他の誰でもない何処かの誰か

 周防メアリが完全無欠であるからと言って、その信者までもが完全無欠な筈はない。だからこそ彼等はメアリを盲信し、そこに絶対正義があると信じて疑わないのだから。俺を人海戦術で見つけた時も主導していたのはメアリで、彼等は虱潰しに一役買っていただけだ。要するに金魚の糞みたいなもので、アイツ等自身には完璧性など欠片も無い。


 何かを要求される可能性は無きにしも非ずだが、仮にそうだとしてもこの瞬間なら空花は俺の傍には居ない。巻き添えを喰らう可能性は皆無に近く、ならばリスクを避ける理由はない。どんな目に遭ってもメアリは何故か俺を助けるし、信者も俺を殺せないのだ。痛いのは嫌だが、それで清華が見つかるなら俺は…………


 一度は抜け出した建物に再び戻る事の恐ろしさは言葉で表せない。学校に来いとは言われたがメアリ祭は終了しておらず、その人混みは数時間前より更に酷くなっていた。


「はいはーい! 通りますよー!」


 声をあげて存在をアピールすると、海の様な広がりを見せた人混みが瞬く間に割れた。気分はモーセだが、俺は神からの指示など受けた覚えはない。俺は俺の考えで学校へ行くのであって、この思考には何者であっても干渉は許さない。



「アイツが檜木創太だっけ……メアリちゃんが嫌いな変わった奴」


「ああいうのは変わってるって言うんじゃなくて、精神異常者って言うんだよ。それも手遅れな方だ。どんな障害者よりも手遅れだぜ、アイツ。メアリさんが嫌いとかあり得ねえし」


「逆張りにしても面白い逆張りとかあるよなあ。面白いと思って嫌ってんならマジで草だわ~」



 俺が来る事は周知されていないらしい。緊急速報メールは携帯を持っている限り届いていないとおかしいが、では何故俺を呼んだのだろう。クラスメイトだけが清華を見つけたとでも言うつもりか。それは流石に都合が良すぎる。メアリじゃあるまいし。


 校門を抜けて自力解体ショーの開催されていた場所を見遣る。夥しい量の血液に『完遂御礼』の札が沈んでいた。何があったかは語るに及ばず、俺にはどうしようもなかったし、軽率な発言を謝るつもりはない。他人に興味がないメアリにとって俺以外の奴は文字通りの有象無象に過ぎないので、居ても居なくても関係ない。遅かれ早かれ彼は死んだし、他の信者もきっと死ぬ。


 軽率な発言を謝るくらいなら、生きている事そのものを謝罪しなくてはいけない。俺は自らを甘ちゃんとは思っているが、そこまでの馬鹿ではないと信じている。自分に非がある、とは思わない方が良い。多数派はその傷口に付け入り、こちらを壊しにかかってくる。


 多少傲慢になったとしても、自分は間違えていないと考えられなければこいつらの相手はやっていけない。もし誰かが俺と同じ状況になったら、覚えておくと良いだろう。


 昇降口から内部に入り、差し当たっては自分のクラスへ移動。階段を上っていた所で、見慣れた顔ぶれが俺を取り囲んだ。


「お、来たな! まあ当然か、俺達親友だもんな! へへへッ」


「親友かどうかはどうでもいいが…………清華は何処だ」


「ああ、勿論見つけたぜ。今から案内してやるから、こっち来いよ。あ、でも手錠だけはさせてもらうぜ」


「は? 何で手錠?」


「いいからいいから。清華ってのと会わせたら外してやるよ」



 …………成程。



 その言葉を聞いて、理解した。


 こいつらは嘘を吐いている。


 今すぐに逃げ出したい所だが、校内に居る信者の数は大体この町の人口と同数だ。それを相手に逃げ切れるとは思えない。無理に逃げればボコられるだけなので、事実上俺には選択肢が残されていない。嘘だと分かっていても、連行されるしかないのだ。


「へへ、行くぞお前らッ! 絶対メアリちゃんには連絡すんなよ? 彼女の邪魔だけはしちゃいけない。それが正しい行動だって俺は分かってるんだ」















 手錠、猿轡、荒縄。ありとあらゆる手段で拘束された俺は、視聴覚室まで連れてこられた。部屋全体に暗幕が引かれており、今しがた開けた扉を除けば、一筋の光も差し込まない文字通りの暗黒となっている。


 手錠だけとは何だったのだろうか。


「ほら、ここに座れ。今から清華ってのと感動の再会だからな。心しておけよッ?」


 最初から気になっていたが、『清華っての』とは何なのだろう。こいつらだって彼女の事くらい知っている筈だ。何せ俺の妹なのだから。


 清華に会わせる気が毛頭ない事など既に見破っているが、こいつ等はどうやら自分の演技が他人に通用する程の名演技だと思い込んでいるらしい。


「おい、上映準備オッケーだ! 流せ!」


 上映準備?


 全身を縛られている俺に拒否権はない。半ば諦めて正面を見つめていると、映像が映し出された。



『やだ! 何するのッ? 離してよ』



 開幕早々登場したのは清華だ。俺と同じ様に縛り付けられているが、普段着の上から縛られているこちらとは違い、彼女は下着姿だった。スカートだけ脱がされていないのは誰かの趣味だろうか。


 こんな形で妹の下着姿を見る事になるとは思わず、目を瞑った。何をするつもりなのかは分からないが、きっと見るに堪えないものだ。直視しない方が良い。



『うぇーい。創太ー、お前の妹ってこうやってひん剥いてみると中々エロいよな。お前も興奮したか? かはは!』


『あ、兄貴? え、兄貴に見せるの? 嫌! 兄貴にだけは見せないで!』


『だそうだが、お前は見たいよな? お前だって妹の事が嫌いだったんだろう? 嫌いな奴が酷い目に遭わされたってべつに良いよな! 俺はお前を親友だって思ってる。親友が喜びそうなことをするのが、やっぱ親友ってもんだろ』



 見たくない。聞きたくない。感じたくない。


 何が親友だ、何が喜びそうだ、分かってる癖に。清華への悪感情を抜きにしても、一体誰が家族の強姦させられる様を見て興奮すると言うのだ。


 そこから一時間程だっただろうか。妹の喘ぎ声と、クラスメイトの気持ち良さげな声が聞こえたのは。俺は何も見ていないし、何も感じない。只、音が聞こえるのを許容しなければならないだけ。手足も縛られ、まともに喋れないとなれば、俺が出来る唯一の抵抗はこれだけだった。途中で「見ろよ! お前の為に撮ったんだぜ!」とも言われたが、野次に耳を傾ける意味は無い。


 映画……というよりビデオが終了したと同時に、室内を盛大な拍手が包み込んだ。何に拍手しているのだろうか。あり得ないと思うが、もしもこのビデオに対して拍手しているのならそいつは倫理観がイカレているので、直ちに逮捕されるべきだと思う。


「いやー! 良かったわね! 私としては創太の感想を聞きたい所なんだけど」


「いへええよ。あえがみうんだこんなひえお。ええ、いあううにええ。えんうあいんあよおあえい。あさあおあおほうあ、おのえいほうをいへうこおがあいあいあっていうんあねえあおうあ(見てねえよ。誰が見るんだこんなビデオ。消せ、今すぐ消せ。センス無いんだよお前達……まさかとは思うが、この映像を見せる事が再会だって言うんじゃねえだろうな)」



「お、正解!」



 どっと巻き起こる笑い声。何が面白いのか俺には分からない。メアリの事しか信じられない可哀想な脳みそにならない限りは一生理解出来ないのだろう。笑いのレベルが高い低いの次元ではなく、笑い処ではない所で笑ってしまう。メアリ信者が人間として最底辺に位置する事はこの刹那の間に明らかとなった。


 烈火のごとく怒り、狂い、暴れたいのは山々だが、一周回って怒りが湧いてこない。何度も爆発している内に燃料が尽きたのかもしれないが、この十六年間で俺は慈悲の心を覚えた。あれ程ムカついて仕方なかった信者達が、今は憐れでならない。


 救いようのない奴は、死という救済でしか救えない。


 視聴覚室に居るのはきっと俺も含めてそういう奴ばかり。憐れで愚かで、不愍で。等しくメアリに人生を狂わされた者達だ。その狂気に対して彼らは服従、俺は反抗という形で以て己の正気を保つ羽目になった。誰が悪いなんて言えない。強いて言えばメアリが悪い。


「…………れ(で)?」


「ん?」


「おへはいふひはっはあ、あいほうあえうんあ(俺はいつになったら、解放されるんだ)?」


 猿轡はそれだけでは完璧ではない。舌を抑えるハンカチだか布を入れなければ完成しないのだ。舌が動かせる以上、頑張れば喋れる。


「しねえよ。ああ、そうだ。思い出した。ビデオの完成度が高すぎてすっかり忘れてたけど、そうだよ、そうだそうだ」


 男は上から俺の顔を覗き込んだ。プロジェクターの光に照らされ、男の顔が青白く浮かび上がる。




「なあ。今までの事は水に流すから、メアリの事好きになってくれないか?」




 支離滅裂。脈絡不在。妹が強姦される映像を見せた後にそんな要求を突きつけて、俺が呑むと思ってるのだろうか。


選択肢を選ばせる為に、猿轡が外された。これから俺は好きな事を宣える。口汚く罵ってもいいし、要求を呑んでもいい。


 何であれ、喋れるようにはなった。俺の言いたい事は変わらない


「俺はいつになったら解放されるんだ?」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る