檜木創太の役目

「お前がメアリの事を好きになったら解放してやるよ。いいか? これは強制じゃない。説得だ。な? 親友の頼みなんだから、聞いてくれたっていいだろ?」


「誰が聞くんだ、そんな頼み。俺に親友なんて居た事が無い。お前は単なるクラスメイトか、もしくは犯罪者だ。大体今までの事は水に流すって何様だ。流す権利があるのは俺の方だし、もう詰まってて流せねえんだ。あんまりふざけた事言ってると、てめえら全員殺すぞ」


「口だけなら何とでも言えるよなあ? しっかしまあもしも俺達を殺したら、捕まるぞ? メアリを嫌ってる奴は全員そういう運命にあるんだ。破滅だよ。絶対に間違えない道を用意されてるのにそれを歩まない奴は馬鹿だって、俺はそう思うんだが」


「あんな間違いだらけの道を正しいと信じて疑わない奴こそ本物の馬鹿だ。知ってるか? 世界の終わりってのは人類全てが善悪の区別をつけられなくなった時に訪れるものなんだ」


「じゃあ絶対に来ないな! 何せ俺達にはメアリが居るから!」


 ……話が通じないのはいつも通りか。


 説得できるとは欠片も思っていないが、反論はしておきたい。こいつらは沈黙を肯定としか受け取れないくらい想像力が欠如している。『話すのが阿呆らしくなってくる』とどうして発想出来ないのだろう。メアリに何もかも委ねているからそうなるのだ。本当に全く救いようがない憐れな奴等である。救う価値すら無い奴とは初めて会った。


「それにお前、少し勘違いしてるぜ? いやまあ、その勘違いが見たくてわざわざあんな映像見せたんだけどな? 流石はお前の妹だぜッ。お前の事が良く分かってる!」


「は?」


「お前、ちゃんと映像見たか?」


「猿轡のせいで良く聞こえなかったらしいな。見てねえよ。何度でも言ってやる。見てねえ。家族が強姦されてる映像なんて誰が得するんだ死ね」


「いやいや、あれは合意だぜ? ククククク…………おい聞いたか! こいつやっぱ気付いてなかったんだってよ! 完璧じゃねえか俺達!」


 再び巻き起こる笑い声。今いち状況が掴み切れず俺は沈黙せざるを得ない。だが文脈からおおよその真実を探る事は出来る。


「……もしかして、あの映像。合成か?」


「は?」


「合成なのかッ? それとも俺が清華と思い込んでただけで、別人で撮ったとか……勘違いってそういう事だろっ!」


 ビデオも終了したせいで、奇妙な静寂が場を支配する。木魚の一つでもあればこの静寂にも趣を感じられたかもしれないが、そんなものは学校に無い。寺院じゃあるまいし。およそ五分も続いた静寂は更なる爆笑の渦で以てかき消された。


「いやいやいや! そんな訳無いだろッ。確かに映像は撮ったぜ? だけどな、強姦じゃない。全部合意の上だって……強姦っていうシチュエーションだな、要するに」


 ニタニタ笑いが気色悪い。俺を舐め腐っているかの様な、見下している様な瞳が汚らわしい。メアリを盲信し、思考停止した奴に見下される事がこんなに腹立たしく思えるとは。


「まあ? 確かに最初は嫌がったぜ? でもよ、メアリの為って言ったらいいよって言ってくれたんだぜ! 妹もお前に嫌がらせしたかったんだなー」


「…………話が見えない。どういう事だ」


「このビデオを撮ったのは去年の今頃でな。妹からの助言もあって完成したんだ! 『うちの兄貴はエロい映像見るのに抵抗があるから、流したら絶対目を瞑る』って! まあ実際その通りで、お前は目を瞑ったし、勝手に強姦だと勘違いした訳だ……マジで面白かったよお前の反応! ビデオの完成度はお前の反応込みで史上最高だぜ! 複製して学校中に配ったら金取れるかもな!」


 去年の今頃。俺が命様に会う前であり、清華が正気に戻る前の話だ。つまりアイツは……メアリ信者として一片の疑いも無く生きている最中、俺のクラスメイトと……わざわざ俺に対する嫌がらせの為だけに、身体を重ねた。


「…………何の為に、そんな事を?」


「そりゃお前の反応が見たかったからだけど……そん時はメアリに怒られてな。撮影は完遂したが嫌がらせ自体は中止しなくちゃいけなくなった。この映像も今までは俺達が私用で使ってただけで、何なら殆どお蔵入りだったんだが…………緊急メールでさ、メアリが探せって言ってきただろ? だから今がチャンスだって思ったんだ! この映像を見せたら、お前は妹と再会させてくれた俺達に感動して、俺達の説得を聞き入れてくれるって!」


 本人以上に破綻した論理に、俺は言葉も出なければ感情も発露しなかった。


 あまりにも常識離れした倫理観にこっちがおかしくなりそうだが、要するにこいつらは、当初嫌がらせの為にビデオを制作していたが、メアリに発見され中止。私用―――十中八九夜のお供―――に使っていたが、俺がメアリに清華捜索を頼んだせいで、こいつらにまで情報が共有。元々俺を説得したがっていた(と思われる)こいつらはこの映像を見せる事で恩を着せ、説得を受け入れてもらおう………という算段らしい。



 何を言ってるの?



 論理が破綻とかそういう次元の話なのだろうか。恩を着せると同時に俺への嫌がらせも兼ねるなんてぶっ飛び過ぎているにも程がある。何故それで俺が恩を感じるのかと思ったのかも分からないし、説得を受け入れる気なんて更々起きる筈もない。そもそも映像越しに出会った所で感動の再会とはならないだろう。


「…………お前達、一割くらい冗談で言ってたのに、遂に頭が腐っちまったんだな」


「んだと? ちゃんと妹と会わせてやったじゃねえか! お前の欲求は満たしたんだから俺達の説得くらい聞けよ!」


「何言ってんだ? 本当に何言ってんだ? ていうかお前等、メアリの為とか何とか言ってるけど、用はヤりたかっただけだろ? 音声的に避妊もしてないだろうし。てめえらの教祖様ダシに使うなんて信じられねえな。正しさを踏み台にした行いが正しい訳ねえだろ」


「ダシ? してねえよそんなの! メアリを利用する様な真似する事に何の意味があるんだよ!」


「清華から合意取る為に使ったじゃねえか!」


「今、お前の説得に使ったんだからいいじゃねえか! 良いか? メアリはな、お前の事が多分好きなんだよ。認めたくないけどな。メアリ祭からお前帰った後、ず~っとお前の事ばっか気にしててよ。でもお前は嫌いだろ? メアリは決して間違えないし、個々人の意見を尊重する良い奴だ。これじゃあいつまで経っても幸せになれない。俺達はな、メアリに幸せになってもらいたいんだよ。だからここで、お前がメアリを好きになるって約束してくれれば、お前も美人と結ばれて幸せ、俺達も幸せ、メアリも幸せ……WINWINじゃねえか!」


「何がWINWINだふざけんな! 人の妹強姦しといて恩とかてめえは脳みそに局部がついてんのか!」


「強姦じゃねえつってんだろ!」


「メアリを利用した時点で強姦なんだよ!」


 周防メアリの名前を使われて、俺以外にノーを突き付けられる人間は存在しない。その意思表示は完全ではないのだ。彼女の名前が一度出れば、どんな行動も正義になり、どんな犯罪も見過ごされる。法律は無効化され、倫理は破綻し、人々は善悪の区別もなく従う。


 それ程の力を持つ名前を使って得た合意は合意ではない。


「このビデオ、元々嫌がらせの為に撮ったんだろ。それを善行に使う時点で頭がどうかしてんだよ。馬鹿じゃねえのか?」


「お前、口の利き方に気を付けろよ? お前は説得を受けてる立場にあるが、身動きは取れないんだからな」


「てめえこそ口の利き方に気を付けろ。人を説得したかったらもっとマシな手段を取れ。言っとくけど、後ろの方でたむろってるお前達も同罪だからな! 誰が説得しようとしたって俺は聞き入れないぞ!」



「あいつ、マジで…………」


「せっかくね、私達が…………」


「メアリと恋人になれるなら俺達は大歓迎なのにな……」



「あ、分かった!」


 男が名案でも思い付いた様に手槌を叩いた。


「お前さては……自分の身の丈に合わないと思って辞退してるな?」


「合ってるけど合ってねえよ。それ以前の問題なんだよッ」


「意味分かんねえ。じゃああれか? もっと妹と再会したいか? 実はこのビデオ続きがあるんだよな~そっちはそっちでうちの男子全員参加した超大作なんだけどなッ。まあこれもメアリに怒られたんだが、説得の為とあっちゃ出すしかねえか!」


「…………おい。まさかとは……思うが。お前、クラスの……男子全員で、清華を犯した―――とか……言わねえよな」



「お、正解ッ! 今度はマジで正解だぞ!」



 視聴覚室に響く再びの拍手。しかしそこに賞賛の意はなく、只々、俺を嘲笑していた。


 メアリ信者はいよいよ正気ではない。信者だった清華も、メアリの名前があるとはいえどうして承諾したのか。俺の事は幾ら嫌いでも良いから、せめて自分の身体は大切にしてほしかった。そこまでして俺に嫌がらせをしたかったのか。そんなに俺の事が嫌いだったのか。


 信者共の戯言を聞いて、初めて俺は涙を流した。信者全てに嫌われている。その言葉を実感と共に理解していたつもりだったが、覚悟が浅かった。仮に清華が孕んでしまい、中学校を中退になったとしても、信者である限り彼女はきっと幸せだったのだろう。それがメアリの為ともあれば。


「………………本物は、何処なんだよ」


「メアリが探してんだろっ! 俺達はその間にお前を説得する、それが俺達の役目だ! お前の為に色々してくれてんのに、お前が感謝の一つもしないってのは土台おかしな話だろうがッ」



「落ち着けって斎藤! 俺には創太の気持ちが痛い程分かる。こいつはな―――映像見てなかったけど、きっと興奮したんだ! 自分でも妹を犯したいって思えてきたんだよ! だから本物を欲してるんだ!」



「ぶっとばすぞテメエ!」


 抵抗が無意味と知って尚、俺は全身を飛び上がらせた。視界の利かぬ暗室ではバランスが取れずに倒れてしまったが、俺は決して噛みつくのを止めない。


「何もかもおかしいからよく言っといてやる! 嫌がらせと善行は両立出来ねえし! お前達は俺の事を親友とはこれっぽっちも思ってないし! こんなクソ映像で感謝する程、俺の頭は単純じゃねえんだよクソカス共! なーにがメアリは正しいだ、なーにがメアリの為だ! お前達も……メアリも、昔とは少し変わったんだな! 今は悪意を感じるぞ! 悪意塗れだ! 正義の名の下に働く悪事は気持ちいいかッ? 誰も咎められない悪行はさぞ愉快なんだろう! 赦さねえ……お前達を殺してやる! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるううううううううううううううう!」






 ガタンッ!












 魂の底から這い出てきた殺意に呼ばれる様に、周防メアリが放送室に姿を現した。突然の教祖の出現に、クラスメイト達は揃いも揃って呆然としている。


「みんな…………酷いよ。どうしてそんな酷いことするの」


 メアリの双眸には涙が溜まっていた。今にも決壊しそうな程の、多量の涙。彼女の視界はきっと、涙で潰れて殆ど見えていない。


「私、世界中の人と手を繫ぎ合えたら良いって言ったよね? 皆、それに賛同してくれたよね? 何で、それなのにどうしてこんな酷いことするの? ねえ、どうして? 私に嘘吐いたの? 私を困らせたかったの?」



「い、いやメアリ。俺達は」


「お前の為にやったのであって……」


「わ、私もそう! 嘘ついてなんかない!」



「もういいよ…………もう、いい……うう、うううう。ぐす。すんッすんッ!」



 クラスメイト全体の動きが硬直する。彼女こそが信者の道しるべならば、或はその言葉こそ信者に通用する道理なのか。滂沱の涙と共に彼女が下した判決は、信者としての全てを否定するものだった。






「貴方達の事、嫌い」



  



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