FILE 03 群痛殺人
未知とは既知の中に
「…………そうか。信者となり得る者は、逝ってしもうたか」
あれから一か月。
俺は命様の社にも向かわず、一人で空虚な時を過ごしていた。それくらい絢乃さんの死がきつかったからではなく、命様に報告するのが辛かったからだ。信者が増えれば命様が喜ぶ、俺以外にようやく二人目の信者を連れてこれる……と思った矢先に、あれだ。どういう顔で報告したら良いか分からなくて、信者も連れてこれない俺の無力さに嫌気が差して、気づけば一か月が経っていた。
だがいつまで経っても行かなければ死んだと思われかねない。俺が戦えるのは彼女の死を無駄にしないという命様という絶対の味方が居るお蔭だ。それは丁度、戦争に似ているのではないだろうか。背後に拠点や補給地点があるのなら撤退という選択肢が取れるだろう。だがそれすらもなく敵に囲まれているなら、特攻するしかない。或はその場に留まるしかない。
感覚としてはそんな感じで、何も絢乃さんだけが動機という訳じゃない。そこまで彼女との関係は深くない。だが動機の一つである事は間違いない。命様の存在に支えられ、絢乃さんの死に奮起したからこそ、俺は立ち向かう事を決意したのであって、どちらかが欠けていても駄目だった。
具体的に言えば、命様が居なければ絢乃さんが死んだ時に「俺もいつかはこうなるのか」と絶望しただろう。絢乃さんが居なければ俺は早々に現世に見切りをつけて「メアリから逃げよう」と考えただろう。つまりはどちらも必要だった。誤解を招きかねないので早めに弁明しておくが、絢乃さんが死ねば良かったという訳ではない。彼女が生きて、無事に命様の信者にする事が出来ても、それはそれで打ち破ろうと思っただろう。
必要なのは二人の存在と立ち位置だ。命様は俺にとっての『安息地』。絢乃さんはメアリ打倒の『きっかけ』。それが俺を駆り立てた。
「…………申し訳ございません! 俺の力不足で……信者を。命様が本来の姿に戻る第一歩を……踏ませる事が出来ませんでした……!」
「………………」
信者が一人増えたからと言って何かが変わる訳ではないだろう。強いて言えば神通力が少しだけ使えるかもしれないだけ。本来の命様に戻るにはまだまだ人数が足りない。しかし、塵も積もれば何とやら。日々の積み重ねこそ命様を本来の姿に戻す秘訣ではないだろうか。俺はそれすらも出来なかったのだ。
「……………………それで、お主が一月ばかり姿を見せなかった理由は何じゃ?」
「それは、命様にどう報告したら良いものかと悩んだ結果と言いますか…………どんな顔をして会いに行けばいいか―――」
「馬鹿者がッ!」
初めて聞いた命様の怒声。びっくりして縮こまってしまう。しかし声とは裏腹に命様の手が優しく頭の上に置かれた事で、俺は思わず顔をあげてしまった。
命様は怒っていなかった。かと言って泣いている訳でも無かった。とても穏やかな表情だ。強いて感情を述べるならば安堵。まるで己の間違いを責め立てる子供をあやす様に、自らの非を問い質し続ける俺に代わって、檜木創太の味方をする様に。
「……神に心労を掛けるなど論外じゃ。お主が妾の信者であると宣うならば、如何なる罰も受け入れる覚悟は出来ておろうな」
「…………はい」
「―――ならば二度と妾の前から姿を消すな。これがお主への罰じゃ」
「……え」
「返す言葉はどうした! 信者ならば一つじゃろう!」
「は、はいぃ!」
その端麗なる容姿からは想像もつかない剣幕に俺はすっかりビビり倒した―――もとい畏れてしまった。怒髪天を衝くなんて言葉があるが、神様はそれを地でやってのけてしまう。結膜の色が反転し、瞳孔から光が無くなった時はいよいよ神の怒りに触れたかと―――いや、触れてもおかしくない事をした。実際、命様でなければ一発で粛清されていただろう。
しかしそれも一瞬の事。瞬きを一つ経た時にはいつもの命様に戻っていた。
「本当にしようのない奴じゃのう。どう報告したらなど、その様に下らない事で悩んでおったとは。妾がお主を叱るとでも思ったか愚か者め。一度や二度の失敗も許せぬほど狭量な神になった覚えはないぞ。それに妾はのう、創太。お主の事を離しとうないと以前述べたな?」
「は、はい」
「あれは嘘偽りのない本音じゃ。妾にとってお主とは特別な存在であり、寵愛を与えるに値する人間じゃ。たとえ数年、妾の信者が誰一人として増えなかろうとも、お主だけには居て欲しい。妾はお主の家族とは違う。決してお主を見捨てたりはせぬ。だからの、創太―――お主だけは、消えてくれるな」
俺は命様が好きだ。好きだから笑顔にしたいし、悲しませたくない。ここに来たのは偶然だったが、ある意味で俺と彼女の出会いは運命だったのかもしれない。そんな不確かな物を信じて生きる程俺はメルヘンではなかったつもりだが、生憎とこの身体はそんな不確かな存在を確かに出来る力を持っている。信じても損はないだろう。
人生最大の損は、メアリという存在を知りながら、どうしてもそれを受け入れられないという事だ。
これ以上は無い。あるとすれば人類滅亡だ。
「…………申し訳ございませんでした」
「もう謝るな。これから気を付ければ良いのじゃ。そこでどうじゃ? お主への禊も兼ねて、これから水浴びにでも」
「え、良いんですか!?」
「拒否権は与えぬぞ…………と言いたかったが、乗り気ならばその必要はないの♪ では早速行くとするか!」
機嫌を直した命様に手を引かれそうになった所で、俺は待ったをかけた。
「あ、命様。先に言っておきたいんですけど、今日は俺、この社に泊まりませんので」
「むむ、何故じゃ? 話の流れではどう考えてもお主が泊まる流れであろうに」
「済みません。代わりと言っては何ですが、もうすぐ夏休みですので、その時に改めて泊まらせて頂きます」
「夏休み……何じゃ、それは」
「日数にして一月と少し存在する学生特有の長期休暇です。俺はその時間を全て命様に捧げます。これが禊になるかどうかは分かりませんが…………どうでしょう」
勿論、やる事が無いからというのも理由には含まれている。夏休みの宿題などやってもやらなくてもどうせ補習はやらされるし、補習のテストは教師の機嫌次第では解答を書き換えられて0点になる。つまり俺に評価される点数を取る意味は無いのだ。数字ほど確かなものはないが、俺の場合、数字ほど不確かなものはない。感情一つで左右される数字など頼りなさすぎる。
だからこそ、俺は何よりも確かな己の感情を優先する。つまりは命様への愛だ。七日七晩の子作りは出来なさそうだが、メアリの名前を一か月以上聞かずに済むかもしれないというだけで、十分捧げる価値はある。
俺なりに贖罪の意を込めて言うと、命様は再び手を引っ張り―――今度は俺の胸に抱えられる様に、丸く収まった。
「な、何です?」
「気が変わった。お主が妾を運ぶのじゃ」
「え…………え?」
「一度目はともかく、もう道も覚えたじゃろう。言っておくが、これは妾なりの手心じゃぞ?」
「手心?」
「うむ。その夏休み中は毎日これをやらせるからのう! 今の内に妾の重さに慣れておかぬと辛かろうて!」
重さに慣れる…………?
何を言ってるのか分からない。命様は軽すぎて、まるで重量を感じないというのに。
命様との水浴びも終わり、俺は再び街に降りていた。今日は意を決して報告に来た訳だが、それはとある行動を後回しにしたという意味でもある。
「………………おはよう、絢乃」
四季咲絢乃。俺にメアリと立ち向かう切っ掛けをくれた、大切な人物。何度でも言うが、俺にとって繋がりの深さとは時間ではない。その人がどんな風に繋がっていたか、である。絢乃が居なければ俺はメアリの支配する世界が齎す暴虐に耐える人生を送っていただろう。
付き合った時間は浅いが、俺は彼女の事を忘れるつもりはない。だからこうして墓を作った。
勘違いする人間もいないと思うが、俺と彼女に血縁関係は無い。勝手に墓を作るなんて非常識だし、非道徳的だ。犬や猫の墓とは訳が違う。俺が建てた墓は、確かに生きていた人間の名を刻む墓だ。墓石みたいに立派なものは用意出来なかったが、それでも手厚く葬らせてもらった。俺なりに全力は尽くしたと思う。
こんな事をすれば、普通であれば彼女の家族が、友人が赦さないだろう。下手すると警察も赦してくれないかもしれない。だがメアリが住むこの町は最早普通ではない。誰も彼女の死など気にも留めていないのだ。まるで最初から居なかったみたいに、探そうともしなければ消息を尋ねてくる事もない。学校さえ、それは例外ではなかった。
俺はそれが赦せない。絶対に相容れない形であれ、絢乃は確かに生きていた。自分以外は心底どうでも良さげなメアリじゃあるまいし、誰かが気にしたっていいだろう。『俺が殺したんだ! お前を絶対に許さない!』と言いに来る奴が一人居てもいいだろう。どうしてそれすらない。どうして全員、絢乃が死ぬ事を許容している。妹なんて仲が良かった筈だろう。怨嗟の一つくらいぶつけてきたらどうなんだ。
お前がお姉ちゃんを誑かしたから死んだんだ! くらい理不尽な事を言ってきたらどうなんだ!
……まるでメアリみたいだ。アイツの『死に時理論』はろくでなしの人でなしという前提ありきでこの上ない最強の理論武装。それが世間に浸透しているのか……?
「俺は……お前の為に絢乃さんを救おうとした。お前と友達になりたかったよ絢乃。俺はお前が好きだった。本当に……お前となら、休日を一日費やして馬鹿みたいに遊ぶのも悪くないかなって、気を緩めるのも悪くないかなってさ…………ほんと、思ったんだよ。少しだけさ。でもその少しも、大きくなる筈だったんだ。俺達の関係は、もっと続く予定だったんだ…………」
語る事がない。これから生まれる予定だった。そして永遠に生まれない。思い出の死産だ。
「…………メアリを倒す。お前の敵を討つ。その為には手段を選ぶつもりはない。だから応援しててくれ。俺は今日も、これからも……絶対に屈しない」
近くの花屋で買った花束を置いて、俺は墓から離れる様に歩き出した。ここは立ち入り禁止になって久しい場所だ。誰も来ないし見ていないとは思うが、早めに出るに越した事はない。命様との幸せな日々を先送りにしてでも、俺はメアリという怪物と戦わなければならないのだ。その為には何が必要か。
「………………」
物理的に殺すのが手っ取り早いが、犯罪者になるつもりはない。それにもしやってみたとして、素人が刃物を持ったところで勝てる相手ではないだろう。アイツが神に愛されていると思う理由は、何も恵まれた身体スペックだけの話ではない。恐ろしいまでに運が良いのだ。幸運全てが彼女の方向に向いているみたいに。
撃とうとすれば必ず銃が暴発し。
刺そうとすればナイフがいつの間にか自分に刺さっているし。
爆弾……は流石に試せないが、どうせ不発になる。そう信じ切っても良いくらい、運が良いのだ。それはアイツ自身も自覚しており、宝くじを買わないのは『一等ばかりが当たってつまらない』という理由に尽きる。
まあそれは運と言うより、くじを売る側の忖度がある気もするが……
「そう言えば俺、アイツの事何も知らないな…………」
あまりにも嫌い過ぎて知ろうともしなかったから、俺はメアリの事を何も知らない。知っているのは趣味くらいで、家族構成も、住所も知らない。
将を射んとする者はまず馬を射よという言葉がある。それとは少し違うが、本人を打倒する為には、まず彼女の事を知るべきではないだろうか。家族であったり、生い立ちであったり、苦手なものであったり、その心理であったり。
本人に聞けば簡単に教えてくれるだろうが、もし何かを勘付かれてしまえば対策を打たれる恐れがある。それは最終手段だ。問題はその最終手段を除くと、彼女を知る方法が殆どなくなってしまうという事(信者に聞けば間違いなく勘繰られる)だ。
「…………あん?」
無意識に地面を見ながら歩いていたら、気になる広告を見つけた。誰かが捨てたのだろう。手作りの広告らしく、文字が丸まっていて可愛らしい。凄く特徴的な字でやたらと物騒な事が描かれている。
『生きるのに疲れた 楽になりたい とにかく死にたい そんな貴方には梧医院がオススメ! 梧医院では安楽死を行っています!
精神分析もやっています』
そんな建物の名前は初耳だが、紙の端っこに小さく描かれている言葉が俺を引き付けた。精神分析が何なのかは分からないが、もしかすると…………
「…………」
行くだけ、行ってみようか。
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