月祭り

 昨今の浴衣というものは呉服店に限らず様々な店で売られているので、空花が何処へ行ったかは見当も付かない。そこで俺は一つ頭を捻り、黄泉平山付近へ向かう事にした。かなりの時間が経過しているのは言うまでも無く、幾ら空花が女性で―――買い物に時間のかかるタイプだったとしても、流石に浴衣の一着くらいは決まっている。決まってなかったらそれこそ後で怒るが、彼女の姿が見えた瞬間、それは杞憂だと知った。

「あ、おにーさん!」

 まだお互いに豆粒程度にしか見えないだろうに、空花は四十メートル以上先に居る俺を見て手を振った。目が良すぎる。あまりに珍妙な格好をしているなら視力に拘らず判別がつくだろうが、生憎と俺の用意出来る衣装は……命様に頂いた甚平くらいしかない。そして当の甚平は山にある。

 じゃあどうやって認識したのかというと、純然たる視力以外の説明がつかないが、日本人離れした視力なのは明らかだ。もしや何処かのハーフ…………いや、水鏡家は命様も何か知っている様子だったから、ハーフという事は無い筈だ。つかささんに教えられた歴史から見ても、外国人の入る余地はない。

「よく私の場所が分かったねッ」

「初歩的な推理だ…………」

 接近したのは間違いではないものの、俺の理性を吹き飛ばすには十分だった。

 空花は薄桃色を基調とした花火柄の浴衣を着ている。胸の大きさは浴衣を着るのに不向きだと聞いた事があったが、まるでそんな事はお構いなしに着こなしているのを見ると、あれはデマだったのだろうか。もしくは空花が滅茶苦茶努力したか。

「かは…………お、おま…………か」

「どう、似合う? おにーさんの意見を聞かせてよッ。だって一緒に行くんだもんね。おにーさんの好みは聞いてなかったんだけど…………何か言ってくれないと泣いちゃうよー?」

「か…………可愛い」

「へ? 何だって―――」



「可愛いなああああああああああお前ッ!」


 和服フェチここに極まれり。普段なら躊躇していたであろうハグを空花の戸惑う内に済ませると、あろうことか俺は彼女を抱きかかえ、全力で山の中へと走り出した。

「きゃああああああああああッ! お、おにーさんどうしたのッ? ちょ、怖いこれ、怖い! 下手なアトラクションより怖いって!」

「そりゃあお前命様に見せなきゃだろこんなの! ほら行くぞ!」

「自分で行くから降ろして! 本当に怖いんだからッ!」

「下駄で山歩かせるなんて拷問だろうがッ。変な場所は触ってないんだから我慢してくれー!」

「変な場所触っても良いからもっと安全に運んでよー! イヤアアアアアアアアア!」

 中学生女子と言えどもまともに筋トレもしていない俺では持てるかどうか怪しい。そういう物理的課題を乗り越える力こそ火事場の馬鹿力だ。今の俺にとって空花の体重は重さではない。それくらい今の俺には力があった。

 完全に使い処を間違えていると言われたらそれまでだが、メアリ信者に日々リンチされていた影響で、滅多な事では俺に火事場と呼ばせないのが悪い。仮に思い込んでも、身体が痛みの記憶を吸い過ぎている。本能からそう思い込めないのでは火事場の馬鹿力は出せないのだ。

 こんな現場を誰かに目撃されようものなら誘拐案件と騒がれかねないが、メアリが市長となった以上その心配はない。単純に街中が信者と考えた場合、空花は恐らく俺の彼女として認識されている筈だし、彼氏彼女の間に誘拐が成立するとは考えられない(仮に成立したとしても信者にとってはどうでもいい話だろうし)。

 神社の長ったらしい階段は未だに嫌いで普段なら一度休憩を挟むか足を止める所だが、此度の俺は一味違う。階段が見えても尚歩みを止めず、より一層の速度で以て瞬時に走破。疲れを感じさせぬ息使いと共に命様の名前を読んだ。

「命様ッ! 只今戻りました! 見てくださいよこの浴衣! 可愛すぎませんか!? 可愛いでしょ、もう犯罪ですよねこれ! 俺取り締まりたいです!」

「……おにーさん。褒めてくれるのは嬉しいけど、ちょっと気持ち悪い。それ以上は止めてくれると嬉しいんだけどッ」

「いや、それは出来ない。何故なら浴衣が似合ってるからだ」

「ちょっとは会話しよーよ!」

 何故和服フェチが今になって暴走したのかは……正直自分でも分からない。強いて言えばあの彼岸蝶を見た時から心臓のドキドキが止まらないのだ。それと下半身の…………いや、これ以上はやめておこう。

 とにかく心臓の疼きが止まらないのだ。いつもの俺なら心の中でこそはっちゃけても、現実にそれが反映される事は無かっただろう。

「命様ー! 何処ですかー! 水浴び中ですかー! 命様ー!」



「…………お主は、いつにも増して騒がしいのう」



 命様が呼びかけに答えてくれたのは、少しの間を挟んでの事。どうやら異様にテンションが高い俺を不審に思っている様だった。

「普段は妾の方が振り回しておる自覚があるが、今度ばかりは振り回されそうじゃな」

「そりゃあもう、月祭りですから! 所で命様見てくださいよコイツの浴衣姿。もう凄くないですか! もう…………凄くないですか!」

「落ち着くのじゃ創太。お主の言いたい事は分かるが、語彙を失う程ではなかろう。空花を見るが良い。実に落ち着いておるではないか」

「……そういう命様は随分落ち着いてますね? お祭りが急に楽しみじゃなくなったとか?」

「あり得ぬ。お主らと共に行ける祭りが楽しみでない筈が無かろう! 只、少し懐かしい匂いがしての。先程からあり得ぬ、あり得ぬと言っておるがこれこそあり得ぬ。彼奴がおるなど……」

「あやつ?」     

「妾の……うーむ。何と言ったらよいか。敵みたいな奴じゃ。千年前の話で、しかも現代における神は妾一人のみ……彼奴などとっくに滅んでおると思っていたのじゃが…………」

 俺からすれば知る由のない話に、暫し蚊帳の外を味わう。暫くしてそれに気が付いた命様は慌てて頭を振った。

「うむ、気のせいじゃろうな! 仮におったとしても妾の様に残り滓であろうよ!」

 勝手にケリを付けられた話は追及出来ない。俺は改めて両掌を向けて、命様に空花を見せつけた。

「で、どうですか! 空花の浴衣姿! 可愛くないですかッ?」

「えーまだ推すんだー。そこまで行くと清々しいよおにーさん。私もちょっと嬉しくなってきたかも。気のせいだけど」

「うむ、愛らしいのう! 女子と呼ぶに相応しき格好じゃ。妾はお主の祖先と会った事がある故に言いたいのじゃが、それは遺伝か?」

「遺伝? 空花に代わった遺伝とかありますか?」

「違う。顔立ちの良さじゃ。時代が移り変わった今、当時における美人とは随分な差異があるものの、根本的な部分は何一つとして変わっておらぬ。妾も神の端くれ、己の美貌には自信があるが、人の子に似た様な真似をされると不思議でならぬのじゃ。空花よ、実際の所はどうなんじゃ?」

 空花は自分の顔をぺたぺた触って、「私って言われる程そんなに可愛いかな?」と不思議そうに確かめている。たまに自分の事を美人と認識出来ない奴は居るが、美人か否かは客観的評価が決めるものであり、自己評価に比重を置いての美人となると、それは最早ナルシストである。

 この論理に基づくならば、空花は美人以外の何者でもない。

 もっと可愛い人を知っているなら本人の認識がズレてもおかしくはないが。

「んー分かんない。でも多分遺伝? アハハ、分かんないやー!」

「親族で判断すればいいんじゃないか?」

「親族って言っても私あんまり覚えてないんだよね~。碧姉以外は」

「は? 意味分からん。家族と仲悪かったから顔も見たくなかったってか?」

「そーじゃなくて、碧姉に『もし君が家族に失望したくないなら首から上は見ない方が良いよ』って言われたんだよねー。まあそれを貫くのって結構難しいんだけどさ。でも出来るだけ見ない様にしてるから、あんまり顔が思い出せないんだよ~」

 気のせいだろうか。空花の家に闇の深さをそこはかとなく感じる。会話の中に度々出てくる碧姉とやらは、彼女にとって憧れの人物でもある様だ。碧姉の事を話している時は、やけに瞳が活き活きしている。

「でも碧姉は美人だから~遺伝? そうだったら嬉しいなー!」

「…………なあ空花。最初は無視するつもりだったけど、そこまで会話に出たら俺もその碧姉っての気になって来たわ。写真とか持ってないのか?」

「碧姉写真嫌いだから持ってないんだよー。ごめんね! もし月祭りに居たら教えてあげるから!」

 教わらなくても俺なら見分けがつきそうだ。不愉快ながらメアリのせいで女性に対する感性が肥えている。空花に比肩するかそれ以上の女性ともなると、雑踏の中に紛れ込んでいても分かる自信がある。美貌とはこちらの想像以上に存在感を与えるものだ。

「……コホン。話も一通りすんだ所で、妾も本来の姿に戻る準備をしようかの」

 その言葉を聞くや否や、俺と空花は前後の何とも言えぬ雰囲気を無視して、やたらめったら手を叩いた。




「「よッ! 待ってました!」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る