月已の歴史
「…………読めねえ」
本を開いて早々に飛び込んできたのは、辛うじて読めなくもない程度の古めかしい言葉。読めなくもないというのは漢字が判別出来るというだけで、言うなれば中国語のテキストを見た際に漢字の羅列から何となく意味を拾う程度の『読める』でしかない。
「先生はこんなもの読んでたのかよ……」
空き巣をしに入ったはいいが物を持ち出せない。正にそんな気分だ。他の本も全部似た様なもので大差はない。読める漢字が多少増えたり減ったりするだけ。更に言えばこの本、劣化が酷く読めない部分まで存在する。ボロボロの装丁に似つかわしい汚さである。ドキドキしていたのが次第に馬鹿らしくなってきた。
「……そうだ。そんなものを読んでいたんだ」
「―――あ、つかさ先生ッ」
「あ、じゃないよ。幸音君はどうしたのかね」
「いやあ居なかったので分からないんですけど。済みません、お邪魔してます」
「ああ、お邪魔された。不法侵入だが許そう。それはそうと君―――反応を見た限りでは、読めないみたいだね」
寝起きと思わしきつかさ先生は、目の隈が全く取れていない。睡眠不足はちょっとやそっとでは解消されないのか、それとも隈は一時的な症状ではなく、恒久的なものとなってしまったか。寝ていないという線もあるが、診察室は幸音さんの決死の防衛により一目覗く事も叶わなかったので真相は明らかではない。
「読める訳ないでしょこんなのッ……もしかしてつかさ先生って頭良いんですか?」
「仮にも医者だよ僕は。違法な事に手を染めているから闇医者かもしれないが、しかしヤブ医者とは訳が違う。いやまあ、ある意味ではヤブ医者かもね。飽くまでも意味の転じる前で」
「どういう事ですか?」
「説としてあまり支持はされていないが、元々は名医を指す言葉だったんだよこれ。僕は名医だから何も間違ってない」
名医かどうかは他人が決めるものであって、自分が決めるものではないだろう。それが通用するなら俺だって名医を名乗れる。医学知識など応急手当と心肺蘇生くらいしか知らないが。しかも経験が無いから絶対に上手くない。
「つかさ先生が名医かどうかはともかく、これ読めたんですか?」
「読む為に借りたんだ、君は実に察しが悪いな。読めないなら返すのが普通じゃないか」
「そりゃそうですけど……見栄とか」
「こんなものでどう見栄を張って、誰にマウントを取ろうと言うんだか。そこにはこの月已町の歴史が記されている。図書館に長い間放置されていたのは……誰も興味が無いか、古すぎて誰も読めなかったか、だな」
「誰も興味が無いは言い過ぎでしょ。俺みたいに若い奴限定なら分かりますけど、世の中には民俗学者っていう人が居てですね……」
「ところがどっこい、もしその物好きがこんな物を見つけてしまったら、普通はネットに記事として出すか、何処かで本くらいは出しそうなものだ。その本にはこの町の真実の歴史が隠されているんだからね」
つかさ先生は片目を擦りながら待合室のソファに寝転がった。片肘を突いたその上に頭をのせて、医者とは思えぬ気楽さで構える。
「それに僕はこの本を図書館の奥から頂戴してきたんだ。何処かの誰かさんとは違って不法侵入じゃないよ。メアリの名前を使って手に入れた合法的な代物さ」
「―――あのう、アイツの名前を利用するのは勝手なんですけど、その内本人にバレますよ?」
何なら半分バレているだろう。どんな手段を使っているかまでは想像もつかないが、人間を生き返らせる事の出来る存在は何をやっても不思議ではない。俺達はコソコソ裏を掻いて打倒策を考えているつもりかもしれないが、それさえもアイツの掌の上のサイコロに則っているだけかもしれない。操られたくないと考えるあまり足を止めるのは愚策だが、もしアイツの思う通りに動いているなら、とても悔しい。
「組織じゃあるまいし、報連相は徹底されていないだろう。君の話を聞いてる限り、そして体育祭での所業を見た限り、他人に興味は無さそうだ。名前など勝手に使って構わないだろうさ」
正解だ。周防メアリは一切他人に興味が無い。特に信者と死人……雑草以下としか考えていない。俺は『視える力』のお蔭で例外に居るが、正直な所全く嬉しくないのが本音である。
むしろ無視してくれ。
「さて、話がズレそうなので戻そうか。この本には真実の歴史が書かれている。言い方を変えるなら、この町の歴史は嘘に塗りたくられている。いや、歴史は勝者が作るものだから仕方ないだろって話は置いといてね」
「自分で話の腰を折らないでくださいよ」
「突然だが君は、今世界中で最も信じられている宗教は何だと思う?」
「は? …………キリスト教ですか?」
「違う。科学教だ。以前も似た様な事を言ったんだが忘れたみたいだね君は。科学教とはこの世の全ては科学で記述出来ると信じてやまぬ心そのものだ。幽霊は科学的じゃないから嘘、神様は科学的じゃないから嘘。魔法は科学的じゃないから嘘。例に挙げたのは飽くまで極端な意見だが、これらを抜きにしても科学はとても信じられている。実を言えば、昔の人間と我々は大差ないのだよ。何故なら神にも科学にも悪意はないからね。悪意を持つのはいつだって人間さ。嘘の主体が『神』か『科学』かになっただけ……しかしこの町は、どうかな?」
「この町はどうって……どうって?」
「科学的じゃない奴が多すぎると言いたいんだ。見えぬ存在を認識出来る君、全知全能を地で行く周防メアリ。たった二人と君は言うかもしれないが、それでも多すぎる。神様や怪異に触れる存在など世界中で君くらいだろうね。ましてじゃれ合うなど……と言っても僕は神様など信じていないがね」
つかささんの話は一ミリも要領を得ない。早い所本題を話してくれないだろうか。それとも話の腰を折ってでも無理やり本題を…………いや、いいか。
きっとつかささんは説明が下手なのだ。説明が下手な奴はいつだって外堀から話したがる。誘導までにしておこう。
「要するに何が言いたいんですか?」
「この町の歴史には『信仰』が密接に関わっていると言いたいんだよ」
信仰?
全盛期の命様はこの町全体に崇め奉られていたそうだが、それの事だろうか。
「それが、どうかしたんですか?」
「さっきも言った様に、この町は嘘塗れだ。本質的には嘘だった信仰がこの町を興したと言っても過言じゃない。他の市に比べて異様に多い怪談や都市伝説はその名残だろうね」
「だーかーらー! 要約してください! もう言いますよッ? 回りくどいんですよ。さっきからなに遠回りしてるんですか! 教えるなら簡潔に教えて―――!」
「この町に神様なんて居なかった、と言ったら君は信じるか?」
…………………………?
………………?
…………。
「何言ってるんですか?」
分かりやすいのに、言ってる意味が分からない。普通の人には視えないかもしれないが、神様は確かにいる。命様というとびっきり美しい神様が。
俺の脳内を見透かしたように、つかささんは予想通りと言わんばかりに口元を歪めた。
「分かっているよ。居なかったのは随分昔の話だ。この町がまだ閉鎖的だった頃の話。千年以上前の話だ」
「千年前?」
「そう、千年前。君が神様から昔の事をどれくらい聞いたかは知らないが、君の事だ。その昔、神様は実際に居て、人々と触れ合い、信仰されていたとでも考えているのだろう。それは違わないよ。神様が居た前提ならばね。僕の言いたい事とは他でもない、この町の矛盾にある」
そこから先の事実を知る覚悟はまだ出来ていない。それでも逃げる訳にはいかず、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
「この町はね―――神を下ろしたんだよ」
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