神眼の閉じる内
「一つ思ったんだけどさ」
「おう」
これだけ女性に対する免疫で弄られると、流石に少し慣れてくる。空花は気分屋で、今は俺を弄る代わりに命様にべったりくっついてじゃれ合っている。女性同士の仲良さげなじゃれ合いは中々どうして感慨深いものがある。
男としてはその中に混ざりたいし、二人なら喜んで混ぜてくれるだろうが、せっかく逃れられたのにわざわざ同じ状況になりに行くとは滑稽極まりない。豊かなものをお持ちな空花のアレが背中にでも当たった日には、頭が狂ってメアリ信者になる事間違いなしだ(俺にとって信者とは頭のおかしさの象徴なのだ)。
「おにーさんが居ない時って、メアリさん何してるんだろうね」
「……今はメアリ祭だろ。第二部がどうとかふざけた事言ってたじゃないか」
「そうじゃなくてさ。おにーさんと絡む時のメアリさんって凄く生き生きしてるけど、普段はどうなんだろうなあって。なんか私……想像出来ないよ」
『彼女は君が関わらない時は優等生以外の何物でもないんだ。おかしな行動なんてしないし、誰か友人を連れて好き放題もしない。君が関わっている時、巻き込める時にのみ、彼女は豹変する』
全くの偶然だろうが、つかささんが言っていた言葉と一致した。そう言われると、俺もおかしくないメアリなど想像もつかない。アイツが只の優等生なら、俺の嫌悪は只の劣等感として処理出来たのに、今までの所業がそれを許さない。
「…………俺も出来ないな。おかしくないアイツとかあり得ない。そいつは多分メアリじゃないよ」
「そこまで言うー? それはちょっと言い過ぎじゃない?」
「いや、絶対に言い過ぎじゃないな。俺からすればその認識が全てなんだ。アイツは法律すら書き換える異常者で、便宜上女性にしか過ぎない何かだってのが、きっと真実だ。それ以外あり得ない」
「妾は、早計な判断だと思うがの」
命様が強気な態度で言い切ったが、そんな彼女は空花に背後から抱きしめられており、とてもそんな態度を見せて良い状態ではない。しかし空花のちょっかいを流せている時点で、その精神性には見習うべきものがある。
「どうしてですか?」
「お主らが来ない間にも、妾なりに考えてみた。メアリの異常性は妾も良く知っておる。その気になれば世界中を掌握する事も訳ないと。だからこそ妾はこの状況を怪しく思っておる。おかしくない時が無い、と仮定するなら、既にこの世はあやつの物になっている筈じゃ。現にそうなっていないのはお主らも知っての通りじゃろう。創太には見えぬ別の側面があるのは間違いあるまい。問題は、その道理がにわかにして変わった事じゃ」
「市長になった事…………あれ? 俺、話しましたっけ」
「俗世の気配には敏いのじゃ。先程は自らを卑下したが、それでも妾は神じゃ。力を全て失っていたとしても、その事実は動かぬ。神には神の視点があるのじゃよ創太。お主から見える世界が、俗人のそれとは違うようにな」
自分がその色を『赤』と認識していても、他の人までがそうとは限らない。視界とは即ち世界。肉体を通して魂が覗く人生そのものだ。空花が命様の髪をすんすんと嗅ぎ始めたが、本人は気にも留めていない。
「創太。お主の記憶に間違いは無いな? メアリが普通で無かった時など一度として見ていないと」
「間違いようが無いですね。人ってネガティブな記憶だけやけに覚えてるもんですから。細かい部分は違うかもしれませんけど、アイツがとにかくおかしかった事は間違いありません。それが話の中心なんですから」
「……ついでに、俗世の出来事について話してくれると助かるのじゃが」
「あ、すみません。直ぐに説明します―――」
説明下手な俺でも、これくらいなら簡潔に語れる。
メアリがこの町の長になった事でこの地域は掌握された。
俗世における諸々の出来事は全てこの一言で集約出来る。
「…………ふむ。猶更おかしいのう」
「まあ行動はおかしいですけどね」
「その通り、行動がおかしい。妾はお主から聞かされた話と実際に見た所業しか知らぬが、そのメアリならば突然そんな事はせぬじゃろう。お主に対してあまりにも関わりが薄い」
命様は何やら難しく考えているが、要するに野心が無かったメアリに突然野心が生まれた事について理由を探っているのだ。そしてそれは、当初から俺が抱いていた疑問でもある。野心らしき野心と言えば世界中と手を取り合う云々という理想論があるが、今まで具体的に行動を起こした事は無かったのでカウントしない。カウントしてしまうと、それはそれで今まで行動を起こさなかった理由について悩まなければいけなくなる。
『理由が分からないどころか、まだまだきっかけに過ぎない。しかし彼女は如何なる理由か君を求めている。分かりやすく言い換えようか。君が傍に居る限りメアリは必ずアクションを起こす。だから傍に居ればと言ったんだ。彼女の影響を受けないのは君だけだし、『普通』の皮を剥がせるのもまた、君しか居ないんだ』
つかささんの言葉が頭を過る。『普通』の皮を剥がせるのは俺しかいない。神様の視点から似た話を聞かされると、彼の言葉はあながち間違いではなかったのかもしれない。ただし、彼の考えにしてもやはり同じ事が言える。
『普通』の皮を剥がせる俺が居るから異常行動をとる、というのなら。それ以外は大人しくしていて然るべきなのだ。
何故急に、俺を必要としなくなった。
『普通』の皮を自分で剥がして、一体何がしたいのだろう。どんな切り口で考えても、誰のどんな考えを基に自分で繋げてみても、絶対にそこで止まる。つまりは前提からして間違っているのかもしれないが、だからと言ってまた一から考えるのは馬鹿だ。これ以上遠回りしてどうする。今はこの前提で話を進めた方が賢明だ。
「……やっぱ、アイツの家にでも行った方が良いのかなあ」
今度遊びに来るらしいから、その時にでも言ってみようか。
「…………あ」
「どったの?」
何か解決の糸口は無いかと探していたら、この話とは全く関係ない筋の事を思い出してしまった。
「命様。申し訳ないんですけど、ちょっと山を下ります」
「む? 何かあったのか?」
「いや、ちょっと気になる事が……夜までには戻るので、空花と一緒に待ってて下さい」
「りょーかーい! ていうか今日はお泊りになったんだ。晩御飯用意しておくねー!」
檜木創太は高校生だ。一人暮らししたいのは山々だが、俺に家を貸してくれる人はこの地域には居ないし、そもそも独り立ちできる程の貯金が無い。だから大嫌いな家族と不本意ながら暮らしているのだが、気づくべきだった。
清華が家に帰ってきていない事に。
つかささんの電話のせいで頭から抜け落ちていたが、清華なんて猶更一人暮らしの出来ない立場ではないか。何故家に帰ってこない。父と母の二人だけの晩飯など久しぶりに見たが。
山から自宅まで三〇分。全力で走ってきた。玄関を素早く抜け、二階へ移動。清華の部屋を覗くも……まだ帰ってきていない。アイツの中学校はメアリのせいで学校としての体裁を保てなくなったので、部活動等の理由は考えられない。
「…………おい、創太」
背後から掛けられる筈のない声が聞こえ、思わず身を縮こまらせてしまった。そう呼ばれたのは何年ぶりだろう。いや、いつぶりに話しかけられただろう。まるで普通の親子みたいに。
「……何か用か?」
声の主はわざわざ振り返るまでも無く俺の父親だ。いつもの刺々しい声が今はとても平たく、柔らかくなっている。会話に応じたのも、その異変に気付いたからである。
「………………清華、見てないか? お前の所には絶対に来ていないと思うが」
「……帰ってないんだな。やっぱり」
「見たのか!?」
「俺がメアリと海行った時に出会ったよ。けど普通に帰ってると思ってた。喧嘩でもしたか?」
「清華はお前と違って良い子だ! 俺の娘だからなッ。お前みたいなバカ息子と一緒にするな!」
この反応はいつも通り。メアリと出会ってから日常はこんな感じだ。今更目くじらを立てたりするつもりはないが、父親が変わらないのに清華だけ態度が軟化するのは随分妙な話に思える。それと家に帰っていないのは、何か関係があるのだろうか。
「今度会ったら帰る様に言え! いいか、分かったな? もし清華が戻ってこなかったらお前はもう息子でも何でもない! 二度と家の敷居は跨がせんぞ!」
「前から息子だなんて思ってない癖に良く言うよ。けど、分かった。会えたら言っとく。変な奴に連れて行かれたりしたら大変だもんな」
「お前みたいな奴に連れ攫われたら大変だ!」
「…………」
人に物を頼む立場が良く分かっていないらしい。これだから俺は家族が嫌いだ。命様と夫婦になるまでつかささんの所にでも居候させてもらおうかな。
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