さらば現世

「つかさ先生、何をご覧になってるんですか?」


「ん。ああこの地域の歴史を振り返っているんだ。創太君は僕の患者だからね。この騒動が集結するまでは……まあ、協力するとも」


「じゃあこの……ボードに書かれたのは」


「考察だね。彼のせいで、僕の素晴らしい考察が全て破綻してしまった。思考回路から組み直している所だ。それにしても、彼の力は興味深い。こういう結果を生むと分かっているなら……僕にも考えがある。彼の視える力が……まさかこんな結果を生む事になるとは夢にも思わなかった」


 僕は呑みかけのコーヒーに再び口を付けた。何故かその様子を幸音君は窺っていたので、先んじて声をかけておく事にする。


「どうかしたのかな?」


「あ……ッ! あの、先生に頼まれたもの、調べてきました」


「おお、そう言えばそんな事も頼んだねえ。すっかり忘れていたとは言わないが、君にしては随分と早かったんじゃないかな?」


「せ、先生の為に…………頑張ったんですッ。私……!」


 幸音君はとても役に立つ子だ。僕の言葉に従順で、素直で、優しくて。彼女が助手に出来たことを僕は誇りに思うべきだ。尤も、出会った経緯は誰が聞いても感心出来ないだろうがね。


「それで、どうだった?」


「は、はい。えっと……結論を言いますと! 山の中に神社があった事は一度として無いそうです!」


 …………噛み合わない。


 だからこそ、この話は筋が通っている。檜木創太という存在を歯車に、彼の持つ視る力とやらをきっかけに。


「…………幸音君、君に一つ問題を出そうか」


「な、何ですか?」


「歴史と記憶はどちらが正しいと思う?」


「え?」


「黄泉平山は自殺の名所として有名だ。しかし歴史書には、神様の降りた山―――即ち神聖なものとして記されている。人々は山の上にある神社でその神を崇め奉ったとも」


 幸音君はせっかちなもので、そんな筈ないと食い気味に反論。僕は彼女を優しく抱きしめて、何度も何度も背中を撫でる。


「落ち着き給えよ。僕は君を疑ったりしてない。君を疑ったりするものか。僕は君を、そういう環境から離したくて引き取ったんだから……」


「間違ってないんです……私は、確かに。絶対間違えてない…………!」


「―――はあ。問題が破綻した。破綻してばかりだな。正解なんてないよ。どちらも正しいんだ。飽くまで予想に過ぎないのだが、メアリの問題はこの町全体の問題である気もするのだよ」



 ガチャッ。



「―――やあ、久しぶり。待っていたんだよ君を。その後の調子はどうだい?」


















 檜木創太最大の危機が、訪れている。


「なあ、二人共。取り敢えず状況説明をしてもらっても構わないか?」


「え? おにーさんを縛っただけですけど!」


「縛るな! 命様も協力しないでくださいよッ」


「そうは言うがのう。お主が蹴鞠遊びで負けたからこうなったのじゃぞ?」


「蹴鞠なんて現代でやりませんよ! 空花は何で出来るんだよ!」


 縛るだけなら文句は言わなかったが、柱に両手を括り付けてくれたせいで、強制的に身体が無防備になっている。脇を擽られる事が苦手だったりするのだが、この状態では抵抗もままならない。ツッコむのは野暮かもしれないが、こういうのって……男性に仕掛ける物なのだろうか。


「ていうかきついんだよ! 少しくらい緩めてくれたって罰は当たらないんですけども!」


「そこまできつく縛ったつもりはないぞ。さてはお主抜け出す気じゃな?」


「うぐ…………」


 俺の浅知恵など命様にはお見通しという訳か。彼女には全く敵わない。諦めて現状を受け入れようすると、空花が胸を中心に、俺の側面にぴったりとくっついた。


「…………ッ! お、おい、離れろ!」


「いやーだ! おにーさんの反応面白いもんッ! でも普段のおにーさんは逃げちゃうでしょ? こうすればずっと弄れるもんねー!」


「ククク、そういう訳じゃから諦めよっ♪ この時よりお主は妾達の玩具となったのじゃ!」


 騙された。人間不信が聞いて飽きれる。弄るだけならまだしも、空花が女性なのが一番の問題だ。そして只の中学生で無い事が何よりの問題だ。何度も何度も言っている。それでもどうにか躱してきたのに、不可避の状況に追い込まれてしまった。


「逃げ出したいなら逃げてもいいよー?でもおにーさんの肩の辺りにくっついてるから、体を揺らしたらもっと触っちゃう事になるけど」


 では反対方向から脱出すればいいと思うだろうが、残念な事にもう片方は命様がくっついて離れない。全盛期でないだけマシとも言えるが、こんな状況になっただけ最悪とも言える。


「もおおおおおお! 何したいんですか二人共ッ! 俺弄っても楽しくないでしょッ。辞めてくださいよ、俺初心なんですよ! 一番したくもない奴とキスした事実を除けば、何もかも未経験で……頭がおかしくなるんですよおおおお!」


 俺を誘惑するのは辞めてくれ。メアリと絡み続けているせいで、まるで無敵の耐性を持っているように見えるが、それは違う。アイツを女性として見ていないだけだ。何らかの怪物にしか見えない相手に欲情は出来ないだろう。


 ああ、駄目だ。もう駄目だ。理性を失う。かつての姿を取り戻した命様一人で骨抜きにされた男が、どうしてこの状況で耐えられるというのか。俺の悲痛な叫びも、二人には全く届かない。その実嬉しい悲鳴である事を知っているからだろうか、それとも単純に、サディストの気があるのか。


「―――初心だからこそ、じゃ。のう空花」


「おにーさんって希少だよね! 私のクラスでもこんなに初心な人いないよッ?」


「そりゃあな。人間みたいな怪物に事あるごとに絡まれる奴は居ないだろ」


「だから可愛くてッ。おにーさんが恥ずかしがりながら、それでも本能に抗えない様子を見てるとゾクゾクしちゃう!」


「うーわクソみたいな性格してるなお前! マジかお前趣味悪いぞ!」


「褒めてくれて―――」


「褒めてねえよ!」


 これはこれでギャップだ。ただし萌えられるかどうかは人によるだろう。俺の場合は萌えられないし、萌えるより早く理性が灰になるだろう。



 ―――後少しか。



 二人がその場でひっくり返って笑っている内に、俺は着々と脱出の準備を進めていた。自慢ではないが、これまでも幾度となくメアリに捕縛された俺にとってこの程度の束縛は拘束たり得ない。女体が隣にさえなければ、直ぐに抜け出せる。


「クククククッ! 望月の上った時が楽しみじゃのう! 無論空花も泊まるのじゃろう?」


「えーお泊りッ? もっちろん! 命ちゃんの事もおにーさんの事ももっと知りたいもんッ!」



 ―――抜けた!



 命様はともかく、こちらが動けないのを良い事にやりたい放題してくる空花には腹が立っていた。腕が自由になると同時に、お返しのつもりで俺は低い姿勢から彼女にタックル。床板を背に押し倒し、俺の息がかかるくらいまで顔を寄せる。


「きゃ………………お、おにーさん?」


「お前なあ……怖いだろ? 怖いだろ! 怖いと思ったら二度と俺にこんな真似をするな! もう我慢が…………人間としての倫理を踏み越えない為に必死なんだ!」


「……あはは。おにーさんってずっとおかしな事言ってるよねー。私とおにーさん二歳差なんだよー。それに私、付き合うのも結婚するのも年上の人がいいなッ!」


「え…………? いやいや、俺とお前は付き合ってないじゃん!」


「だーかーらー。ね? おにーさんにこういう事されても私はちっとも怖くないし……えへへ♪ 少し嬉しい! 所で顔が近いんだけど、キスして欲しいのかな~?」


 今までの言動と行動からして、空花は俺を弄る為なら実際にする事さえ躊躇わない。慌てて離れても、結局彼女の思うつぼだ。ずっと前から俺は詰んでいた。


「…………なあ。もしかして俺って怖くないのか? 殺意、出してるつもりなんだけど」


「うん。全然怖くないよッ。だっておにーさんの眼優しいもん。本当は誰も嫌いたくないって感情が見えてる。合ってるよね?」



 …………俺は目を伏せて、沈黙で返した。



「そこがお主の良い所ではあるがの。故に、特別直す必要はないと思うぞ? 心の綺麗な者と共に過ごす時間は心地よいからのう」


「そうだよねー。心が澄んでる人って一緒に居ると気持ちいいよね~。分かるよ、命ちゃん! すっごく分かるッ」


 心が綺麗? それは二人の妄想に過ぎない。中学生に欲情し、神様に煩悩を抱く俺の心が綺麗なものか。それにメアリを心の底から嫌っているし、家族の事も許せないような小さい男だ。そいつの心がキレイなどとは笑わせないで欲しい。俺は…………色々と、手遅れな奴なのだ。


 思いつめた様子の俺を見かねてか、空花が制服の生地を引っ張って顔を覗かせた。


「おにーさん大丈夫? 胸でも触る?」


「―――心配してくれて有難いが、触らねえよ……だけど有難うな。お蔭でアイツの心理が少し分かった気がする」


「メアリさんの心理? え? もしかしてメアリさんもおにーさんの事好きなの?」




「それはない」


 あり得てはならない。


 こう言ってはあれだが、普通に気持ち悪いし。







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