彼女の瞳は俺を決して離さない
つかささんに全てを隠し通せる気は無かったので、大人しく全てを白状する事にした。幸音さんの時は話がややこしくなるのを危惧して離さなかったのだが、存外つかささんは理解力が高かった。流石に宗教で家庭崩壊を起こした…………
これは不謹慎だった。脳内とはいえ、反省しなければならない。
「ふむふむ。神だけでなくメリーさんが見えると」
「メリーさんじゃないです。メリーさんだった元怪異です」
「失礼した。そんな奴がそこに……ええ…………何処に?」
「ここです」
首だけで茜さんの位置を指し示してやるも、つかささんには何も見えていない。俺の近くを見たり、視線の延長線を見たりと全く捉えられていない。終いには腹が立ってきた。
「だーかーらー! ここなんですよ、ここ!」
赤色を知らない人間に実物を見せずしてどの様に説明しろという。怪異も神様も不可視の存在に変わりはないので実物は提示出来ないが、そこに在るという事は証明出来る。お忘れだろうか。『視る力』は存在を固定する力。俺だけは不可視の存在を物理的に示す事が出来る。
茜さんの肩に手を置くと、つかささんは顎を擦りながら前のめりになった。
「君…………パントマイムが上手だね」
「ちーがーうううううううう! ここ、ここに居るんですよ不可視の存在が! とっても可愛い女性が」
「…………なあ。一つ疑問なのだが、どうして人間を超越した存在は人間の定義からして美麗であるのだろうね。醜悪だって良いだろうに」
「醜悪な場合だってあるでしょ! 茜さんは色々と事情があるんですよ! それにもう、俺が固定しちゃったので姿は変わりませんッ」
「ほう……。実に興味深い。今まで解剖した人間も興味深い作りだったが、君は特に面白そうだ。なあ、今からでも安楽死を―――」
「しません!」
つかささんはがっくりと肩を落とした。
『……中々、この医者は歪んでいるな』
「あ、そう思いますか茜さん。奇遇ですね、俺もそう思います」
安楽死……いや、死体の話をする際の表情は、メアリの無表情に通ずるものがある。本能の底から心底総毛だつのだ。ただし彼女への恐怖は『虚無』故に。つかささんは『愉楽』故にと、実際のベクトルは全然違うが。
俺と茜さんが二人してつかささんにちょっぴり引いていた時、不意に彼は耳に指を突っ込むと、耳栓を外した。
「……どうしたんですか?」
「ん。いや、もしかしたら耳栓を外せば怪異の声が聞こえるのではないかと思ってね。まあ聞こえなかったんだが……」
「そりゃそうでしょうよ! だって先生、霊感まるっきり無いんですから!」
「その通りだ。霊感があれば僕はもっと上手く立ち回れただろう。だが耳栓を外したお蔭で良い事に気が付いたぞ」
「……良い事?」
「耳を澄ませてみたまえ」
どうにもこの先生は探偵漫画などで良くある『何かにつけて言い回しをぼかす病』にかかっているらしい。『今はまだ言えない』なんて事はないのだから、さっさと教えてくれば良いものを一体どうしてもったいぶっているのか。
心の中では不平不満が垂れ流されていたが、言われた通り俺は周囲の音に耳を傾ける事にした。
何てことのない音だ。血液が流れる音、木々の揺らぐ音、校庭の方では何か盛り上がっているらしく、人々の歓声が聞こえる。その外にも車のエンジン音、誰かのせき込む音などが聞こえるが―――
つかささんの言わんとしている事が掴めない。
「何が聞こえたんですか?」
「校庭の方がやけに騒がしいとは思わないかい?」
「騒がしい……? まあ言われればそう思うかもですけど、体育祭ってそういうもんじゃないですかね」
「おいおい。しっかりしてくれよ学生君。確かに昼休みは終了間近だ。我々の様に寛ぐ者は少数で、保護者は撮影準備、参加生徒はクラス席に戻っている頃だろう。だが競技が始まった訳ではない。ここまで盛り上がるものかな? まるで偶像か何かが来たみたいじゃないか」
「はあ………………」
鈍いと言われても良い。全く見当がつかないし、何が言いたいのかさっぱり分からない。会話下手か、この先生は。挙句の果てには俺が理解出来たと思ったのか、その場に座り込んでしまった。
「悪いが、幸音君を連れ戻してきてくれないか?」
「は?」
「万が一という事もある。この状況下でミイラ取りがミイラは君も笑えない筈だ。であるならばミイラにならない保障のある君が行くべきだ。ほら、さっさといきたまえ」
「い、いや……まあ…………えっと、連れ戻して来ればいいんですね?」
「ああ、手荒な真似はやめてほしいと言いたいが、場合にも因るな。力づくで引っ張るくらいなら僕も許そう。さ、いきたまえ」
いよいよ何を想定しての発言なのか分からなくなった。幸音さんを連れ戻すならどう考えても彼の方が適任だろうに、何を恐れて俺に行かせるつもりなのだろう。俺が行かなければ回避出来ないリスクとは何だ。むしろ俺の存在そのものがリスクだから、かえって大変な事になるのではないか。
校庭での喧騒が気にならない訳ではないので、反発はしなかった。
この数分後。俺はつかささんの発言の意図を理解すると共に、彼の人間離れした勘に驚きを隠せなくなるのだった。
「みんなあああああ! 乗ってるううううううッ?」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
「体育祭も後半戦! 疲れてきたかもしれないけど、頑張ろー!」
幾重もの歓声、その張り切りぶりは午前中と比較しても常軌を逸している。よく見ると校庭の外にも人がずらりと並び、更には近くの住人までもが壁を乗り越えて盛り上がっている。つかささんの言った通り、まるで国民的アイドルが来訪したかの様な熱狂ぶりだ。
朝礼台でマイクを片手に騒いでいるのがメアリでさえなければ、俺も乗っかっていたかもしれない。いや、確実に乗っかっていた。
「………………」
ここまで堂々とアイドルになられてしまうと、怒りというより最早呆れてくる。ご丁寧にもメアリは普段の学生服ではない。一体何処で衣装を用意したのか知らないが、袖を通さずとも落ちない特注の学ランに紅白色の鉢巻を締めて、胸にサラシを巻いている。普段は膝丈のスカートも今回に限っては太腿の中間までしか隠れていなかったりと、こう言っては何だがかなり奇抜な格好をしていた。
学ランの背中にはでかでかと応援の二文字が書かれている。一日警察署長ならぬ、一日応援団長……なのだろうか。
「はーい! それじゃあ私が今から太鼓を叩くから、それに沿ってみんなも生徒を応援しよー!」
「「「いええええええええええええええええええええい」」」
メアリがマイクを置いて、朝礼台を下りる。太鼓を叩くべくバチを本部から貰おうとした所で、不運にも俺の存在が彼女に気付かれた。
「あ、創太ッ!」
「―――げッ!」
即時反転。全力で逃げようとしたが、俺が身を翻した次の瞬間にはもう腕を掴まれてしまった。相変わらず化け物染みた身体能力だ。
「おはよッ」
「………………ああ。おはよう。俺の事は気にせず応援しろよ。やるんだろ。待たせるなよ」
「それはそうなんだけど、今日初めて創太の顔見たし、聞いておきたいなって思って。ね、ね。似合う? この衣装。自前で用意したんだけど」
「…………この熱狂ぶりを見れば、その格好が滑ってないかくらい分かるだろ。分かったなら俺に構わず早く―――」
「周りじゃなくて、私は創太にどう思ってるか聞いてるんだから! ね、答えてくれたっていいでしょ? それが終わったらすぐ戻るから!」
「あーじゃあ似合うんじゃねえの!? ほら行けよ! クソが! 信者共にまた目つけられたら嫌なんだよ!」
「信者? 目を付ける? …………あ、もしかして絢乃先輩の事? それだったら私がよーく言っておいたから! でも創太とこんな所で出会えるなんて思ってなかったな。もしかして妹ちゃんの応援? 仲直りした感じ?」
「してねえよ! 何で俺がアイツを赦さなきゃならないんだ、殺されかけたんだぞこっちは! どっかのクソ馬鹿のせいでな! お前の事なんだけどな!」
「うーん。創太も意地を張りたがるよねえ。私は男の子の気持ちはあんまり分からないけれど、意地を張り過ぎるのも良くないと思うな。もっと肩の力抜きなよ」
「誰が肩肘張らせてると思ってんだッ? ん? お前あんまりふざけた事言ってるとバチでぶん殴るぞ」
「ほら~それが肩の力が入ってるって事なのに。しょうがないなあ……創太だけに、特別だよ?」
「は、え――――――ちょッ!」
メアリの顔が近づいて来たら誰だって逃げたくなるものだが、案の定、それは許さなかった。俺が顔を引くよりも早く彼女の顔が近づき――――――
柔らかくしっとりとした唇が、俺の唇に重なった。
唇が離れた瞬間。全身の力が抜け、膝がストンとその場に落ちる。
「あ、そうそうそんな感じ! 程々に肩の力を抜かないと人生辛いよ? じゃ、また後でね!」
遠くなっていく彼女の後姿をぼんやり眺めている。傍から見ればそんな所だろうが、それは結果に過ぎない。メアリに抱く全ての感情が同時に最高潮まで達したせいで結果的には調和が取れてしまい平静に見えるだけだ。
ファースト・キスを、奪われた。
これが俺にとってどれだけの絶望か、分かる者はいないだろう。
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