愛ある乙女に秘密は憑き物

 メアリに間一髪で助けられている(生殺しにされているとも言えるかもしれない)俺とは違い、空花にその加護は無い。俺がしっかり守ってやらねば絢乃さんと同じ目に遭わせてしまうかもしれない。それは駄目だ。一応は信者としてこちら側の事情に関わっていた彼女とは違い、空花はメアリの力さえ知らなかった正真正銘の部外者だ。それを俺が信者欲しさに巻き込んでしまったから、今ここに彼女は居る。


 このナンセンスぶりは言うなれば演劇の最中に観客を引っ張り出して無理やり役を与えるのに等しい。居なかった筈の役割が増えれば脚本も当然変わる。悲劇を好むタイプの作家であれば、まず殺してしまうだろう。メインキャストと深い関わりがあるという事にしてから殺せば、それだけでドラマが生まれる。傍から見れば容易い話だ。人の生き死に程安く作れる感動は無いと、或は神様もそう思っているのだろうか。


 冗談じゃない。


 当事者の気持ちはどうなる。深い関わりのある人間が死んで悲しまない人間が何処に居るだろうか。願わくは死なないで、死ぬのならば幸せに。世界の全てを知る存在の都合などこちらは知った事じゃない。身近な人には死んでほしくないし、出来ればずっと生きていてほしいのだ。叶わぬ願いであると分かった上で、それでも尚。


 では守る為にはどうすれば良いか。ずばり俺にくっつければそれで話は解決だ。信者共の脳みそは腐っているからか相当な単純化がなされており、何に置いてもその場に俺が居たらヘイトを溜めるのは俺になる。空花がもし何かやらかしてヘイトを集めても、俺が適当に前に出て挑発してやればリンチを受けるのは俺だ。痛いのは嫌いだが死ぬまではいかないし、殺されそうになったら大体メアリが現れて強引に争いを終わらせるので無問題。アイツに助けて貰っているとも言えるし、俺がアイツを利用しているとも言える。どちらか好きな方を選べと言われたら、俺は迷わず利用している事にするだろう。その方が何だか優位性を感じられる。


 ……という理由から俺と空花はくっついているのであって、決して彼女の胸の感触が忘れられないからもう一度やってもらった……とか、そんな不純な理由はない。ある訳ない。


「おにーさんってばこういうの好きなの?」


「そんな訳無いだろ。俺はお前の身を案じているだけだ……うん。そうだよ。でなきゃ俺が腕を挟ませるなんて破廉恥な行動を求める訳無いだろ!」


「破廉恥って自覚はあるんだ……自分で言うのもどうかと思うんだけどー。おにーさんってむっつりスケベな感じの人なの?」


「誰がスケベか誰が! そりゃあ命様の裸は常日頃から見たいと思っているが、お前の様な中学生の裸は…………まあ。まあまあ。それはそれとして~みたいな、一旦置いとこう」


「はぐらかすの下手くそだよ~。そんな必死にならなくてもこれくらいだったら幾らでもしてあげるよッ。同じ神様を信じるよしみって事で!」


 腕を挟む圧力が強まった。胸を盛っていると仮定した場合、これだけの圧力が掛かる道理はないので、やはり空花は発育詐欺師だ。中学生がまだ発育の途上なんて大嘘も甚だしい。彼女みたいに成熟しきった身体を幼体とは言わないし、襲ったとしてもロリコンには……年齢的にはアウトのでセーフよりのアウト。セウトと言った所か。



 襲わないけどね。俺の理性と信仰心に懸けて。



 何かの間違いという可能性は今からどう警戒しても防げるものではないのでノーカウント。大丈夫だ。間違いを起こす確率で言えば命様の方がずっと高い。例えば七日七晩の契りを交わす為の鍛錬……と称せば、行為に漕ぎつける事など容易だ。その気になればいつでも出来る。メアリの事で手一杯だから俺もしないだけだ。




「ギャ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!  …………フ、ウ、ウ、ウ。グ……ギャ…………ゲッ!」




 除夜の鐘を以てしても消し去れ無さそうな煩悩に呑まれかけていた俺を助けたのは金切り声と呼ぶには低すぎる叫び声。金切りというよりは石臼で何かを潰している時の様な濁った音。




「「「「うーで! うーで! うーで! うーで! うーで!」」」」




 沸き起こるコール。続く叫び声。俺の予想通り校庭から聞こえる。観客は楽しそうだが実際はどうなのだろうか。メアリを信仰する奴等は倫理観をドブに捨ててきた奴等ばかりだから、傍目には趣味の悪い実験としか思えないものでも楽しめる可能性がある。体育祭という前例がある以上、俺の想像はまるっきり出鱈目とは言い切れない。


「何してるんだろ。見てみる?」


「…………いや、わざわざ行くまでも無い。渡り廊下から様子を窺えばいいだけだ。変な物だったらそのまま突っ切れば体育館だしな。幸い、ショーをやってくれてるお蔭で人混みの流れも止まってる。メアリの秘密を見たら帰るつもりなんだからその方が効率的だろ」


 などと話している内にもう渡り廊下に来てしまった。この学校は存外に狭い。元々が外部者なせいだろう、空花はショーの内容に大層興味を抱いていた。正常な人間なら覗きたくないだろうに、肝心な所で鈍いのは致命的だ。やはり俺が守らないといけない。


 我先にと出ようとした彼女を体で置仕留めると、一足早く渡り廊下へ行き、壁越しに校庭で執り行われるショーを覗き込む。



 校庭に掲げられた看板には自力解体ショーと書かれていた。



 観客(校内に頑として入らなかった奴等の事だ)だけで作られた円陣の中で玉の汗を掻きつつ苦悶の表情を俯かせるのは俺の腕をアイロンで焼いてくれた男。石で舗装された地面に膝をつき、肩口からは大量の血を流している。


 何事かとも思えば道理は単純。男の右手側にはノコギリが置かれていた。これだけ証拠が揃っているのだから察しの悪い俺と言えども何をしているのかは大体分かる。いや、看板の時点で嫌な予感はしていたのだが、その予感のおぞましさを、俺は現実を以て体験した。


「…………ッ」


 人は自らが危険に晒される状況を想定した時、脳みそが先んじてその痛みを引き受けてしまう事がある。高所恐怖症の人なら特に理解を示してくれるのではないだろうか。飛び降りたら死ぬという確信と共に足元を見下ろした時、全身がぞわぞわする筈だ。その感覚を一般的には竦むと言うのだが、これこそ俺の伝えた現象だ。


 人は己の常識を超えた痛みについては無知だが、常識の範疇における痛みには非常に敏感だ。これを俺は負の親近感と呼んでいる。ショーの真っ最中である男を見た時、俺を襲ったのは正にその感覚。


 中学生の頃、俺は技術の授業で信者共の反感を買い、ノコギリで顔を切りつけられた事がある。たったそれだけの経験だが、それでも他の人よりは遥かに、あの男の感じる痛みが理解出来る。休息に舌が乾いていったのはそのせいだ。


「………ハ、ハア。グウウウ…………………フウウウ、ウ」


 ノコギリを手に取る。そしてもう一度、血の吹き出したる傷口に当てて、苦悶の声を全力で張りながらゆっくりと切っていく。何度も何度も中断を挟み、今にも限界が訪れそうな頼りない動きで切っていく。


 否、メアリに命じられたから切っている。


 自力解体ショーに特別な捻りは無いが、しかし自分の身体を自分でバラさなければならないなど趣味の悪さここに極まれり。やろうと思う奴は居ないし、多分これからも現れない。どんなマゾヒストもそれだけは勘弁だと御免被るのが当然だが、信者は違う。彼等にとって何よりも大切なのはメアリであり、そのメアリの命令ならば世界一遠回りな自殺でさえも躊躇わずに実行できるのである。


 そんな悪趣味なショーを見るつもりなど無かったが、どうしても目が離せない。身体が動かないのだ。教祖本人はさておき、信者の事は理解したと思っていたのに、それも違った。アイツ等の信仰心は留まる所を知らない。


「おにーさん、ねえそろそろいいでしょ? 何やってたの? 教えてよ」


 空花の声を聞いた途端、体の硬直が嘘のように解けた。


「―――駄目だ、見るな」  


「え?」


「空花。目瞑ってろ。今から体育館に入る」


 彼女はキョトンとしていたが、物言わせぬ視線に圧され、渋々目を瞑ってくれた。俺はすかさず通せんぼをやめると、空花を掬い上げる様に持ち上げて、一気に渡り廊下を渡る。


「え!? ねえおにーさんッ? これってお姫様―――」


「つべこべ言わず黙ってろ! あんなものお前に見せられるか!」


 俺は空花の親でも何でもないが、一つだけ確かな事がある。



 情操教育に悪い。



 俺は異常者かもしれないが、中学生に一生もののトラウマを植え付ける趣味などないのである。
















「着いた。もう目を開けても良いぞ」


 ショーが長続きしているお蔭で、スムーズに階段を上れた。後は館内に足を踏み入れるだけだが、どういう理屈からか扉が閉まっているので、内部の様子を知るここから窺い知る事は出来ない。


 空花がパチリと目を開けた。


「…………お、お姫様だっこなんて。初めてされた」


「俺も初めてした」


「重くなかったッ? おにーさんの腰に負担とか掛かってない?」


「負担は掛かったかもしれないが、大した事はない。これでも身体は鍛えてるからな」


 全ては命様に幻滅されない為であり、その為の身体づくりがこんな所で役に立つとは考えもしなかった。かなり鍛えたつもりだが、それでも七日七晩の子作りには到底耐えられそうにないので、まだまだ身体づくりが足りないとも考えている。   


「そ、そうー。なら良いんだけど…………おにーさん、何を見たの?」


「強いて言うなら酷い物を見た。耐性無い奴があんなの見たら気絶するか一生夢に出るぞ。知らなくて良い」


「おにーさんは耐性あるって事?」


「そんなにある訳じゃないが、現実でお前を守れるなら夢でどんな目に遭おうが知った事じゃない。間違っても興味本位で見に行かないでくれ。そんな事しようものなら俺は全力で止める。この場で押し倒してでも止めるぞ」


 下心抜きにあんな悪趣味は見せるべきではない。心を歪ませるだけだ。特に思春期真っ只中の少年少女は、歪む処か破壊される危険性さえある。俺がその身代わりになれるなら安いものだ。もし心が壊れそうになっても、茜さんや命様がきっと慰めてくれる。しかし空花にはそういう存在が居ないし、例外とも言える命様はあの首飾りを付けなければ見えない始末。このメアリとの戦いにおいて、空花が頼れるのは俺しか居ないのだ。


「…………んー。本当は少し気になるけど、分かった。おにーさんがそう言うなら見に行かないッ」


「ああ、そうしてくれ……ったくあの野郎。マジでふざけんじゃねえよ本当に…………」


「話は変わるけどさ、おにーさん、今すっごい恥ずかしい発言したって自覚してる?」


 空花が揶揄わんばかりに目を伏せて微笑む。


「ん? お姫様抱っこの事なら、まあ緊急事態だったし別に恥ずかしくは……」


「それ発言じゃないー! 現実で私を守れるなら~って言ってたでしょ?」


「………………え? いやあ、そんな事言ってたかな~?」


「言ってたー! 言ってたよ、言ってたの! それとも照れ隠し? 無理に隠そうとしたら余計恥ずかしくなるって知らないのー? 頭が禿げてきたら隠すんじゃなくていっそスキンヘッドにした方がカッコイイでしょッ」


「個人差があるんじゃねえかなあ、その見解には!」


「私はそう思うの! だからおにーさんも恥ずかしがらないでよッ。結構キマッてたと思うよ?」


「改めて掘り返されると仮にキマッててもダサくなるから駄目だ! いや、記憶には無いぞ? 記憶には無いけど、俺はそう思ったんだ!」


 脳みそに都合よく記憶消去機能が付いていないのは人類種の欠陥かもしれない。格好つける柄でもない自分からの発言を忘れる筈もなく、彼女の発言通りはっきりと覚えている。しかし言い訳させてもらうと、説得のためになりふり構っていられなかったのが真実だ。とにかくあれを空花に見せたくなかった。


「ね、おにーさん。私ってちょろいんだよ~? 知ってた?」


「最近聞いたし、自分で言うなよな」


「えへへ♪ でも本当だから仕方ないよねー。おにーさんの事本気で好きになったかも!」


「今までは冗談で好きだったってか」


「ノーコメントッ」


「何か言えよ!?」


 一通り漫才が終わった所で、俺は先に立ち上がって空花へと手を伸ばす。


「ま、お前が無事なら何でもいいや。ちゃっちゃとメアリの秘密を見て帰るぞ」


「メアリさんの秘密ってどんなのだろうねッ!」


「秘密なんて無い事が秘密だった~とかふざけたオチもありそうだけどな」


 不思議なのは校内に入ろうとしなかった民衆がこぞって体育館に入っていった事だ。今しがたすり抜けた(ショーを見ているので動きが止まっている)連中は除いても、館内には多くの人が居る。それが猶更、秘密とやらの正体を分かりにくくしている。


 空花を勢いよく引き上げると、その勢いを利用して俺の手を僅かに登攀。手持ち無沙汰になった俺の手が彼女の胸を強くタッチした。


「なッ!?」


 思わぬ不意打ちに頬を染めた俺を見て、空花は満足そうに歯を見せた。


「いーけないんだ、いけないんだ♪ 私、中学生なんだよ~? こんな事しちゃっていいのかなー?」


 二歳も年下の女子に弄ばれる男、創太。何かするつもりではあったが、これでは二回目の漫才が始まるだけだと思い、仕切り直し。心を新たに引き締めて俺は勢いよく扉を開けた。






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