全能に挑むという事

 絢乃とは連絡先を交換していないのが、ここで裏目に出るとは思わなかった。いや、裏目に出た訳じゃない、物理的に無理なだけだ。彼女からすればまさか裏の方と連絡を取っているとは思わないだろうし、ならば連絡先など交換してみろ、気が付いたら大嫌いな男の連絡先を持っていたなんてホラーで済む話ではない。


 茜さんと別れた後、俺は校舎に戻り、彼女の姿を探す事にした。まだ学校に居る確証はなかったが、居ない保障もない。だが安心して欲しい。学校より外は全て茜さんが探してくれるそうだから、もし帰宅しているなら見つかるのも時間の問題だろう。


「…………やっぱおかしいな」


 範囲を考えても絢乃が居る可能性が高いのは外なのに、どうして俺がわざわざ学校に戻ったか。それは壁や家をすり抜けられる茜さんに捜索能力で劣るから……ではなく、屋上に集まる人だかりが気になったからだ。メアリ以外の全てに嫌われている俺を無視してまで集まるなんてよっぽどの事があった証拠だ。そこに絢乃が関わっている証拠はないが、表が信者なら同じ様に集まっているかも……と考えた。


 妹との一軒でかなり時間が経過したにも拘らず、学校が開いていて、屋上に人が集まっているのを見た瞬間それを確信した。何かある。そして元凶であるメアリは多分居ない。アイツの一挙手一投足は全てにおいて正義になる―――多数派となるが、アイツ自身は究極の少数派。誰かに流される事は絶対にない。


 時刻は午後八時。部活なんざとっくに終わってる時間帯だ。すると増々滞在理由が分からない。俺は今一度学校に入ると、いつかすれ違った奴等と同じように、脇目もふらず屋上へ駆け上がる。学校から黄泉平山までノンストップで向かう事に比べれば、全く何の苦にもならなかった。後は扉を超えれば屋上……という所で立ち止まり、壁に耳を当てる。





「おい、これどうする……?」


「やばいわよ…………」


「いや、でも俺ら悪くなくね? 元はと言えばメアリを裏切ったこいつが悪いんだし……ああそうだ! あいつがやった事にすれば良くね?」


「あいつ?」


「ほら、こいつがつるんでたメアリ嫌いの高校生だよ。アイツならやりかねないし、アイツがやったって事にすれば警察も捜査しねえだろ」


「成程、名案だね。じゃあ僕たちは帰ろうか」





 ちょっとまずい。


 俺は咄嗟に階段を飛び降りて三階まで戻ると、近くにあったトイレに駆け込み、用具入れの中に身を潜ませた。何をしたか知らないが、責任転嫁をする予定の俺が見つかったら只では済まなくなる。着地の際に派手な音を出してしまったが、あれだけの人数が居ながら、誰一人としてその音に気付かなかったのは少し不思議である。何か自分たちのしてしまった事に狼狽していた様だし、それで聞こえなかったのだろうか。


 階段を下りる足音が聞こえるまで、生きた心地がしなかった。何を押し付けるつもりか知らないが、少なくとも良識のある人物(良識とはメアリを好きである事)が狼狽する様な事だから、どう考えても犯罪……それに類似する事柄である。


 勘違いしないでおきたいが、常識の欠片も無いのはメアリだけで、メアリさえ関わらなければ他の人物は至って普通だ。普通…………普通とは何なのか、その定義が問われる所だが、まあいい。足音が完全に消えてから、更に五分待って、ようやく俺は用具入れから飛びだした。


「知らなかったとはいえ、本人の目の前で責任転嫁の計画を立てんじゃねえよ…………」


 それにしても、メアリを裏切ったとは、どういう事だろうか。


 清華は中学生だから面識がない。そもそも俺の家族構成を知っている奴は極少数だ。除外。


 絢乃さんは『裏』はともかく表は典型的な信者だ。裏切る処か、崇拝し続けている。除外。



 ……心当たりが無くなった。



 マジで誰だ。


 大体そういう裏切り者は俺に接触してくるんじゃないのか。用具入れには無理やり身体を押し込んだため、飛び出す際にデッキブラシが何本か倒れてしまった。何も無いとは思うが、念のため一本拝借。一瞬で飛び降りた階段を、慎重な足取りで上っていく。


 もう誰も居ない筈だ。それなのに足が一段掛かる度、肺が踏みつけられる錯覚を覚える。妹に絞殺されかけた時も大概苦しかったが、この感覚はそれ以上……脳が先んじて何かを視たとしか考えられないきつさだった。勿論俺に未來視じみた能力は無いが、ではこの確信にも似た予感は何なのだろう。


 ようやく屋上まで辿り着いた。扉は開け放されたままぶらぶらと風に揺られている。誰も閉めなかったのか。お蔭で外の景色が月光に照らされ良く見えた。


 自殺防止機能として全く意味をなしていない金網も、血の沁み込んだコンクリートも、アイツ等が俺に押し付けようとした事柄も。






 変わり果てた姿で横たわる、四季咲絢乃の姿も。






「………………お、おい」


 死体を見た事がない訳じゃない。直感的にそれを死体と悟り、だからこそ俺の思考は真っ白になった。何度もリンチされながらも、元家族に殺されかけながらも、それでも俺は、知人が死ぬなんて考えてもいなかったのだ。


「おい…………! 起きろよ、絢乃! お、お前………………」


 初めて死体を見た時と反応が違うって?


 当たり前だ。あの時は恐怖しか感じなかったが、今回の死は……四季咲絢乃という唯一の仲間の死は、恐怖のみの感情では片づけられない。妹との一件を経て、ようやく絢乃さんを助けられる算段がついたというのに、その直後にこれだ。


 後悔。


 恐怖。


 無力感。


 絶望。


 動揺。


 不安。


 困惑、困惑、困惑、困惑、困惑、困惑、困惑、困惑。


 乾坤一擲の作戦に失敗してこうなったのならば、話は分かる。それでも俺は悲しんだだろうが、命を懸けて挑んで失敗した以上、悲惨な結果は付き物だ。まだ納得もしただろう。



 しかしこれは…………何だ? 何なのだ、これは。一体全体、どうしてこうなってしまったのだ。



 理解不能はこの世で最も恐れなければならない感情だ。未知は既知を拒む。理解出来ないし、したくない。メアリに対する感情と同じだ。俺はこんな現実を……認めない。認めたくない。俺達はまだ何もしていないのに、作戦はこれからだったというのに。まだ何もしていないじゃないか。


 今日、絢乃が何をした?


 絢乃が学校に来て何をした?


 俺が話したのは『裏』だ。絢乃さんには関係がないし、いつもの学校生活と変わりなかった筈だ。


 誰かを傷つけたか?


 メアリの事を嫌いだと宣ったか?


 したのは会議だけ。それも大して収穫の無かった会議だ。この作戦にタイムリミットは無いからと俺はそこそこ楽に身構えていたし、絢乃自身もまだまだ会議を重ねていくつもりだった筈だ。今生の別れをするつもりなんて、更々なかった筈だ。


 死体に近づく。全身を殴られているせいで、体が原型を留めていない。血塗れの肉塊と評しても過言ではないくらいボコボコにされていた。


「………………………起きろよ」


 認めない。


「起きろよ、四季咲絢乃!」


 俺は信じない。


「懸命に自分を助けようとした奴が、何一つ報われないまま死ぬなんて、そんなのは認めないぞ!」




「…………悪いな、死んじまった」




「…………えッ」


 思わず振り返ると、昼間では確かに健在だった彼女が、そこに立っていた。絶対に認めるつもりはなかったが、隣に魂があるのを『視て』しまった瞬間、俺は彼女が確実に死んだ事を認めた。認めるしかなかった。


 『視る力』が働いているとはそういう事だ。絢乃は金網を何度かすり抜けた後、自分の様子を不思議そうに観察してた。


「へえ。死んだらこうなるのか……でもお前、何で見えてるんだ?」


「………………絢乃、さん?」


「今更さん付けなんてやめろよ。俺は俺だ。四季咲絢乃の裏の人格……いや、今はもう『表』か」


「ど、どういう事だ…………よ」


「一から説明してやるよ。俺に何が起こったのかを」


 何でも路地裏で抱き留められている所を生徒の誰かに目撃されたらしい。当然、絢乃さんには知る由もない話だから否定するしかないのだが、たったそれだけで赦してくれる程信者は甘くない。彼女は屋上に連れていかれ、『メアリを裏切り、あまつさえ彼女を嫌う男に股を開いた』事を認めるまで殴る蹴るの暴行を加えられた結果、知らないものは知らないと言うしかないので、やられる所までやられてしまい、死んでしまったそうな。


 その影響で絢乃さんの人格は完全に崩壊。肉体の死亡と共に消失し、『裏』だけが残ったそうな。


「いやあ、俺もびっくりしたぜ。あんな所を誰かに見られてたとはな。しかも助けてもらっただけだってのに、なあ? 絢乃は最後まで抵抗してた。でも集団の暴力には勝てなかった。もしかして俺達は、とんでもない奴を相手にしてたのかもな。アハハハ!」


「…………………………何で…………そんな」


「ん?」


「お前は…………何で気楽なんだよ。死んだんだぞ、お前。俺が視えるからこうして話せるけど、でも生きてる訳じゃない! お前、絢乃さんを助けてほしかったんじゃないのかよ! だから俺に助けを求めたんだろ!? もっと……無念そうにしたら……どうだよ………………!」


 結局、依頼人兼対象者が死亡したので、俺は頼まれた事を何一つとして為せなかった。口汚く罵られ、呪われても文句は言えない立場にある。だのに彼女は笑うばかりで、全然責めやしない。


 絢乃の表情が、少しだけ引き締まった。


「…………俺だって無念に決まってんだろ。家族とも和解できねえ、メアリとも離れられねえ。失敗も糞もねえ、何もしてないのに、こうなった。無念に決まってる―――でもなあ。俺はいつかこうなる運命だったんじゃねえかと思うんだよ」


「こうなる…………運命だと?」


「絢乃はメアリに傾倒してた。いつかアイツに死ねと言われたら、結局こうなってただろうよ。そのいつかが今来ただけで、実は気に病む必要なんて何も無いんじゃないかってな。それに―――死んでみて、分かった事がある」


「…………?」


「メアリを大好きな奴らをどうにか引き離したとして、或は嫌いになってくれたとしてだ。そいつらは『嫌いになった事実』を認められるのかって事だよ。お前が関わってんなら猶更だ。お前にしてきた所業の全てが自分の身に降りかかりかねないなんて馬鹿でも分かる。今まで『完璧』に縋ってきた奴らに、その苦痛が耐えられるのか?」


「何が―――言いたいんだ……?」



「もし作戦が成功したとしても、絢乃は遅かれ早かれ自殺してたんじゃないかって言いてえんだよ」



 俺は弱い。だが絶対に折れないプライドを持っている。人間としての最後のプライドと自称しているくらいの強固なプライドは、並大抵の事では折れたりしない。


 だが他の人物はどうだろうか。特に今までメアリを好いてきた人物は。人は間違う事を恐れる。間違いたくないから『絶対に間違わない』メアリに傾倒する。考える意思すら捨てて、それが正しいんだと盲信する。


 そんな人物が突然考える意思を持ち、俺の味方をしたら?


 メアリの存在そのものに『正しさ』が付随するなら、とどのつまり俺は『間違い続けている』という事になる。その間違い続けている俺に味方をするという事は、言うまでもなく間違っている事だ。間違いを恐れる人間にとって、それはどんな事よりも苦痛に感じるかもしれない。絢乃はそう言っているのだ。


「前に倣うのが正しい生き方で、今までそうしてきた奴等が急に生き方を変える事は出来ないだろ。お前が寄り添ってくれたとしても、四六時中一緒に居る訳じゃない。いつかどこかで追い詰められる日が来る。自分が間違っている事実に耐え切れなくなって、壊れる日が絶対に来る。絢乃の人格が死んだのは、皆から責め立てられる事が限界だったからだ―――そう考えたらよ、作戦が失敗しようが成功しようが、関係なかったんじゃねえかって思えてきて。ま、嗤うしかねえよな! 敵が強すぎたってよ…………」


 絢乃はそう言って強がろうとしたが、強がりにしては酷く弱気に微笑んだ。反省会など無意味、作戦会議など無意味。魂と会話出来ても、作戦の欠点が浮き彫りになっても、やり直しは効かない。人生は一度きりであり、どうやったって絢乃さんを救えなかった事実は変わらない。


「…………お。体が消えてきたな」


「え?」


 彼女の言う通り、絢乃の身体―――俺の視えている方―――は消えかかっていた。しかしそれは理屈に合っていない。無念があるから霊は成仏しないのであって、無念しかない彼女がどうして消えなくてはならないのだ。


「な、何で―――お前、後悔してないのかッ?」


「いやあしゃーねえだろ、俺は別人じゃねえ。絢乃のもう一つの側面で、本来の人格を守るために生まれた人格だ。本人が死んじまったら役目なんてねえよ。俺がここに居たのは、お前に謝りたいと思ったからだ」


「…………本当にごめん! 絢乃さんを……助けられなかった! 俺の責任だ! 俺が、俺が悪いんだ!」


 そう。俺が悪い。例えば俺が、メアリと同じくらい有能だったら、こんな事にはならなかったかもしれない。誰が何と言おうと、これは俺のせいだ。あの時屋上に向かっていたら、まだ彼女は生きていたかもしれないのに。


 絢乃さんは俺の前に座り込み、そっと頭を撫でた。


「謝んじゃねえよ。絢乃とは元々何の関係も無かったんだから気に病むな。俺の方こそごめんな。無茶言ってよお―――後輩君。今まで下らない事に付き合ってくれてありがとうございました……どうかお元気で♪」





 四季咲絢乃は俺の前から姿を消した。無念を抱いたまま、後悔を抱いたまま、それでも俺に……感謝を伝えて。

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