善因善果



「ねえおにーさん。パーティにはいつまで参加しよっか」


「ん? 何だ急に。でもまあ……当初の目的は達成したし、お前が飽きるまでかな」


「ほんとッ? やったー! おにーさん太っ腹ー!」


 あんな事を言われたにも拘らず、空花には少しも気にしている様子が見られない。それとも俺が気にし過ぎなのだろうか。十中八九そうなのだが、それにしたって少しくらい動揺してくれてもいいだろう。仮にもあんな事を言われたら、誰だって動揺するだろうし…………嫌でも、意識してしまうのだから。



『その隣の子―――彼女さん?』



 そう言われるのも無理はない。俺から女性の気配を感じ取るのは不可能だし、客観的評価では超絶美少女のメアリを避けているのだから、女性恐怖症と疑われても仕方ない。そんな俺と仲良さげに腕を組む女性……仮に俺がメアリの立場だったとしても、やはり同じ事を問うただろう。


 それくらい俺達は仲良さげ……否、実際に仲は良い方だ。メアリの認識はその事実を改めて証明しただけ。そんな彼女の慧眼を以てしても、空花が中学生とまでは見抜けなかった様だが。



『いや、親戚の子だが』


『うっそだー。創太と顔全然似てないもん! 私には隠さなくていいよ、彼女さんでしょ?』


『……………彼女だったとしても、お前には関係ない事だ』


『それもそうだけど、でも嬉しい! 創太の人間不信を破ってくれる人が他にも居たなんて! ね、ね。後で名前教えてよ。私も仲良くなりたいなッ』



 教える訳が無いから、適当に撒いてきた。いや、追って来なかったと言った方が正確だろう。多分、まだ彼女にはやる事がある。あれだけ出鱈目な改造計画を構想しているのだ。俺と追いかけっこをする暇は流石に無いと考えた方が自然である。それに、アイツが本気を出したら俺は逃げも隠れも出来ない事を良く知っている。


 嫌という程思い知らされた。


「…………お前はさ。気にしないのか?」


「ん、何が?」


「いや、俺も言葉選びがおかしかったけどさ。彼女だって勘違いされたまま流布されたら……その、迷惑だろ? 色々とさ」


「そんな事無いよー。だっておにーさん、命ちゃんの信者なんでしょ? 私には分かるんだ。命ちゃんは純粋な性格で、人の本質を見抜ける神様だって。そんな命ちゃんが信用してるんだから、おにーさんもいい人だって事だよね」


 くるりと身を翻し、空花が首を傾げる。俺と同じで少し変わった世界に生きる者は、流石に視点が変わっている。そんな理由で信用されたのは生まれて初めてだ。いや、そもそも信用された事自体始めてな気もする。如何せん幼稚園以前……メアリと出会う前の記憶は幼少故に曖昧。数えられないので、記憶の限り初めてという事にしようか。


 不可視の存在は勿論除いている。


「さっきも言ったけど、私はおにーさん頼りにしてるよッ。もう少し早くおにーさんと出会えてたら、私おにーさんに告白してたかもね!」


「冗談は辞めろ。基本的に嫌われてるんだぞ俺は。嫌われ者に告白なんて罰ゲームでしかやらないって相場が決まってんだ」


「それはメアリさんの信者から、でしょ? 私信者じゃないから、おにーさんを嫌うなんて出来ないよ」


「でも好く事もない。違うか?」


「それは場合に因るけどさ。でもおにーさん優しいから、いつかは好きになってたと思うよ? 私ってちょろいからッ」


「自分で言うな、自分で」


「えへへ♪」


 これは困った。実に困った。どうしても空花を恋愛対象として意識してしまう。それはいけない事だ。どんなにあり得なくても彼女は中学生だ。そして俺は小児性愛者ではない。先程から自分に『中学生』『中学生』と言い聞かせているが、たった今気づいた。逆効果だ。


 この世には背徳感と呼ばれる感情が存在する。正しい物に敢えて背く感情で、基本的には負い目の延長線なのだが、一部の者はこれを快感とする。俺にその趣味は無かった筈だが、中学生である事を確認すればするだけ、成長期がズレこんだのかと疑う程に発育した胸とモデルみたいな腰の細さを意識してしまう。胸の丸みにしても腰の曲線にしても芸術家が一から仕上げたと言われても信じるしかないし、これに加えて顔まで美人なのだからいよいよ手がつけられない。生来の黒髪も手入れが行き届いている部分は個人的加点。


 何処のどいつだ。天は二物を与えずとかほざいた阿呆は。メアリもそうだが、二物処か万物を与えられているではないか。


 俺がここまで意識する理由については言うに及ばずだ。既に語った通り、服装が中学生のそれではない。ワンショルダーの服は恋愛経験皆無の男をピンポイントで殺しに来ている。ブラ紐としか思えないものが露出している件に関しては、誘っているのかとさえ思うくらいだ。


「じゃあここからは私のターンだね! おにーさんを振り回しちゃうから、覚悟しといてよッ」


 手が掴まれ、胸が当たる。その柔らかさで俺の全身が一瞬だけ硬直したのを彼女は見逃さなかった。


「あ、その前に一つだけ聞いても大丈夫?」


「うん?」


「このままいくのと普通に手を繫ぐの、どっちがいい? おにーさんに選ばせてあげる!」


 裏表のない善性が、時には悪魔の様に見える事もある。空花がちょろいなんて、あれは出鱈目だった。不正確も不正確。大嘘だ。


 水鏡空花は齢十四にして高校生をも誑かす……魔性の魅力を持った中学生だ。それだけ魅力的な身体なのだから、よくよく考えなくても当然なのだが。


「―――決まってるだろ。俺とお前は彼氏彼女じゃないんだ。命様の信者という点では一緒だけどな。だからまあ…………」




「………………このままで。出来ればもっと強く組んでくれると助かる」





















 空花の美貌はこのメアリ祭に参加する女性の中でも格別に高い。俺の主観ではメアリに-補正が掛かるからアイツと比較すると正確なデータは取れないにしても、メアリに匹敵する美貌はある。そのせいだろう。やたらと視線を感じるのは。


 しかし相方が俺と知ると、みんな彼女の事を軽蔑の眼差しで見る様になった。耳を澄ますと『男の趣味悪いわー』だの『後で絶対捨てられる奴ー』だの好き放題言っている。空花が気にしている様子はない。自分というものをしっかり持っている彼女には、どうやら悪評が通じない様だ。


 或は、悪評というのは間違っていて、単純に嫉妬しているだけかもしれない。俺の腕は彼女の胸に挟まれ、その大きさと形をくっきりはっきりと周囲に見せつけている。そう考えればあら不思議。悪口を言っている奴等が途端に憐れになってくる。 


 実際、憐れだが。


「高級たこ焼きってどういう事なんだろうな。味も普通だし。お前違い分かるか?」


「……いや、分かんないなー。私も普通のたこ焼きだと思う。え、普通のたこ焼き? ……詐欺じゃん! こんなのが一万円以上もするなんて詐欺だよッ!」


 そう、詐欺だ。雅火という名の同級生はタダだと言っていたが、あれはほぼ嘘だった。確かに高級料理店が出張したと思わしき場所はある。実際に店の看板まで用意されているのだから偽物ではないだろう。しかしタダではない。間違いなく料金を取られる。


 檜木創太向けの特別プランという訳でもなく、全員が料金を払っているのは確かだ。それではまるっきり嘘なのかと言うと、語弊が生まれる。最低価格一万円の料理を提供された信者共は口々にこういうのだ。



『この美味さでこの値段とか実質タダみたいなもんだな!』



 実質タダ。非常に便利な言葉だ。実際にタダである必要はなく、主観的にタダ同然だと感じれば用いる事が出来る。アイツは嘘を吐いていたのではない。アイツからすればこの程度の値段などタダ同然だったからそう言ったまでの話なのだ。


 何故主観を人に押し付けるのか、という方向に話を切り替えてはいけない。教祖ことメアリでさえそうなのだから、今更そんな理屈が正論に戻れるとは思わない事だ。


「何が実質タダなんだろうね~。でもみんな食べてるんだよね。どういう事なんだろ。そんなにお金あるのかな?」


「知るかよ。たこ焼きでこの値段はイカれてるし、見ろあそこ。最低百万円ってどういう店だよ。値段設定狂ってんだろ」


 しかもカード未対応と書かれている。現金で用意しろと? トランクケースにでも詰め込んで持っていくのか、こんな所に。


「でも大盛況なんだよね。メアリさん、何がしたいんだろ~」


「……大盛況というか、入る為に手段を選んでない感じだぞ。ほら、あれ。携帯で親に電話してる。現金持ってこさせる気だ。こんなチンケな店に入るだけなのにな」



「チンケな店だとお!?」



 側面から聞こえる怒声。つい口を吐いて出てしまった悪口が関係者にでも聞かれたのだろうか。空花を下がらせつつ振り返ろうとしたが、既に遅かった。何かが視界全体を覆い隠そうとしてきたので咄嗟に腕で庇う。すると、



「アアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛゛ッ…………!?」



 熱い。


 痛い。


 何も感じない。


 俺の顔に押し付けられんとされた物体の正体は、アイロンだった。ご丁寧に店から延長コードで引っ張り出しているので電源は入ったまま。なので今、俺は熱々の鉄板を押し付けられたようなものだ。


 当然、腕は大変な事になっている。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アッ! ギイイイイィィィィグッ。ハッ! アアアアア……」


「お、おにーさん!? ちょっと、腕……だ、大丈夫じゃないよね! あの、やめてください! どうして急にこんな事……!」


「うちの店がチンケな店だってこいつが馬鹿にしたからだよ! うちの店はな、代々受け継がれてきた老舗、名店なんだよ……それを他ならぬ市長の頼みだから出張して、破格の値段で提供してるんだ! お前に店の何が分かる! この―――メアリ嫌いの異常者が!」


 言い返す余裕なんて無い。全身の細胞が痛みを告げ、脳が危険信号を発している。軽度の火傷でさえ酷い痛みだというのに、大火傷は到底人が看過出来る痛みではなかった。アイロンと接触した場所から既に感覚は無くなっているものの、それでも何かが熱い。痛い。この激痛は麻酔を打たれても落ち着くとは思えない。


「やめて! おにーさんそれ処じゃないのッ! 私が代わりに謝るから! 落ち着いて―――!」


「落ち着けるか! まずは二度とその口叩けない様に潰してやる―――」


 空花の静止も利かず、俺の鳩尾が思い切り踏みつけられた瞬間。



 ピンポンパンポーン。



 こちらの生死に関わる一大事の中、間抜けな音が校内に響く。校舎に居た全員の動きが固まった。



「えー校内放送校内放送。高級焼肉店『渚』は現時点を以て閉店とします。駄目だよ暴力を振るっちゃ。ていうかさ、焼き肉店がなんでアイロン持ってるの? 元々そういうつもりがあった訳? とにかく、渚は現時点で全店舗閉店。支店には私が通達しておいたから。さっさとそこの変な店畳んでよ。今後は善良なみんなの為に奉仕する事。いい? それと創太は保健室来てね」











「もう~本当にごめんねー! 赦してあげてよ創太!」


 校内放送の無機質さは何処へやら、保健室で待機していたメアリの顔は、いつも通りうざかった。しかし今回もまた殺される寸前で助けられてしまったので、あまり強い文句は言えない。よっぽど気に障る発言をしなければ、だが。


「で、どう? 腕大丈夫?」


「…………ああ。一応、助かった」


 流石にこれがマッチポンプという事は考えにくい。事の発端は俺の軽率な発言にある。パーティで浮かれていたか何だか知らないが、信者共の巣窟でダイナマイトを起爆する様な発言は避けるべきだった。


 マッチポンプ説は単なる偶然の連続でしかなかったのだろうか。


「おにーさん鳩尾踏まれてたよねッ? そっちは大丈夫だったのッ?」


「…………まあ。普段からリンチされてるから、少しは頑丈になったんじゃないか。熱で攻撃されたのは初めてだけどな」


「良かった良かった。でも創太だって悪いんだよ? お店を馬鹿にしたんだって? そりゃあ店主さんも怒るに決まってるじゃん」


「だからってアイロンを腕に掛けられるとは考えねえだろう。焼肉の店からアイロン出るとか思わないし」


「それはそうだね! 今回の事件は私にも責任があるよ。だって言ってなかったもんね。校内の暴力は禁止だって。でもこれからは起きないからさ、安心してよ」


「…………珍しいな。いつもなら『あの人だって悪気があった訳じゃない』とか何とか言って喧嘩両成敗みたいに持ち込む癖に」


 あれの一番性質が悪いのは信者達で、メアリが目の前に居ると、さも反省したかの様に振舞うのだ。そのせいでいつもいつも俺が泣き寝入りをする事になって、それを思い出す度にいつも腸が煮えくり返っていた。


「今までは本当にそうだったけど、あれは悪気があったもん。だからあの人には反省の意味も込めてショーさせる事にしたんだッ。見に行く? 行きたくないならテレビに中継させても良いよ!」


「ショー?」


「どうするかは創太に任せるよ。それじゃあえーと……創太の彼女さん! 後はよろしくね!」


 メアリが保健室から去ったのを見届けた後、俺は思い切って包帯を外す事にした。


「ちょ、何してんの!?」


「……お前に、アイツの気持ち悪さを見せてやろうと思ってな」


 逆方向に包帯を回している内に、ようやく包帯が取れた。


「…………嘘」


 白い布が覆っていた皮膚には傷口はおろか火傷を負った痕跡一つ見当たらない。素肌の上に包帯を巻いたのだと言っても、果たしてそれを虚偽と見抜ける人物がどれだけいるか。


「ほ、本当に治ってるの? 特殊メイクとかじゃなくて」


「特殊メイクする時間も無かっただろうが。メアリってのは人間じゃない。つい最近分かった事だ」


 火傷さえ治ってしまえば五体満足なので、当たり前の様にベッドから降りた。


「どうする? まだパーティに参加するか?」


「うーん。高いし…………おにーさんをこれ以上酷い目に遭わせるのも悪いから、私はもういいかな」


「そうか。じゃあアイツの秘密とやらを体育館に見に行くぞ」


「ショーは?」


「体育館と校内が潰れて、残すところは校庭くらいなもんだ。体育館に行く途中で見えるだろ。面白ければ見るし、つまらないなら無視。それでいいだろ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る