それでも俺は選び続ける

「やれやれ、少年。君も実に甘いのだな」 


 あれから妹は精神崩壊を起こしてしまい、その場で崩れ落ちた。たまたま傍に茜さんが居なければ、俺は何処とも知れぬ場所で縛り付けらられたまま放置され、命様ではないが、そのまま餓死していたかもしれない。俺が助かったのは、やはり人間に干渉できる茜さんの存在があったからだ。


 両手足を無事に解放された俺がまず行った事は、清華の保護……というか家への送還だ。警察にいうつもりはない。この作戦がメアリ発である以上、警察は絶対に清華を裁かないからだ。それはある意味腐敗の究極系であり、国が彼女の力に負けた証拠でもある。


 幸い、両親はまだ帰って来ておらず、家には誰もいない。俺は黙って家に上がると、居間にあるソファに妹を運び、踵を返した。


「もう良いのか、少年」


「ええ。所で茜さん、首に縄の痕残ってたりしますか?」


「あれだけ強く締められれば、残るに決まっているだろう。しかし運が良かったね。私がたまたまあの付近を歩いていなければ気付かなかったよ」


「……その件については本当に感謝してますッ。かなり危なかったので……その、有難うございます!」


 家を出て間もなく、俺は茜さんに向けて感謝の意を述べつつ、深々と頭を下げた。彼女が来なければ俺は死んでいた。それは間違いないし、認めるしかない。意地を張っても良い事など何もない。


「ふふ、別にお礼など良いのだけれど。少年が助かってくれただけでも、それだけでもお返しとしては十分すぎる……だがそうだな。そこまで感謝してくれるのなら有難く受け取るとして、時間はある? 三〇分ばかり付き合って欲しいな」


「あ、大丈夫ですよ。何処へ行くんですか?」


「公園だ。歩きながら話そうじゃないか…………早速だが少年。一つ聞かせてくれたまえ」


「はい」



「君は妹を赦すか?」



 最初は他愛もない話題で来ると思っただけに、俺も数瞬の間言葉に詰まる。


 清華を赦すか、否か。


 元兄貴として、そこはハッキリさせなければいけないし、どうして俺が家まで彼女を送還したのか。その意図も茜さんは知らない。都市伝説として人間に散々振り回された茜さんは俺を除く人間が嫌いだ。俺が受けた仕打ちに命様がキレていた様に、茜さんも口には出さないだけで怒っているのだろう。どうして助けたのか。どうして妹に呼びかけたのか。


「…………茜さんはメリーさんとして、何度か人を殺してますよね」


「ああ……酷く不本意だけどもね」


「でも俺は茜さんの事が好きです。それは人殺しを許容してるとかそういう事じゃなくて、貴方が被害者だと知っているから、理解を示しているんです」


「…………妹も被害者だと言うつもりかい? メアリに唆されたとはいえ、実行したのは、選択したのは妹だ。わざわざ差別化するつもりはなかったが、人間は選べるじゃないか。私みたいな不安定な存在と違って、行動を選択する余地があるじゃないか。それでも妹は君を殺そうとしたんだぞ?」


「でも被害者なのは事実です。メアリの影響を受けている奴は全員……被害者ですよ。俺や茜さんは影響を受けてないから何とでも言えます。実際には以前の茜さんみたいに、行動の余地なんて無いのかもしれない。『信じる』以外に選択肢なんて無いのかもしれない…………」


 ただ。




「……俺は清華を助けましたし、これで次に目覚めた時、正常に戻ってくれたら何よりも嬉しいだろうとは思っています。だけど赦すつもりはありません。そこまでお人好しじゃないので」




 あの時、俺は兄貴をやめた。


 なので清華に赦しを与える事は出来ない。『妹』を赦す権利はとっくの昔に破棄されている。


「家族として、特に情を掛けていたから助けた。警察なんて当てにならないから助けた。理由なんて何でもいい。清華が今まで通りでも、俺の知る頃の清華に戻っても、赦すつもりなんてない。何もかも遅いんですよ。もっと早く……せめて俺が小学校の頃だったなら、まだ赦したかもしれませんが。だから代わりに、俺は罰を与える事にしたんです」


「罰?」


 俺は二本指を茜さんに向けて言った。


「清華には二つの道があります。次に目覚めた時、今まで通りなら、結局俺と仲直りする事は出来なかったという結果を知る事になる。つまりメアリの完璧性に疑問を持つ様になります。たったこれだけかもしれませんが、これだけで周囲の反応は大きく変わる。うっかり口に出した日には―――俺と同じ末路を辿るでしょう」


「ふむ。もう一つは?」


「俺の知る頃の清華に戻った場合。メアリの支配からは脱却していますから、当然周囲の人々が異常に映るでしょう。どちらに転んでも清華は俺の味わってきた地獄を味わう事になる。そして正常な思考をしているなら、アイツは俺に今までどんな事をしてきたのか、それが俺にどういう感情を抱かせるのか分かる筈です。わざわざ尋ねてきたりはしないでしょう。『仲直りなんて出来る筈がない』んですから」


 最終的に俺は命様や茜さんなどの不可視の存在に救われた。だが清華は決して誰にも救われない。まるで命様と出会う以前の俺の様に、敵だらけのこの世界で、生き抜かなければならない。そして自覚しなければならない。俺にしてきた仕打ちを。自分がどれだけ都合の良い事を言っていたのかどうかを。


 そうこうしている内に公園に着いた。茜さん二つあるブランコの内の一つを俺を譲り、片方に座り込んだ。


「成程。つまり仲直りはしないと」


「仲直りなんてしたら、それこそメアリの思うつぼですからね。それじゃあ駄目です。元兄貴として、アイツの正しさに俺が箔をつけちゃいけない。強いて言えば、これが俺に出来る最大の赦しです。自分と同じ目に遭わせるなんて、酷い人間でしょう?」


 そう言って自嘲的に嗤ってみせる。とうの昔に涙は枯れ果て、今は家族の為に流す涙など一滴も無い。彼女の行く末を思えば悲しいものこそあるが、それは他ならぬ俺が味わった事だ。何を不安に思う事がある。罪人に罰を与えず赦すなど、それこそ真の罰に他ならない。


 罪という概念は簡単には消せない。人は罪に対し同程度の罰を求めるが、それは償いにはならない。罪には罰が必要だが、罰で罪は消せないのだ。それでも罰は受けなければならず、その上で罪を抱えなければいけない。妹の歩む道は、過去に俺が歩いてきた道そのものだ。先を憂う意味はない。俺は全てを知っているのだから。


「…………少年。君はこれからも同じ事をしていくつもりかい? 君のやり方に口を出すつもりはないのだが、私は凄く不安になるよ。一から全員を説得するつもりならね」


「安心して下さい、茜さん。清華以外にするつもりはありませんよ、手遅れなんですから。清華も手遅れでしたが、自らの意思で手遅れになる寸前まで戻ってくれたので、引き上げたまでです。それに誰かを助けてしまったら、清華はそいつと寄り添って生きていく事が出来る。そうなったら罰じゃない」


「救いは与えないと?」


「救いは自らの手で勝ち取るものです。兄貴が与えるものじゃない。もし耐えられないくらい辛いと思うなら、自分の手で誰かをメアリから引き離してみればいい。勝手にしてくれる分には有難いので、それは止めませんよ」


「そのやり方で行くと、少年。もし町全体が正気に戻ったら、君はどうするつもりだ」


「どうもしませんよ…………多分ね。その仮定はまだ妄想の域を出ないので何とも言えません。それよりも俺には気になる事があります」


「ん?」



「清華はどうして俺と仲直りしたがっていたんでしょうか」



 メアリにそう言われたから、ではないだろう。もしそうなら『私はしたくないけどメアリさんがそう言うから仲直りする』みたいに言う筈だ。そう言わなかったという事は、少なからず仲直りは彼女の意思から始まった事になる。アイツは知恵を授けただけだ。碌でもない知恵だったが。


「それは単純に、君を慕う心が何処かに残っていたからなんじゃないのか? 私にはそう見えたが」


「俺もそうとしか考えられません……自分で言うのも、恥ずかしいですけど。と考えたらですよ。誰かへの強烈な好意は、メアリへの好意を超えるのかもしれないと……そう考えられませんか? 清華が俺を大好きだったばかりに、メアリへの絶対的な信頼に揺らぎが生じたと、考えられませんか?」


「落ち着きたまえよ少年。何をそんなに興奮しているんだ。まさかあれだけ罰がどうこう言っておいて、シスコンぶりを見せつける気か?」


「違いますー! 最低限の保障がこれで出来たんですよ。命の危機を感じる程の、或はそれに近い不安感から助けだされた時、人は猛烈にその人の事を慕う様になる。丁度、俺が命様を慕っている様に!」


「ふむ……ん?」


「それが一時的な感情でも何でも良いんです。僅かでもメアリへの信頼に揺らぎが生じれば、妹と同じ要領で引き離せるかもしれない! 茜さん、俺口説けるかもしれません! 俺の事が大嫌いな女の子を!」


 奇しくも清華のお蔭で突破口が見えた気がする。最低限の保障がこれで出来たのだ。挑まない理由はないだろう。





 絢乃に連絡を取らないと。



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