ワタシと貴方で遊びましょう
かつて、俺はメアリを泣かせた事がある。だがその時は、特別何かが起きたという事は無かった。運悪く信者が傍に居た為に酷いリンチを喰らったが、今更リンチについて語る程、俺は俺の人生を忘れちゃいない。強いて挙げるとするなら、メアリも泣き止むまで止めてくれなかったという事だろうか。あの時は一連の流れそのものにうさん臭さは覚えていなかった為、本当に死を覚悟した。
だが信者がメアリを泣かせる、という流れは一度も体験した事がない。それ自体あり得ない事だと思っていたから。
「め、メアリ…………!」
「うううう……うううう……!」
信者達は駆け寄ろうとするも、何故か一歩進んだ所で足を止めた。自分の意思でそうしている様には思えない。まるでそこに壁があるかの様に、彼らは立ち止まっている。俺の剥き出しの殺意よりも、彼等はメアリの啜り泣きに気を取られていた。
信者共の表情に変化があったのは、その直後だった。
「…………ヒ!」
「…………い、いやッ」
「何だ、お…………うわあ!」
彼等は何かに怯えていた。メアリではない他の何か。俺には虚空しか捉えられないが、どうやらそれはそこら中にあるらしい。個人によって向いている方向は様々であり、しかしその反応は一様にして恐怖が極まっている。
―――何が起きてるんだ?
初めて視えない者の気分を味わった気がする。傍から見れば俺はこんな危ない奴に……いやしかし、俺の力が作用しないという事は、彼等の視る何かはまやかしに過ぎない。しかし元々視えぬ彼等に、それがまやかしかどうかなど分からない。分かる筈もない。視えている世界がその人にとっての世界であり、客観的に虚構であったとしても、その人が『在る』と思っている限り、きっとそれはそこに『在る』。
「うううう……酷いよ…………酷いよぉ…………うええ……………ぅぅぅ……!」
信者共は最早メアリの言葉さえも聞いていない。彼等は防衛的に円陣を作り、視えない何かに対して、必死に抗わんとしていた。
「く、来るな! 来るな来るな! 来るなアアアアアア!」
「やだやだ……ちょっと、触らないで! や! いやあああ! 入ってきた! 体、体の中に……!」
「何だよ、おい何が悪かったんだ? おいやめろ! やめろって! やめろよ!」
おかしいのは見ての通りだが、あれだけ構ってきた俺や絶対服従を誓うメアリにさえ見向きもしないとは、一体何を見ているのだろう。予想だにしなかった光景に、俺は殺意を忘れて見入っていた。人の不幸を目撃した時、ともすれば人はそれを見届けがちだ。或はこの国の国民性なのかもしれないが、どうなるのかという結末ばかり気になって、何をすべきかが全く考えられない。
「うわあああああああああああ!」
信者の一人が視聴覚室を飛び出した。そして廊下でもまた叫び声を挙げた。外に居るのは同志ことメアリ信者だけの筈で、それを今更怖がる彼等ではない。いつの間にか拘束が外れていたので事態を見届けるべく俺は部屋を出ようとしたが、もう一人の……女性の信者までもが様子を急変させた事で、足が止まった。
「やだ…………やめてやめてやめて! ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!」
女性はその場に蹲ると、自らの身体を掻き毟り始めた。しかしその速度と深さは一切の加減を知らず、三往復目で皮が完璧に剥がれたと思えば、肉が見えても尚掻き毟っている。それは腕だけの話ではなく、手の届くあらゆる箇所。顔や頭皮でさえも例外ではなかった。髪はドンドンと抜け落ち、そこそこ端正だった顔立ちは見る影もなくボロボロになり。三十分も経た時には動かなくなった。
残っていた他の信者達も様々な変化を見せつつ発狂している。一人は視聴覚室の窓に勢いよくダイブし校庭へ。一人はその場で全裸になると共に廊下へ脱出し、一人はその場で日本語とは思えぬ名前を呟きながら虚空に向かってひたすら拳を振るい続けていた。
誰一人、正気を保った人物が居ない。
「お、おい…………」
見ているだけで不安になってくる光景に、俺は思わず声を掛けた。彼らが心配になった訳ではないのだが、ここまで急変されると、流石に様子くらいは確認したくなるというものだ。それがまともな人間だろう。信者は異常だが、異常者は異常者なりに正常を保っていた筈なのだ。
しかし反応はない。俺の事など見えていない様だ。
「うううう…………みんな、信じてたのに……私がバカだった……私の事、ずっと陰で笑ってたんだね…………だって、共感してくれないんだもんね。私の理想なんて、どうでも良かったんだもんね」
そもそもの発端と言えば、メアリだ。彼女が泣きだした事でこのよく分からない現象が起きた。泣き止ませる事が出来れば元に戻るのだろうか。しかし元に戻った所で……既に、手遅れな気もするが、やはり収束させた方が良いに決まっている。珍しく憂鬱気味なメアリに、俺は何と言葉を掛けて良いか悩んだ。
こいつを泣き止ませる羽目になるなんて、人生とは何が起こるか分からないものだ。
「め、メアリ…………おい」
「うううう…………うううううう……創太?」
「あ、ああ。えっと……取り敢えず、泣き止まないか? アイツ等、もうお前の話なんて聞いちゃいないぞ。泣いたって無意味だ」
「話……聞いてない………………?」
「部屋に殆ど誰も居ないからな。聞いてないと思うぞ。だから取り敢えず……泣くの、止めないか?」
何故殺意に心を奪われていた俺がこうも素早く正気を取り戻さなければいけないのか。俺は狂気に染まってはいけないのか。こればかりは偶然か、それとも俺の発狂を聞きつけたメアリが単に助けに来ただけかもしれないが、やはり都合が良い気はしてならない。今から殺意に呑まれろと言われても無理だ。それ以上に狂気に駆られた者の姿を見て、落ち着いてしまった。
「…………頭、なでなでして」
「は?」
「創太に…………頭、撫でてもらいたい」
ちょっと待て。
こいつ、嘘泣きしてないか?
家族に言うなら話は分かるが、俺に言ってしまうと、どう考えても『泣き止んであげるから』と要求を突き付けている様にしか見えない。俺の考え過ぎだろうか。メアリ関連において考え過ぎはないと思っているのだが、これも事態を収める為だ。分かっていても反抗出来ない。渋々頭を撫でてやると、メアリの顔が上がった。
「あーすっきりした」
そこには一欠片の涙もない、虚無の表情を浮かべた彼女の姿があった。
「創太君、有難う。私のお願い聞いてくれたんだね」
「――――――嘘泣きだったのか」
「嘘泣きなんてとんでもない、本当に泣いてたよ。でも撫でてもらったから泣き止んだ。ホントだよ」
「じゃあどうしてそんな顔が出来るのか、今すぐに教えてもらいたい所なんだが」
「そんな事よりも、貴方が知りたいのは清華ちゃんの情報じゃないのかな」
「…………本物見つけたのか!」
「見つけてないよ。だって貴方が特徴教えてくれないんだもん」
「………………だからお前知ってんだろ! ホテルでお前相手に説教かましたアイツが清華だっての!」
これを言ってしまうとあの時隠れていた事を自白する様なものだが、致し方あるまい。背に腹は代えられないのだ。
「え。そうなんだ」
「そうなんだって………………え? 何、お前。覚えてないの?」
「覚えてないっていうか、あれが清華なのかな。でも私、死んでる人じゃないなら覚えてる筈なんだけどな。よく分からない。ねえ、創太君」
「本当に清華ちゃんは、生きてるの。私、全然顔を思い出せないんだけど」
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