学生達の狂騒曲
俺の中で自宅は不安の象徴だ。守るべきものが何一つとして存在しない、例えるならば内側に刃のついた籠である。どうしてもそこに帰らなければいけないとはいえ、わざわざ刃に当たりに行かねばならない俺の気持ちたるや、自殺者のそれに近いだろう。
軽々しく『自殺』と口にすると怒ってくれる優しい人間もいない事はないが、俺が言うと随分説得力が増すのではないだろうか。反骨心から俺がその手段を選ぶ可能性は皆無だが、傍から見ればそれを選んでも不思議の無い境遇だ。
…………それこそ、安楽死を選ぶのもやむなしってか。
命様を俺と引き離そうとした医者の発言を赦した訳ではないが、彼の過去を知った今なら、悪感情も抱くに抱けない。宗教にハマって家庭崩壊なんて、まるで今の俺みたいじゃないか。事実は俺個人の疎外だが、妙に親近感が湧いた。こんな家に住むくらいなら頼み込んで梧医院にでも住んだ方が精神衛生上、得策だ。
「ただいま」
高校を早く卒業したい。どうしてこの国には飛び級がないのだ。もし飛び級が赦されるのなら死に物狂いで勉強し、一刻も早くこの家を飛び出してやるのに。
帰宅した俺を待っている人物は居ない。妹の姿も見えないし、両親の姿は探そうと思えば見つかるだろうが、そんな気は更々ない。どうせ晩飯など用意されないか、用意されても腐った食べ物しか渡されない(まともな物も渡されない訳ではないが、わざわざ俺に出す為だけに腐った食べ物を保存している様な家庭である)だろうから、さっさと眠って明日にしてしまおう。
階段を上り、自分の部屋に閉じ籠る。一日が過ぎるにはまだまだ時間はたくさん残っており、時間が等しく平等である以上、俺もまた同じ時間を過ごさなければならない。世界がメアリの思い通りに動くのなら、せめて時間くらいは俺の味方をしてくれないだろうか。命様と過ごしている間は一日八〇時間で、そうでない日は一日五時間くらいにするとか。
「…………あ?」
妄想にも近い文句を脳裏で垂れていると、ベッドの上に一枚の広告を見つけた。横たわるのに邪魔だったのでどかそうと思ったが、その中身を見て手が止まる。
「体育祭だあ…………?」
勿論俺のではない。俺の高校の体育祭は広告など打たなくてもメアリの存在そのものが集客に繋がっているので、広告など費用を無駄に増やすだけだ。そもそもウチの高校の体育祭は水泳授業が終わった後に始まるので、もし広告を打っていたとしてら時期尚早も甚だしい。この時期だとウチの高校は定期考査…………ああ、定期考査か。
適当にやろう。どうせ点数は操作される。
それはともかく、この広告が俺のではないのなら、必然的に清華の中学校である事が分かる。だが、問題はそこではない。そんな事はどうでもいい。俺のベッドにわざわざ置かれている理由は分からないが、それだけなら丁重に彼女の部屋へ返し、忘れるつもりだった。
広告に既視感がある。
語弊なく言えば、広告の文字に見覚えがある。こういう行事において宣伝活動をするのは学校ではなく学生だ。故に手書きが基本であるのだが…………やはり気のせいなんかじゃない。この文字、梧医院の広告と全く同じだ。それくらい特徴がある。どちらかと言えば可愛らしい文字。
しかし清華の体育祭につかささんが関わっているとは思えない。その可能性はうちの高校に総理大臣が見学に来るくらいあり得ない……ああ失敗した。やめておこう。メアリが居る以上、この手の妄想は現実になり得る。やらかした。
―――俺のたとえ話のナンセンスぶりは罵ってもらって構わないが、とにかく考えられない。残す選択肢は只一人。そう、幸音さんだ。彼女は彼に代わって色々な事をしている。彼女が広告を作ったのなら、体育祭の広告も彼女が作ったと考えるのが自然だ。
「だけど待てよ? そう考えた場合、中学生がバイトしてるという事に……」
つかささんと幸音さんは似ても似つかない。あれがバイトでないのだとしたら、そして中学生なのだとしたら、色々と不味いだろう。一部の高校はバイト禁止な所だってある。中学生が働くなど問題になりそうなものだが、今の所そんな話は聞いた事がない。
言うまでも無いが、幸音さんがちんちくりんなだけで、実年齢は大人という可能性も十分にある。しかしそれなら清華の体育祭の広告を作っている理由が分からない。あそこは広告代理店か何かか。違うだろう。腐っても医院であろう。
「清華は論外だけど、幸音さんが居るなら……ああ。どうしようかな」
応援するのも吝かではないが、同行者が一人も居ないのは流石に寂しいし、何より俺がつまらない。あれだけ人見知りだと、彼女にはとても話しかけられないし、かと言って気軽に誘えるような間柄の同年代など俺には居ない。
つかささんは診察以外したくないと言っていたから、来ないか、それともよしみで来るかの二択なので誘う必要性はない。
命様はあの勾玉を俺が着用すれば連れて行けるだろうが、彼女に会いに行った時点で俺は腑抜けになり、体育祭の事など忘れてしまうだろう。現世巡りの一環という風にも出来るが、あれはあれで夜に行わねばメアリや信者との遭遇がきつい。
遺伝子上、家族と判断される他人は論外だ。どうせ可愛い愛娘の応援の為に行くだろうし、俺が行こうとしたらきっと妨害してくるに違いない。
「…………ああいや、気軽に誘える存在なら居たわ」
気軽に誘えるような同年代は居ないが、同年代でないのなら心当たりがある。命様と共に俺の精神の均衡を支えてくれる存在の一人であり、図らずして救った事で、勝手に恩義を感じている存在が。
「え? 私を誘ってくれるのかい?」
「心当たりがそれしか無かったんです。人間嫌いなのは承知の上ですが、来てくれませんか?」
「―――ふふ。ああ、いいとも。人混みは嫌いだが、少年と一緒に過ごす時間は嫌いではない。それに、せっかくのお誘いを断るのは悪い」
「有難うございます! でも済みません…………なんか、付き合ってもらっちゃって」
「気に病む必要はない。私も大概気分屋だ。君の自宅前で待ち伏せている時もあれば、学校前で待ち伏せている時もある。今回は誘いに乗りたい気分だったというだけの事さ。或は少年に誘ってもらえて凄く嬉しい…………かもね?」
そう。元メリーさんこと、茜さんだ。
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