穏やかさの代償
いつぶりかの美味しいお弁当を貰い、俺は腹の底から満足した。完全に流されてしまったせいとはいえ茜さんを明らかに放置している様にしか思えないし、実際放置になっているのだが、彼女は全く気にも留めておらず、実はいつもの様に軽口を横で叩いていたりする。だから正確に言えばこのレジャーシートには二人ではなく三人が座っている。
俺が無反応……徹底して反応を見せなかったのは、幸音さんに説明しようとすると絶対にこんがらがると思っているからだ。もし俺と同じく視えているのなら話は早いが、そうではない人間に「今、横に元々メリーさんだった怪異が居るんだけど」なんて言える筈もない。まず確実に「は?」と返されるのが見え透いている。
『しかしあの医者、随分と遅いねえ。もしかして何かあったんじゃないのかい?』
この二人と別れるまでは無反応を貫こうと思ったが、そう不安を煽られると話は変わってくる。俺は 茜さんの言葉を代弁する様に少しだけアレンジを加えて言った。
「あのう、幸音さん。そう言えばつかさ先生遅くないですか?」
もう三〇分も経っている。その辺りで適当に買ってくるにしてはどう考えても遅い。その辺りという言葉自体曖昧ではあるものの、状況的には学校の購買で買ってくるか、それともコンビニかの二択だ。そしてどちらも順当にいけば三〇分も戻ってこられないなどという事は無い。順当にいかなくても考えづらい。
何かあった、それもかなり面倒な目に遭っている。そう考えた方が自然だろう。
「―――そ、そういえばそうですね………………心当たりってありませんか?」
「え、俺に聞くんですかッ? つかさ先生とは別に旧知の仲でも何でもないですよッ?」
しかしそんな突拍子もなく聞いてきたという事は、幸音さんにも心当たりはないという事か。一番知っていそうな立ち位置なのに。
「先生って気分屋な所があるので…………何処に居るのか、私も全く見当がつかないんです」
「因みに去年は何処に居たんですか?」
「きょ、去年!? 去年は…………屋上に居ました。ここから俯瞰した方が楽しいとか何とか……た、確かそう言ってました」
『確実性に欠ける情報だな。行くかい』
「居なかったら困るのであまり行くのは……」
「え?」
「―――あッ!」
しまった。つい反射的に反応してしまった。幸音さんから見れば、今の俺の発言は色々と過程をすっ飛ばしている。このままではコミュニケーション能力に疑いを持たれかねない。隣で当たり前の様に(一方的だが)会話に混じっている茜さんを少しだけ睨むと、俺は「違う違う」と頭を振って、話を戻した。
「一昨年は何処に?」
「え、えっと…………あ~あああああ。す、済みません! こ、こんな時に思い出す事になるなんて思わなくて、忘れちゃいました!」
「謝らなくても大丈夫ですよ。でも少なくとも屋上ではない、と」
『どうしてそう言い切れるんだい?』
「屋上に居たら覚えてない筈が…………」
無言で茜さんの脇腹に拳を入れる。彼女はくすぐったそうに笑っていた。
「あ、あの~……さっきから何をやってるんですか?」
「気にしないでください! 奇病です! どうしようもなく虚空に気配を感じてしまう病なのです!」
「は、はあ…………?」
二回目からはいよいよごまかしが効かなくなってくる。気のせいだろうが、彼女のこちらを見る視線も何処か憐れんでいるような、危ないモノを見ているような視線になりつつある。説明をするしない以前の問題だ。この時点でかなりややこしくなった。
こうなった原因の全てを担う茜さんはというと、オレを困らせる事に愉悦を覚えたらしく、フラッシュのように素早く表情を変えて笑っていた。人間には到底できない笑い方で、ちょっと怖い。命様が殆ど力を失っているから忘れがちだが、メリーさんから解放されただけで茜さんは欠片とも力も失っていない。やろうと思えば化け物染みた事の一つや二つは容易に出来て然るべきだ。
『では私が探してあげよう。壁をすり抜けられる私ならば君よりも随分早く見つけ出せる筈だ。ああ、応える必要はないし、こちらを向かなくてもいいよ。君の困り顔は十分堪能させてもらった……フフフ。それのお詫び、もといお礼さ。君以外の人間は大嫌いだが、あの医者には居なくなってもらうと君が困るだろう。味方ではない、しかし敵でもない。そういう立ち位置の人間は、ある意味では味方以上に信用出来るものさ』
茜さんはそんな事を言っているが、人間の区分において味方は生死を問わねば一人だけ、生きている者のみを含めればゼロ人だ。比較のしようがないので、俺は彼女の発言に要領を得ていなかったりする。それはそれとして、代わりに探し出してくれるのは有難い。
「見つけたら知らせるつもりだが…………これは先に言っておいた方がいいかもしれないね。実は君の妹だが、最初から君の来訪には気が付いている様だ。そして昼休みに入る前の競技……障害物競走だったかな? 生徒席の所で君こそがメアリを嫌いな兄貴だと周囲にバラしていたよ」
―――え?
それはおかしい。妹の行動がおかしいのは今に限った話ではないが、それならばどうして誰も突っかかりに来なかったのだろう。脳みその蕩けた信者ならばそうしてくると思っていた。そうしてこなかったからバレていないと思っていた。
茜さんからそれ以上の発言は無かったが、この時、俺の脳裏には絢乃さんの身に起きた出来事が思い浮かんでいた。
確かに俺は嫌われ者だ。俺の事を知っている人間はこの世で最も嫌いな人物を尋ねられた時、それは檜木創太だと間違いなく答えるだろう。それくらいの嫌われようだから、幼稚園の頃から俺は酷い目に遭わされてきた。思い出すのもいっそ馬鹿馬鹿しくなるくらい、虐めと呼ぶのも生ぬるいくらい。
しかしそれでも、死ぬ事は無かった。
何故かと言われれば、メアリが介入してくるからだ。信者共は脳みそが腐っている癖に、教祖の前だと途端に暴力をやめる。掌どころか性根までひっくり返して、俺の事を大好きだと言ってくる奴も居る。
だが他の奴に限ってそんな慈悲は無い。絢乃さんにはそれが無かったから死んだ。この例から鑑みるに、信者は俺の味方をした者に―――容赦なく善意の棍棒を振り下ろす。簡易に言い換えれば、絶対に殺そうとしてくる。
俺という異常を世界は嫌うが、おかしな事に世界は俺以外の異常を絶対に許容しないのだ。
「あああああああああああああ!」
「きゃあああああああッ!」
不意に大声をあげられれば誰だって怯む。幸音さんは今にも失禁しそうな勢いで驚き退いた。
「な、な、ななんですか!?」
「ゆ、幸音さん! 落ち着いて聞いてください! いいですか!? 落ち着いて! 極めて落ち着いて冷静に聞いてください!」
一番落ち着いていないのは俺であるが、元より人見知りな彼女がそんな指摘をしてくれる道理はない。幸運にも俺の落ち着きは己の言い回しが理解出来なかった事で取り戻せた。
「…………ええっと。ですね。結論から言うんですけど」
「は、はい…………」
「つかさ先生、かなり危ない状態です」
幸音さんの血の気が引いたと同時に、床からぬらりと茜さんが出現した。
『みつけたよ、校舎の裏側でかなりの人数に絡まれてる』
最悪の予想が当たってしまった。
絢乃さんという例外が生まれた事とは何の関係も無いだろうが、街中での演説と言い、最近信者の行動が激化している気がする。何故だ。本当に偶々か? 気のせいと言い切れるのか?
―――いや。
取り敢えずそれは後で考えよう。つかささんにまで居なくなられてしまったら。俺は再びメアリ打倒のきっかけを失う事になる。彼は正直傍観者だが、それでもいい。俺以外にも非信者が増える事こそが肝要なのだ。
それだけでも、メアリの完璧性を否定するには十分すぎるのだから。
通常、校舎の裏へは一度昇降口を経由しなければならぬ都合上遠回りをしなければならないが、人が死ぬかもしれないという時に四の五の言っていられない非常口を使って、俺達は直接校舎裏へと飛び出した―――が。
「…………!」
手遅れだった。
しかし俺の危惧していたそれとは、全く異なる意味で。
「ぎゃあああああああああああああ痛い痛い痛いいたああああああああ!」
「大袈裟だなあ」
つかささんは見知らぬ男に手首を掴まれていた。彼はもう片方の手で男の指を掴み、手首で骨を抑えつつ、腕の表裏を返して男の手首を捻っていた。
「てめえ! 高野を離せよ!」
背後からもう一人の男がナイフを取り出して襲い掛かったが、つかささんは手を離した直後に目前の眉尻を軽く打ち、それから背後を振り返った。
先程のは傍目からは痛く感じないだけで、理屈として痛がる理由は分かったが―――今度のそれは理解出来ない。あれだけ元気に叫んでいた男が、その場で膝をついたのだ。
「いやはや、僕を呼びだしたから安楽死でも頼みに来たのかと思えば、こんな下らない事だったとは」
ナイフで薙ぐ直前、つかささんの指が顎と首の中間を軽く突いた。素人目から見ても、大して速度が乗っているとは思えない。しかしたったそれだけの行動で、男は唐突に動きを止め、その場に倒れ込んだ。
「が―――はッ。お、おお………………オ!」
それでも二人を対処しただけだ。彼を囲む人数はまだまだたくさんいたのだが、素人には不可思議に見えるその攻撃を恐ろしく思ったのだろう。二人を放って、男達は蜘蛛の子を散らす様に逃げてしまった。
「あー恐ろしかった」
どの口がそれを言うのだろう。
俺も幸音さんも呆然と立ち尽くすしかない。手遅れかと思ったら、本人が勝手に解決してしまったのだから。暫く言葉すら出なかったが、つかささんの方から気付いてくれたお蔭で、ようやく口の硬直が解けた。
「ん? どうしたどうした二人共。まさかとは思うけど、これは二人がやったのかい? だとするなら悪質だなあ。僕に仕返しをしたい気持ちは分からないでもないけど、ちょっと面白みに欠けるよね」
「いや…………いやいや。え、何したんですか先生ッ! あの二人、大丈夫ですか?」
「見ての通りさ。意識はちゃんとあるだろう? 大丈夫、脳震盪を起こしただけさ。大事には至っていない。僕が治療する必要も無いくらいだ」
「…………そう言えば気になってたんですけど、先生の専門てなんですか? 外科ですか? 精神科ですか?」
「泌尿器科でない事は確かだ」
「そりゃそうでしょうよ!」
「先生ッ!」
会話に割り込む形で幸音さんが声をあげた。
「幸音君。何だその顔は」
「け、怪我! 怪我はありませんか!」
「僕に怪我はない。どちらかと言えば気にするべきはそこの二人な気もするね。幸音君、悪いけど運営本部にあの二人を連れて行ってはくれないかな。念の為ね」
「わ、分かりました! ………………良かった」
距離的に俺がギリギリ聞こえるくらいの声量で幸音さんはそう呟いた。そして男性二人の所へ駆け寄ろうとして、俺の方を向いた。
「檜木さん! 手伝ってくれません……か? 男性二人を一人で運ぶのは、荷が重くて」
「…………俺は構いませんけど、そっちが嫌がるでしょうからお断りします」
「ふぇえええ!?」
「ははは。幸音君、そう心配せずともそこの二人に最早戦意は無いよ。君を襲う様な事はあり得ない。そんな事をすれば今度は本気で打つつもりだからね」
…………打つ?
「くれぐれも余計な事は漏らさないでくれよ? 君さえ黙秘すれば、点穴したとは誰も気づかないだろうからね!」
俺ともども、つかささんは彼女の後姿が角で見えなくなるまで手を振っていた。
「…………茜さん」
「何かな?」
「複数人に絡まれてるって言いませんでしたっけ?」
「ああ」
「俺達来る意味ありましたか?」
「うーん………………」
茜さんはそれっぽく考えてから、実際は少しも考えていないような当たり前の答えを出した。
「「無かったね」」
彼女の声に合わせて、低く擦れた声が混じる。つかささんは白衣のポケットに再び両手を突っ込みながら、にやりと笑った。
「さて―――今のやり取りを聞き逃す僕ではない。檜木君。君は今―――誰と話してるんだい?」
濁った瞳が、生者に問い質す。
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