空花が居る事だろうか。彼女はまだ己が信ずる神の真の姿を見た事がない。きっと恐れおののくに違いないから、今から反応が楽しみである。


「月が綺麗だねーおにーさん」


「おう。命様が戻るには丁度良い月だ」


 偶然とはいえつかささんに教えてもらった命様の真名は、まだ呼ばない。知らないふりを貫き通して誤魔化している。彼女の口から同じ名前を聞くまでは絶対に喋らないつもりだ。知ってしまったものは仕方がないと割り切るのもありだろうが、何だか卑怯な気がするではないか。図書館の奥底にあった本から神様の情報を引き出すなど。


 俺は卑怯な事が嫌い……とまでは言わない。場合によっては卑怯にもなるだろう。だが好きな女性を前にしてそんな真似は出来ない。男として、信者として、神様の前では出来るだけ誠実であろうとするのは当然ではなかろうか。


「命様! 準備の方はいかがでしょうか!」


「うむ! 妾は大丈夫じゃッ。お主らこそ準備は良いな。身動き一つ、瞬き一つ許されぬぞ! 妾はお主らの為に戻るのじゃからな!」


「分かってます! ……空花。驚くなよ?」


「驚かないよー! 命ちゃんの昔の姿って言うけど、命ちゃんって神様だからそんなに変わらないでしょ? 精々髪の毛が長くなったりとか……え、違うの?」


「ふ、どうだろうな。まあ見てれば分かるよ」


 俺は素人だからこそ驚いた。


 空花は素人じゃないからこそ驚くだろう。


 彼女は命様を過小評価しすぎている。命様の正体が創世神を元ネタとした神様(偽物から生まれた本物とでも言おうか)だと知らないのなら……否、それを差し引いても彼女は神様というものを舐めている。


 髪が伸びるとか伸びないとか、日本人形じゃあるまいし、それは幽霊じゃないか。不可視の存在の同一視はやめた方がいいというのに…………俺限定の話だった。


「では―――ゆくぞ」


 何処からともなく取り出された黒百合の扇子と共に命様は舞を始めたが、初動が違う。かつては扇子を円の動きで振るう所から始まったが、今回のそれは扇子を右に揺らし、波の様な動きと共に左へ。天を衝く代わりに弧を描き己の身体を軸に回転する。


「…………不思議な動き」


 命様の身体は徐々に変化していく。大人っぽく、艶っぽく。空花は命様の変わりように言葉を失っていた。全盛の彼女は存在通り人間離れした魅力を持っている。見ているだけで恋焦がれそうだ。


「浄花」


 何故舞が違うのか。その答えは命様の外見の変化にあった。初めて命様が俺の前に本来の姿を見せた時、その巫女服は黒を基調とした着物へと変化した。しかし今回の舞は彼女の身体を薄紅桜の差し込む白い着物で包み込んだ。


 もしかしなくても、舞によって着物の色を変えているのか。肉体は相変わらず本能に悪い。




 命様の舞が終わりを迎えた瞬間、彼女を中心に色とりどりの花が神社に広がった。




 元々殺風景だった神社に突然彩りが生まれ、俺は反射的に立ち上がってしまう。


「うおッ! は、花ッ?」


「わー…………綺麗…………!」


 月光に照らされる花々はともすれば幻想的な世界を演出しがちだ。ここが紛れも無い現世であると誰が信じられる。まして黄泉平山の何処かに存在する神社の中だなんて。


「どうじゃ? お主らを少しばかり驚かせたかったのじゃが」


「うわッ!」


 耳元で反則的に囁かれた妖艶な声に、全身が震えた。急速な眩暈と共に膝から力が抜けて前方に崩れ落ちる。色香では説明のつかない現象に、他ならぬ俺は半ば錯乱状態に陥っていた。


「ククク♪ 空花はともかくお主が驚くのはおかしかろう。一度は見せた力ではないか」


「ち、ちが…………て、ていうかこの花って何ですか! 力は戻らなかったんじゃ?」


「うむ。じゃが本来の姿に成れば話は変わる様じゃの。とはいえ戻った力はかつての半分にも満たぬ程度……しかしこの程度であれば造作も無い」


「命ちゃん凄い! え、じゃあ他に何か出来るのー? 見せてよー!」


 空花は最初こそ驚いていたが、その感情は直ぐに興味へと変わった。


「おお、神の力を知りたいと申すか。その態度や不敬……とは言わぬ。空花よ、妾の力がもっと見たいか?」


「うんッ。私、家でも神様なんて見た事ないから! 全部見せろなんて言わないけど、私と命ちゃんの仲でしょー? 二つ、三つ、四つくらい見せても良いんじゃないッ」


「欲を張るのう。じゃがそれでこそ妾の信者じゃ。創太には無茶を強いているが、本来信者とは妾の神威を崇めるだけで良いのじゃ。その愛すべき欲に応えて二つばかり見せてやるとしよう」


 断じて俺は変わった趣味をお持ちではないが、煽情的な肉体と共に母性の増した命様と体つきは大人でも根っこは年相応に子供な空花の絡みを見ていると、とてもほっこりする。今日は月祭りには参加せず二人のやり取りを眺めているだけでも良い。そんな気分にさえなってしまう。


 だが駄目だ。月祭りは一年に一度だけ、命様の本来の姿は一か月に一回は見られる。どちらを優先するべきかは明らかだ。


「命様。その……まあ力が戻ったのはいいんですけど、そろそろ行きませんか。月祭り。メアリが市長になった今、参加者は去年の比じゃないと思うんで早く行かないと会場にすら入れない可能性も……」


「む、そうじゃな。では行くか♪」











 




 案の定、月祭りの会場は人の波でごった返していた。誰もが予想出来た結果だが、俺にとっては予想ですら無かった。何故って、それはメアリ本人がわざわざ俺に言ってきたから。



『人がたくさん来てるけど、創太はまだ来てないんだね! 入る時に誰かに押されたりするかもだけど注意して。それともしどうしても入れなかったら私を頼っても良いよー」



 誰が頼るか。


 そう意地を張った結果俺は人波に揉まれている訳だが、命様と手を繫いでいる影響で、絶対に流される事が無かった。それもその筈、他の人に命様は見えてない処か、俺以外に物理的干渉が出来る人物は首飾りを持つ空花以外に存在しない。その不可侵の力に引っ張られている俺の存在は、つまるところ周囲にとって絶対にどかせない障害物でもある。


 押しても引いても動かせないなら自分がどくしかない。人並みは俺を挟みこそすれ、邪魔はしてこなかった。


「ほほう。これだけの人が集まるか。妾が去った後もこの町は随分栄えておるのじゃな」


「いや、メアリの影響ですよこれ! アイツが配信とかするからこんな事になってるんです!」


「流石は現人神と言った所かの。民衆の思いなど自由に動かせるという訳か」


 この人混みの中で配信は見られないが、直前に見た時は何故か俺にラブコールを送ってきていた。配信枠の中は穏やかだが、ツイーターでエゴサーチをしてみたらまあ俺への罵倒で溢れ返っていた。外国人にまで罵倒されると流石に堪える。目に見えて孤立するのは辛い。


「と、取り敢えず何処に行こっか! おにーさんは何か食べたいものとかある感じー?」


「んー食べたい物かー。いやー考えてなかったつーか歩きながら考えるつもりだった……取り敢えず公園側は人少なそうだし、そっちから回ろうぜ!」


「りょーかいッ」


 不可視の存在が今は羨ましい。これだけ大勢の人間が居てもすり抜けられるなんて快適ではないか。


 ―――茜さんに声かけられたら良かったなー。


 もし見つかったら誘っていたのだが、仕方ない。命様と一緒に来れただけ良しとするべきだ。空花に導かれて、俺は公園へと向かっていく。普段は取り立てて利用される事のない公園だが、月祭りの日は休憩場所として利用される事が多い。人は居るだろうが、それでもここまでではないだろう。



「え~握手? いいよー。月祭り楽しんでねー!」



 聞いてはいけない奴の声が聞こえた瞬間、俺は身を翻してしまいそうになった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る