無知なる悪、無垢なる善

 何も出来なかった。


 何かをする前に叩き潰されたと言っても過言ではない。俺は絢乃の為に何をしてやれた。唯一の味方だった。俺にとって不可視の存在を除けば、唯一俺と同じ孤独を知る者だった。出会ってからの期間や時間の長さは関係ない。彼女は俺にとって仲間だった。友達だった。二重人格という特殊な状況下とはいえ、気兼ねなく話せる数少ない存在だった。


 それを信者共は、ゴミクズみたいに蹴散らしてくれた。誰が誰と仲良くしていたって、そんなのは人の勝手だ。そこを弁えているから、俺も口を出したりはしていない。『なんであんな奴と仲良くなるんだ』ではなく、努めて『なんであんな奴を好きになれるんだ』というスタンスに徹している。この人付き合いの自由に対する考え方はメアリでさえ例外ではないのだ。誰よりも頑固な俺でさえそうなのに、信者共と来たら、まるで一度の例外でも赦してしまえば自分たちが死んでしまうみたいではないか。


「…………」


 警察はきっと俺を疑うだろうし、どれだけ無実の証拠を並べ立てても、信じてくれるとは思えない。メアリを嫌いというだけで、法律は意味をなさない。証拠能力など存在しない。この世界は俺にだけ―――メアリを嫌いな奴にだけ、異常に厳しい。



 トゥルルルル。



 絢乃の死体、どうしようか。


 一般人の対応としては以前と同じく警察へ通報するだけで良いのだが、アイツ等は人殺しの責任をおれに擦り付けようとしているし、十中八九それは成功する。成功した場合、何をしても俺の無実を信じてくれる奴は居ないので、ならば犯人らしく、死体をどうにかしてやるのが道理ではないだろうか。


 無論建前だ。しかし放っておいても通報しても、彼女の死体は碌な目に遭わないだろう。親に返そうが、寺に渡そうが、警察に渡そうが。結果は同じだ。彼女の死体は辱められる。『メアリを裏切った最悪の人間』として。永遠に。


 これは俺の妄想でも何でもなく、今までの経験から導き出されるある種の未来だ。メアリを信じる者達はそれくらいやってしまう。嫌いな奴への配慮など一ミリも無い。それは最も完全なる形の不信でもあり、最も揺るがぬ信用でもあった。いうなれば、信者のテンプレ、である。


 だからこそ、俺がどうにかしようという気になった。高校生程度の懐では葬式をあげるなど夢のまた夢であると承知しているが、何処かに埋めてやるくらいは出来る。例えばそう―――黄泉平山に埋めるとか。


 立派な墓など作れない。悔やみの言葉しか述べられない。それでも俺が埋めてしまえば―――金輪際、彼女はメアリとその信者に関わらなくて済む。『裏切者』として辱められずに済むのだ。



 トゥルルルル。



 問題は俺が死体を長時間運べるのか、そもそも触れるのかという点だけだが、これが結構問題だ。出来るかどうか分からないから、こうして立ち尽くしているのである。



 トゥルルルル。



「うるせえなあ!」


 人が友人の死を悼んでいる時に掛かってくるなんて空気の読めない着信だ。苛立ちと沸々と煮え立った怒りを胸に確認すると―――周防メアリの名前を認識。後もう少しだけ怒りを抑え込むのが遅かったら、俺は出血する事もお構いなしに携帯を叩き割っていたかもしれない。


 どの面下げて電話を掛けてきやがったんだ!


 本人が何かした訳ではない。そんな事は分かってる。分かっていても、人にはどうしても納得出来ないものがあるのだ。俺の気持ちなどお構いなしにズケズケと土足で踏み込んでくる着信音は、まるで悲しみに打ちひしがれる俺をあざ笑っていたみたいではないか。そう考えたら増々腹がたってきたが…………出ない訳にも行くまい。丁度俺からも、アイツに言ってやりたい事がある。


 応答ボタンを押して、携帯を耳に当てた。


「…………もしもし」


「あ、もしもし創太! 聞いてくれる? 実は今日とっても良い事があったんだよ~!」


「へえ。そうか」


「あのね~水着の件なんだけど。売り場の方で試着してたら店員さんが『メアリさんはとても可愛いからタダであげる』だって!! それでね! 学校の方もスク水じゃなくてオッケーになったらしいから、私も新しい水着着ていこうかなって思ってるの♪ えへへ、楽しみだな~!」


「…………そんな事の為に、電話を掛けてきたのか」


「え、そんな事って酷いよー創太。女の子にとって水着選びは服を選ぶようなものなんだよ?」



「こっちは人が死んでんだよ! お前あんまりふざけた事言ってると本気で殺すぞ!」



 駄目だ。


 本人の声を聴くだけで、俺は感情が抑えられなくなる。反抗期の子供みたいに、何かと暴れて、噛みついてしまいたくなる。


「人が死んだって?」


「絢乃だよ。完璧なお前なら覚えてるよな、名前くらい! アイツが死んだんだよ! お前の大好きな、優しい筈の皆のせいでな!」


「…………? 皆がそんな事したの?」


「そうだよ! お前を裏切ったとか言い出して、不当に暴行を働いたんだ! アイツはお前を裏切ってないのに、裏切ったと言わせたい一心でリンチし続けたんだよ…………それで、死んだ。これでもまだ死に時が云々って言えるか!? 死に時じゃない奴は何されても死なないって言えるか!?」


「うん。言えるよ」


 即答。無邪気な笑顔が容易に想像出来る開幕の自分語りとは打って変わって、今の彼女の声音からは、どんな表情をしているのか全く掴めなかった。無表情……とも思えない。俺と違って、声は死んでいない。


「実際に世界でもある事でしょ? 余命半年が一年生きちゃったとか、余命半年と言われて十年が経過したとか。死に時じゃない人は何が起きても死なないんだよ。原因はともかく、絢乃先輩は今日が死に時だった。それだけの話でしょ」


「…………じゃあアイツが感じた痛みは何処だ? 苦しさは、空しさは、悲しさは? 死に時だったってそれだけで片付けて良い訳ないだろうが! 人には感情があるんだぞ!」


「ちょっと落ち着いて、創太。幾ら絢乃先輩と仲が良かったからって、取り乱し過ぎだよ」


 まるで取り乱さないメアリとは対照的に、俺は言葉に詰まるわ、取り乱すわ、全く冷静になれていなかった。そんな俺にとって今の言葉は止めに等しかった。関与していない筈のメアリが、何故その情報を知っているのか。信者共を勘違いさせたのは、路地裏における俺達のやり取りだ。そしてそれは誰かが目撃したもので、そこから広まる形で―――



 …………まさか。



「もう学校中が持ちきりだったよ? 創太と絢乃先輩が路地裏で抱き合ってたって」


「……………………お前。何でそれ、知ってんの?」


「え? だってそれ目撃した人って、私の協力者だから」


「協力者…………だとぉ」


「うん。協力者。創太っていつもどっか行っちゃうから、誰かに監視させた方がいいかなって思ってね。そうしたらたまたま見ちゃって、しかも写真まで撮っちゃったって訳! で、付き合ってたの?」


「……じゃあ、てめえのせいじゃねえか」


「何が?」


「てめえのせいで………………てめえが余計な事したから、絢乃が死んだんじゃねえか!」


 携帯を握る手が震える。火事場の馬鹿力とはまた違うが、このまま勢いで握り潰してしまいそうだった。楽観的な声が、人の死に対して何も感じていない様な虚ろな(この場合、感情が伴っていない事を指す)声が俺のはらわたを煮えくり返らせる。頭がどうにかなってしまいそうだ。気が狂ってしまいそうだ。


「人のせいにしないでよ~。私がナイフ持って直接殺したとかならまだしも、関係ないし。あ、でも皆が殺ったんだっけ。そっちは確かに良くない事だね。ありがと、創太。後で私の方から良く言っておくよ」


「良く言っておくよじゃねえんだよ! お前は…………以前もそうだ。少しは死んだ人間に対して申し訳ないとか思わないのかよ!」


「関係ないのに申し訳ないなんて思う訳ないじゃん。それに、今の創太を見てたらやっぱりそう思うよ。絢乃先輩が死んだ事について創太は何も関係ないのに、勝手に責任背負い込んで泣いてる。死に時を迎えただけなんだから、悲しむ必要なんてないのに。辛くなるだけじゃん。死に時を迎えた人間なんて覚えてても辛くなるだけだし、だから私、もう話題に出さないでねって言ったのに……どうして創太は自分から辛くなりに行くの?」


「だって―――俺が。俺が選択を間違わなきゃ生きてたんだ! 絢乃は…………アイツはまだ、生きる気力に満ち溢れていた筈なんだよ!」


「だーかーらー。創太が辛くなっても、後悔しても、反省しても、死んだ人間なんて只の肉だし、生き返らないでしょ。忘れなよ。忘れて今を楽しく生きよう! 私と一緒に!」


 何を言っても話が通じない事だけは相変わらずだ。しかし何故だろう。非常に微妙な所で何かが変わっている…………様な…………………?


 いや、気のせいだ。これ以上会話を続けると精神に支障を来たす。俺は「くたばれチート野郎」とだけ言い残し、通話を切った。


 こんな奴を好いたまま死んだのでは、増々絢乃が報われない。何かに忠義を誓い死んだのなら、忠義を誓われた側も、相応の対応を見せなければならない―――というかまず見せる。魚心あれば水心とはそういう事だ。


 だのにメアリにはそれがない。周りが勝手に慕っているだけ。死んだら「死に時だった」とそれっきり。興味もへったくれもあったものじゃない。


「…………俺は、無駄にはしない」


 俺だけが被害に遭ったのならば、まだ耐えるだけでも良かった。命様や茜さんと暮らしながら、心を癒し、傷つける日々を繰り返していれば良かった。だがそこに彼女が加わってしまった今、後戻りは許されない。彼女の死を無意味としない為にも、俺は本格的に挑まなくてはいけなくなってしまった。







 神に愛された女子高生、或は神の生まれ変わりとも言える周防メアリに。



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