大衆カルトのメアリ様

 僅か一日の間に、俺の学校はその様相を大きく変化させていた。


 校門を超え、真っ先に目についたのは『メアリ祭』の文字。就任祝いとは何だったのか。これでは新たな催しではないか。


 来訪人数だけは今までのどんな行事をも上回っているが、それに対応策が施されている道理もなく、校庭は外の通学路以上に人で溢れ返っている。この中で満足に移動出来る者は恐らく俺とメアリくらいで、初めて俺は己の立ち位置に感謝した。


 市長権限でお金を掛けたのだろう。校舎全体にお洒落なのか落書きなのか判断のし辛いペイントが施されている。俺はプロの書道家が書いた文字をミミズ文字と間違える程度の美的感覚だ。一概に貶しづらい。何となく上手いかもしれないと思わせる程度には綺麗なのが悪い。


「うわ~……すっごいッ。これが市長さんになったらこんな事が出来るんだね! 私も家に帰ったらみんなに相談してみよっかなー」


「市長は市の更なる発展と地域の活性の為に尽力するのが普通だろうからやめた方が良いぞ。中学生は絶対立候補出来ないし。メアリ以外がこんな事したら大バッシングだ。それがアイツの能力なんだよ。俺やお前みたいに何か特別な事情がある奴を除けば、どんなひねくれ者も否応なしに迎合させられる。まあ、厳密には迎合というより、思考放棄するだけなんだが」


「おにーさんも随分真面目な事言うんだねー。もしかして市長を目指した事とかある?」


「いや? 市役所のホームページに書かれてた言葉を思い出しただけだ。万が一市長になっても民衆は俺の言葉よりもメアリに従うだろうし、メリットが無さ過ぎる」


 権力のメリットとは他人を服従させられる事にある。それを無くしてしまうと、権力とはひたすらに不便な力であり、己を縛る事しか出来ないゴミだ。持っているだけ損なものなど物理的か否かに拘らず捨てる奴が殆どであろう。ゴミをわざわざ所有する人間は稀有だ。


「……あれ?」


「どうかしたか―――って」


 一番広い通学路でさえ人一人入る事さえ非常に困難で、そこより狭い校庭は人処か文字通り鼠一匹入る隙間さえない。校内は一体どんな地獄へと変わっているのかと思えば、何とここに居る人間の誰も、校内に足を踏み入れていなかった。


 俺が空花を横目で見ると、彼女もまたこちらを見ており、視線が交錯。揃って首を傾げた。


 入らない理由が分からない。どう見ても只のイベントだが、一応メアリの就任祝いに来たのだから入れば良い。ここに居る者達は決して部外者などではない。イベント会場はどう考えても校内なのだが、信者達の行動が久しぶりに理解出来なかった。


 しかし入りやすいのは好都合だ。視えない壁にでも阻まれているのか、ここまで徹底して避けられていると本当に入ってはいけないのかもと思ってしまう。下らない同調圧力に今更影響を受けるとは、やはり俺は情けない。


「……入っていいんだよね?」


「入れなかったら帰るまでだ。お前と普通にデートしてた方が絶対楽しいからな……他意はないぞ?」


「アハハッ。そんな事言っちゃって、いいの~? 私は本気にするタイプだよ?」


「それは結構だが,誤解だけはするなよ。お前の友達に『これ私の彼氏ー』とか言って見せるのとか、そういうの本当にやめろよ?」


「やらないやらないッ。それにあの時遊んでた友達とはあれ以降連絡とってないもん。連絡拒否されちゃってさ」


「そうなのか……因みにお前の方は仲直りする気はあるのか?」


「あるよー勿論! だって大切な友達じゃん。でもまた彼氏同伴って事なら遊びたくないかなー。彼女が居るのに無神経なんだよね、あの男」


 昨日の愚痴の延長戦だろうか。それならば俺の意見は昨日と変わらない。一生変わる事はない。俺は全面的に空花の味方だ。外野に言わせればそんな男と付き合っている彼女の友達がどうかしているとさえ思うが、当事者たる彼女の考えは少し違った。


「……結局ひーちゃんが怒ったのって、筋違いだったとしても私が居たせいなんだよね。私が居なかったらあの男もひーちゃんとイチャイチャしてただろうし。だから仲直りする気はあるけど、うん。多分、もう元には戻らないかな」


 底抜けに明るい彼女の顔が曇ったのを俺は見逃さなかった。ことネガティブな感情の察知に関して俺の右に出る者はいない。何せ俺自身がネガティブの塊だ。それもこれもメアリのせいだが、お蔭で今、感情の機微に気付けた。


 自分で自分を呪う。その言葉だけ見ればメアリにも引けを取らぬ異常者だが、その本質はメアリ程悪質でも非人間的でもない。一人の中学生。年相応の子供に過ぎない。


 空花の顔が曇ったのは一瞬の事で、また直ぐに笑顔が戻ってた。彼女に限った話でも無いが、何かを取り繕う為の笑顔はいつも不自然だ。


「おにーさんも気を付けなよ? もし誰かと喧嘩してるなら、早い内に仲直りしないと、もう二度と仲直り出来ない……とか笑えないからね」


「……耳に痛い話だな」


 しかし俺の気持ち一つで解決出来る問題ではない。清華との亀裂にはメアリの発言が密接に関わっているのだ。最近は本人すら仲直りを拒否し始めたし、既に手遅れな気がしなくもない。妹の自業自得とも取れるし、俺の矮小なプライドが招いた末路とも取れる。どちらにしても、今すぐに実行できる話ではない。


「―――空花」


「んー?」


「俺とお前は同じ神様を信仰する仲間だ。まあその…………元気出せよ。これからは俺が傍に居るから」


 仮にも中学生を口説いているみたいで気恥ずかしかったが、ある種の意趣返しだ。俺の味方で居てくれると言ってくれた彼女への、最大級の返答。空花は暫し目を丸くしてから、今度こそ本当の笑顔を見せた。


「うんッ♪」
















 校内に足を踏み入れた俺を歓迎したのは、ロッカーに取り付けられた無数のクラッカー。どうやら足元に張られたこの紐を引っ張ると自動的に全て引っ張られるらしいが、思った以上に紐の強度が強くて、俺はそのまますッ転んでしまった。


「アハハハハハッ!」


「笑うなッ! ……痛え。ブービートラップじゃねえんだぞ。何で校内にこんなもん仕掛けてあるんだ」


「もしかしてこれ知ってたから皆入らなかったのかな?」


「…………それはないだろ」


 このトラップには精々一人二人をつっ転ばせるか驚かせる程度の効果しかない。通学路と校庭に溢れかえる程の人間が一斉に通った場合、その効力は殆どゼロに回帰するだろう。仮にそうだったとしても、トラップの無くなった今でさえ他の者達は校内に入る素振りを見せない。やはり別の理由があるのか。


 昇降口の窓から改めて外を眺める。入る前は気付かなかったが、この人混みは単に溜まっている訳ではなく、体育館に向かっているのだと気が付いた。直ぐに気付けなかったのは視点の問題だろう。ここから体育館を見遣ると階段が見えるので、そこを上る人の流れから把握出来たが、校門入って直ぐの所からでは体育館の全体像しか見えない。あの時点で把握しろというのはかなり無茶な話だ。


 一方校内はというと、やはり文化祭染みたお祭り騒ぎになっており、通りがかる学生は全員私服。家族連れと思わしき学生まで居た。取り敢えず空花が追い出される心配はなさそうだが……本当に就任祝いだろうか。


 真実は『メアリ祭』と外に書いてある時点で幾らか察せる。



「おい創太!」



 不意に俺を呼ぶ声がしたが、やたらと攻撃的で威圧的なその口調に聞き覚えは無い。そもそも俺に男友達など居た試しがない。振り返ると、やはり俺の知らない男性が馴れ馴れしく俺に話しかけてきた事が判明した。


 ご丁寧に彼女まで連れていて、実に不愉快だ。男の趣味にとやかく言うつもりはないが、彼の傍に居る女子は典型的信者にありがちな『メアリかぶれ』だ。髪を銀髪に染めて、カラーコンタクトか何かで碧眼にして。自分が完璧で完全な美少女にでもなったつもりだろうか。


 滅茶苦茶ダサい。


 何度も言うが生来の髪を大事にしてほしい。メアリは生来だからあの色が似合っているだけ、アイツの真似をしてもアイツにはなれないのだから、己自身の美しさをどうか追求してくれ。メアリかぶれを見る度に、俺はそいつが気の毒で仕方がない。


「誰だ」


「は? 俺忘れるとかあり得ねえわ。同級生の雅火なんですけど」


「知らねえよ。本当に誰? 接点あったか?」


「かーーーー! マジねえわお前。だからお前の事嫌いなんだよな……メアリちゃんが、多目的室に来いだってよ」


 多目的室……探す手間が省けたか。


「有難う。所で校内の事なんだが、どうなってんだ?」


「見りゃ分かんだろアホ。パーティだよパーティ。先公なんて職員室で酒飲んで合コンやってんぜ? 今日はメアリちゃんが市長になった記念日だからな。高級店が軒並み出張してきててよ、マジ文化祭がお遊びに感じるくらいのイベントなんだって!」


「高級店―――タダで料理とか食べられるの?」


「ん? ああ勿論タダだけど―――おい創太。その子誰だよ、めっちゃ可愛いじゃねえか」


「親戚だ」


「嘘吐けてめえに親戚なんて居ねえだろ。後、顔がお前に全く似てない。めっちゃおっぱいでけえし」


「俺関係ねえッ! 何だその付け足し……別にお前に答える義理は無いからな。空花、さっさと行くぞ」


 強引に話の流れを遮ってでも連れて行こうとしたが、雅火は自分の彼女から手を離して、目の前で大きく体を広げた。


「待て待て待て。その子置いてけよ。俺、その子のがタイプだわ」


「え? 雅火―――嘘でしょ?」


 隣の女性が信じられないものを見たとばかりに男を見遣る。信者は軒並み嫌いだが、これに関してのみ俺は彼女に同情した。当人にしてみれば、自分置き去りにした上に誰かを口説く彼氏なんて見ても良い気分はしないだろう。


 偶然だとするなら、俺以外の男は心底からの屑しか居ない事になる。相対的に犯罪医者のつかささんの株が上がった。


「えーと、まず落ち着け。お前は自分のしようとしてることをよく考えろ。彼女の前で口説くか、普通?」


「関係ねえ。一目惚れなんだよッ」


「きっしょ。一目惚れしてんのはメアリだろうが、いっぺんアイツ口説いてから来いよ」


「メアリちゃんはそういうのじゃねえだろ! お前だって分かんだろ!」


 その通り。俺は分かっている。メアリを題材に妄想して興奮し、欲求を発散する奴がいる事を。ビーチでも本人が言及したのだから出鱈目ではない。そういう奴等は確実に居る。そして恐らく少数派ではない。


 信者達に例外は無く、その意思は全てメアリへの好意に支配されている。メアリを題材に自慰する奴が一人でも居れば、残り全ても同じ事をしていると決めつけたって、そこには何の問題も生じない。一は全、全は一だ。


 それにメアリに対する認識が複数且つ同時に存在すると仮定すれば、どんなひねくれ者からも好かれる理由について一応説明がつく。



 メアリとはこの世における最も美しい存在であり、人生における最大の恋であり、全てを捧げるに値する愛であり、家族よりも大切な友人であり、尊敬出来る師匠でもあり、応援したい生き方でもあり、寄生したい『完璧』でもある。



 このように仮定すれば、『そういうのじゃない』事と、メアリを題材に自慰する事が両立できる。決めつけは良くないが、今回のケースでは間違っていない。


「分かっていようがいまいがどうでも良い。お前はメアリの事が好きなのに口説かない。自分に自信がないんだ。まあ自信なんてないよな。ある訳ない。メアリに寄生して思考放棄し続けるお前に自信が生まれる事は絶対にあり得ない。そんなお前が口説くんだ。どうせちょろいとか思ってんだろう。隣の人も、空花も―――残念だけどな、お前みたいな奴に口説く資格は無い。今の彼女と仲良くする事だな、浮気野郎」


 人の悪口は苦手なのに、メアリ信者が相手だとそれが嘘の様にスラスラと罵倒が飛び出してくる。自分でも不思議だ。どうして俺はここまで酷い事が出来るのだろうかと、ときたま自己嫌悪にさえ陥ってしまう。 


 ありもしない自尊心を傷つけられた男は顔を真っ赤にして俺につかみかかろうとしてきたが、それよりも先に隣に居た女性が彼を掴んだ。


「ちょっとどういう事!? 私よりあんなアバズレが好みなの!」


「離せよ! お前デートの時とか一々理屈っぽくて嫌なんだよ!」


「何よ! アンタだって事あるごとにメアリちゃんの話題しか出さない癖に!」


「そりゃあお互い様だろうが!」


 耐えきれず失笑してしまった。お互い様には違いない。頭空っぽの信者共には話のネタが無いのだ。メアリを介さねば話が続かないくらい、脳みそが蕩けているのだから。


「空花、今の内に通るぞー」


「おにーさんって口が悪いねー!」


 信者カップルの醜い争いを見て、空花もまた堪え切れず笑っていた。意外に俺達は気が合うのかもしれない。


「仲良くないのに馴れ馴れしいし、急にお前口説くし、色々と不愉快だった。別に感謝とかしなくていいぞ。あんなの日常だからな。お前が居たからちょっと事態が拗れただけで、因縁付けられるのはしょっちゅうだからさ」


「うん、そうするッ。メアリさん好きな人って変な人ばっかりなんだね」


「あれを変な人で片付けるお前の方がどうかしてるが、俺の味方になるってのはこういう奴等にも絡まれるリスクがあるって事だからな。そこは忘れないでくれ」


「大丈夫。私にはおにーさんがついてるもん!」


「頼るな」


「頼りにならない人は守ろうともしないでしょ?」


 本来ならフラストレーションが溜まる所を、空花が来てくれたお蔭で相殺処かお釣りが来た。今は少しだけ幸せだ。


















「「「メーアーリ! メーアーリー! しっーっぱいもー恐れず~! つーきーすすむー!」」」




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