正気なのはどちら
「…………ここが医院? 嘘だろ?」
広告を頼りにした結果、辿り着いたのはどう見ても只の一般家屋。辛うじて医院の看板はついているが、電話番号も書かれていないし、本当に客を呼ぶ気があるのだろうか。というかそもそも、本当に病院だろうか。まだ自分の家を病院だと思い込んでいるとした方が説得力がある。
「……気付かねえよ」
それとなく周囲を見渡してみたが、ここは住宅街のど真ん中。病院などあっていい筈がない。今一度広告を確認してみたものの、最終的には目の前の建物に戻ってくる。しかしどうしても信じられない。何処からどう見ても普通の家だ。医院の看板は何となく拾って付けただけで…………
「あ、あの……し、新聞なら間に合ってますけど……!」
「何処をどう見たら俺が新聞屋に見えるんですか! 制服的に考え…………ん?」
俺に声を掛けてくるなんて随分珍しい人間も居たものだ。茜さんの可能性も否めなかったが、噂から生まれた存在が新聞を欲する筈がない。それに声の幼さが明らかに違った。その正体は言うに及ばず、ここの家屋に住まう住人だろう。やはり医院など無かったのだ。この広告は何かの悪戯で、それに気づいた誰かが捨てたのだろう。
そう結論付けてから振り返った瞬間、果たしてその結論が間違っている事に気が付いた。
背後に立っていたのは一人の女性―――というより少女。首に聴診器をかけており、背丈に合わせられた白衣を着用している。ショートボブの髪型は年相応とも言えるが、もし彼女が医者―――つまり見た目通りの年齢ではなく、大人だとするなら、かなり幼さを顕著にさせていると言えるだろう。最早その髪型のせいで中学生にしか見えない。ここまで幼さが露骨だと、普通の服を着ればいいというものでもない。普通の服を着たらより中学生に見えそうだ。
……体つきも、取り立てて凹凸が視えない事から、未成熟である。やはり見た目通りの中学生だろうか。中学生ならそれはそれで白衣を着ている理由が分からない。文化祭なんかはまだ先だし。
「あ、もしかしてこの医院の人……ですか?」
「は、はいぃ……ッ! そ、そうですけど……新聞屋さんですよね?」
「だから何処をどう見たらそうなるんですか! 制服着てるでしょ? 新聞屋が学生服着ますか?」
「…………バイトさん?」
「粘るなー! いや、えーと……そう! 広告を見て来たんです! ここ、梧医院で大丈夫ですよね?」
「そ、そうですけど…………」
どうしよう。非常にやり辛い。
人見知りの相手と話すなんて初めての事だ。信じられないかもしれないが、周囲にはメアリ信者しか居なかったもので、この町においてこれだけ普通の人間と会話出来るなんて夢ではないだろうか。それはそれとして、メアリ信者でない人との会話に経験が無さすぎて、どう話していいか分からない。あちらもあちらで相当な人見知りらしく、俺は棒立ちしているだけなのに、何故か少女の方は常に震えている。
「一応お客なんですけど……本当にここで合ってますか?」
「あ、ど、どうぞ……! 案内しますぅ…………!」
見ているだけで不安になってくる。本当に大丈夫だろうか。少女の背中を追って家の中に入ると、間もなく待合室に到着。「少々お待ちください」と言い残し、少女は受付の奥に入っていく。看板が寂れている割には随分と広い待合室だが、俺以外には誰も居ない。居る筈もない。失礼だろうがこの医院、とても繁盛している様には見えない。
そもそも客が俺以外に居ないのなら、待合室で待たせる意味など無い気がするが。
「あ、済みません…………!」
「はい?」
「お名前を……教えていただいても」
「あ。檜木創太です」
口頭で言っても苗字が掴めないだろうから、携帯で変換してみせる。少女は胸に抱えた表に俺の名前を書くと、恭しくお辞儀をして、また奥の方へと戻っていった。
……本当に大丈夫だろうか。
手際が悪すぎる。本当に営業しているのだろうか。過去形だったとしても疑わない。
「檜木様~! 奥の診察室へどうぞ~!」
「待つ意味ありました!?
三分も経っていない。一体何の待機時間だったのだろう。言われるがまま奥の診察室……と思わしき扉は一つしかない。受付の少女の緊張ぶりに感化されたか、何故か俺も手が震えてきた。それでも尋ねたのは俺なのだから、行って目的を果たさねばならない。ここで帰ってしまうのは冷やかしと同じだ。
「…………よし!」
覚悟の折れない内にノブを回し、半ば勢いで診察室に入ると―――
「やあやあこんにちは。実に半年ぶりのお客様だ、丁重におもてなししようじゃないか」
メアリもそうだが、生粋の外国人の髪は染色には出せない美しさがある。或は殺風景な診察室が背景にあるからこそ、宝石の如く、或いは光を反射する鏡の様に輝いて見えるのかもしれない。回転椅子に座って俺を待ち受けていたのは、金髪の男性だった。
身長は受付の少女と大差ないが、彼を中学生と言うつもりはなかった。印象がまるっきり違うのだ、原因は顔立ちのせいだろう。目に深い隈があり、眼光が尋常ではない鋭さを持っている。中学生だとしたら不健康すぎるし、何より俺の印象を決定づけたのは声だ。
少年の様に中性的なのだが、言葉では説明出来ない色気がある。女性の色気とはまた違うベクトルで、同性としてはこの感覚を既知の語彙で表せないのがもどかしい。
「あ、どうも。梧医院の人……ですよね?」
「梧つかさだ。ああ覚える必要は特に無いよ。もう会う事は無いんだから」
「え?」
梧さんは徐に立ち上がると、仕切りをズラし奥にあるベッドへ手を向けた。
「安楽死に来たんだろう? 歓迎するよ! ああ心配しないで、お金を取るつもりはない。只、この契約書にサインをしてくれるだけで、君は安息を得る事が出来―――」
「ま、待って! 待って下さい! 今日はそっちじゃなくて、精神分析に来たんです! 広告にも書いてあったじゃないですか!」
執拗に広告の端に書いてある文字を見せると、つかささんは露骨に落胆し、大きなため息と共に座り直した。
「…………………ああ、そっち」
「急に気力が失せた!? や、やってるんですよね?」
「………………やっているとも。ふう。何だ、安楽死じゃないのか……残念だ。本当に」
「本当にやってるんですよねッ? そこまで嫌な顔されると何だかこっちが無茶苦茶言ってるみたいじゃないですか!」
「僕の楽しみを奪ったという時点で無茶苦茶言っている様なものだが……まあ、書いてしまったものは仕方がない。精神分析だったか。それならそれで治療契約書にサインを―――」
「あ、精神分析して欲しいのは俺じゃなくて、知人なんですけど…………!」
「ん?」
暫し、沈黙が空間に降り注ぐ。何かおかしい事言っただろうか。
「…………君。もしかして精神分析を知らないの?」
「え。何かこう色々分析して……貴方はこういうタイプですっていう診断じゃないんですか?」
雑誌やネットによく転がっているだろう。例えば好きな色とかとあるシチュエーションにおける判断でどういう人と結婚するのが良いとか、神経質なタイプだとか大雑把なタイプだとか、人の性格を診断するあの診断。精神分析とはああいうものを指すのではなかったのか。
俺の脳内を見透かしたか、つかささんは呆れたように微笑んだ。
「……精神分析は治療だ。人間の性格や本質なんてものは安易に型に嵌められるものじゃない。恐らく君が想像しているであろう精神分析は、通俗心理学みたいなお遊びさ。それにもし君の想像する通りのものだったとしても、本人が目の前に居なければ分析は出来ない。分析して欲しかったら、その知人を連れてきてくれないと」
「つ、連れてこれる訳無いじゃないですか! だって……その。知人って、メアリの事なんですから」
「メアリ?」
彼女の名前を出したらどんな人間もポンコツになってしまうから出来れば出したくなかったのだが、この際仕方がない。
しかしどうした事だろう。つかささんは首を傾げたまま、耳を掻いていた。
「…………え?」
「メアリと言われても、僕は君の知人なんて知らない。そんな全員が知っていて当然みたいに言われても困るよ」
「し、知らないんですか! こ、こ、この町に居るのにッ?」
「うん、知らない。外の事情には詳しくないんだ。それに僕は診察以外の事は極力したくない。だから買い物も勧誘の相手も電話の応対も全て幸音君がやってくれている」
幸音というのはあの人見知りの少女の事だろう。どう見ても受付には不向きだし、買い物もまともに出来るとは思えないが…………いや、そんな事はどうでもいい。それ以上に聞かなければならない事がある。
「つ、つかさ先生! この町に居てメアリを知らないなんてとんでもない事なんですよ! もしかして、患者さんが来ないのってそのせいなんじゃないんですか?」
「そこまで有名な子なのかい? ふむ、少し興味が湧いて来たな。気が変わったから話を聞こうじゃないか。精神分析はしてやれないが、適当に診断しよう。ああ、お遊びだから料金は払わなくても結構。さ、話してみて。そのメアリという知人と―――ついでに君の事も」
メアリを知らないという事は、俺に対して悪感情を抱いていないという事。職業柄それが当然かもしれないが、メアリへの好意はそういう『当然の事』すら超越する。例えば警察官が俺の話を全く信じないみたいに。
隠す必要性もその価値も感じられなかったので、俺は全てを話した。かつて絢乃にやった様に、メアリに対する評価は俺の偏見がマシマシで、それだけで一時間が過ぎた程である。つかささんは「うんうん」と相槌を挟みながら、それでも一切の口を挟まず、聞いてくれた。その態度が、俺にはとても好意的だった。人の話をきちんと聞く。これがきちんと出来るメアリ信者はほぼ居ない。
「…………成程。君だけがその少女を嫌い、警察さえも少女の正義を信じている。一方でその少女には他人への関心が無く、また興味も無い……………か」
「そうなんですよ! ……所で先生はどうして急に俺の事を知りたくなったんですか?」
「ん? ああ、それか。簡単な事だ。こういう診察を続けているとね、一目見ただけでもある程度その人の精神状態が掴めるものなんだ。話を聞くに君は幽霊が視えるそうだが、それなら合点がいったよ」
「……どういう事ですか?」
「―――数年前、この病院に一人の少女が診察に来た。用件は君と同様に精神分析だ。何でも、世界から色が抜け落ちたとか何とか」
「まさか、それがメアリですかッ?」
「違う。私は診察に来た患者の名前を一人残らず全て覚えている―――分析を続けている内に興味が湧いてきてね。僕は特別な診断をしてみる事にした。補足しておくと、公的なものじゃない。飽くまでこれは僕の趣味みたいなものだ」
そう言ってつかささんは、机の引き出しから一枚の用紙を取り出した。
「それは?」
「精神異常値と勝手に名付けてある。この数値が高ければ高い程その人の精神は歪んでいて、犯罪者になる可能性が高いって数値だ。しつこいようだがこれは僕のお遊び。何の根拠もないとは言わないが、信用力は無いよ?」
「はあ…………」
「話を聞いた所、その少女も君みたいに見えてはいけない存在が見えていた。因みに普通の人がこの診断を受けても-になる事は幸音君で確認済みだ。さて、そんな少女の精神異常値だが―――」
何やら話がズレている気もするが、今は先生の話を聞こう。
「驚異の九八七。最早普通の社会で生きる事は不可能な数値だった」
つかささんは用紙を机の上に裏返しにして置いた。
「幸い、その狂気は少女の知人である少年に好意として向けられていた。あの小さな体に秘めたる膨大な狂気を、少女は恋という感情一つで完全にコントロールしていたんだ。一見すると君とは何の関係も無いかもしれないが―――君、神様と話せるんだってね。しかも泊まった事まである、と」
「は、はい。信じてもらえないかもしれませんけど」
「いや、信じるとも。そうでなければこういう仕事は務まらないからね……だが悪い事は言わない。今すぐに関係を断った方が良い」
「…………は? な、何で? 何でそんな事言われないといけないんですか!」
命様は俺の拠り所であり、絶対の味方だ。俺が来なければ今も孤独だったであろう神様。恩着せがましく言うつもりはないが、だからこそ親近感が湧いた。信者になろうと思ったのは彼女を助ける為でもあったし、心の空白を埋める為でもあった。
それを初対面の人物にいきなり否定されれば、誰だって怒る。不愉快極まりない。
「檜木君、君は憑かれている。オカルトな話をしているのではなく、心の話だ。君の心はその神様に憑かれてボロボロで、今にも崩れ去ってしまいそうだ。その少女は恋愛感情だけで理性を保っていたが、君は全く保てていない。話を聞く限り、君が蛇蝎の如く嫌うメアリは異常者で間違いないだろう。それも中々非現実的な異常者だ。しかし周りが君を嫌う中で、そのメアリだけは君に友好的に接してくるそうじゃないか」
「そ、それは…………そうですけど! それとこれとは話が違うでしょう!」
「いいや、違わない。人には相性というものがある。馬が合わない人とは自然と距離を取るし、そうでなければ自ずと親しくなってしまうものだ。考えてもみたまえ、君はメアリを好く者を信者と呼ぶが、一方でそのメアリは君以外に全く興味を示していない。それは何故か、馬が合わないからだ。万人に好かれていながら、その一方で殆どの人間とは馬が合っていない……と仮定すると、だ。そのメアリが唯一積極的に話しかけてくる君は―――メアリと馬が合ってしまう。君の発言を聞く限りではメアリは異常者だ。だがそんな彼女と馬があってしまうという事は、君もまた異常者の一人になってしまうんだよ?」
「違う! 俺とアイツは全く馬なんて合わない!」
「僕は何も君に意地悪をしようってんじゃない。君の心がボロボロになっているのは間違いなく『視える力』のせいだ。かつて診断した少女がそうであったように、視えてはいけないものが視える人間は総じて精神を病みやすい。僕は君を助けたいんだ。君の心が回復すれば、メアリと君は馬が合わなくなるだろう。そうすればメアリに悩まされる事は無くなる筈だ」
「違う違う違う! 命様は何も悪くない! 悪いのは…………悪いのはメアリだ! メアリが……メアリが! 俺とアイツが同類だなんてあり得ない! だって俺はアイツの事が大嫌いで―――!」
「では君が唯一嫌われ者の立場を得ているのは何故かな? 公言しているせいもあるだろうが、こうは考えられないだろうか。メアリが君を『メアリを嫌っている』という唯一の立場に置く事で、他の人からの理解を断絶しているのではないか……メアリへの好意の前では、どんな人間も人が変わってしまうらしいね。ならば本来馬が合う人間―――君の理解者になり得た人物すら遠ざける事で、彼女は君の唯一の理解者になろうとしているんじゃないか、と」
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