創りし者は命を捧ぐ
「いってえ…………」
傘は俺の弱点かもしれない。いくつかのレジ袋と共に家を出たが、途中でまた痛みがぶり返してきた。返すも何も何の対処も行っていないので痛みを感じて当然なのだが、ではついさっきまでは痛みを感じなかったのだろう。和菓子を求めるあまり自分の事などどうでも良くなっていたのだろうか。
「ちょっと…………休まないときついなこれ」
この身体で山を登るのはちょっときつい。かと言って病院には行けないし(メアリが嫌いだって言ったらボコられたなんて言えないし、そんなことしてたら命様に心配される)、俺に残された手段は一つだけ。休んで痛みに慣れる。これしかない。カバンで滅多打ちはまだ腕でガードしていたので何とか耐えられたが、傘による突きはお蔭でノーガードだ。足では上手くガードできなかった。
攻撃は最大の防御とも言うし、店員を蹴ってしまえばそれでガードは成立したのだろうが……俺も良識的な人間の端くれ、恨みがあるならともかく、恨みも無い面識もない人間を蹴るなんて非常識な事は出来ない。メアリの事が好きな奴を嫌っているのは確かだが、それと恨みは全く別。何故なら恨みとは晴らされた時にスッキリしなければいけないものであり、あの店員を―――仮に殺したとして、俺の恨みは晴れるだろうか。
答えは否。問題は解決しないし、単純に俺が犯罪者になっただけだ。だからメアリ以外は誰も恨まない。嫌うだけ。もしあの店員の家が分かったらピンポンダッシュをしてしまいそうなくらい俺は怒っている。
「公園…………」
誰も居ない。メアリはあそこで見かけて以降、何処かへ行ってしまったので遭遇する危険性があったが、ここには居ない様だ。ならば休憩場所として暫く使えそうだ。命様には余計に待たせてしまう結果となるが、このまま山に行けば確実に倒れるか、動けなくなる自信があった。彼女なら事情を説明すれば分かってくれ……ああ、その前にこの痣について説明をしないと。
問題は山積みじゃないか。
俺がベンチに腰を下ろした瞬間、公園の茂みから何者かが背後に付いた。
「……やあ少年。こんな所で出会うとは奇遇だね」
首を向ける気力もない。その声はまるで家族を相手にしているかのように優しく、もし俺に姉が居れば、こんな風に優しくしてくれたのだろうか…………いいや。妹と同じになるだろう。姉が居れば優しくしてくれたなどと、そんなものは俺の妄想に過ぎない。年長者故の幻想だ。
彼女は俺の隣に座り、傷だらけの身体を、そっと抱き寄せた。
「…………大丈夫かい?」
「…………全く、大丈夫じゃないですよ。体中が痛い。布団被って寝たくらいじゃ、治りそうもありません」
「誰にやられた」
「メアリの信者です」
「―――少年。君を傷つけられて黙っていられる程、私は理性的じゃない。わざわざ人の法に従ってやるほど、優しくもない。君さえ良ければ、今すぐ殺してくるが」
「……やめてください。俺が口説かなきゃいけない女の子にやられたんです。だから……殺さないで頂けると助かります」
「―――そうか。いや、気にしなくても大丈夫だ。少年の性格には理解がある。最初から殺す気はなかったとも。それにしても君は……どうしてそこまで耐えるのかな? 私にはどうも分からない。ああ、勘違いしないで欲しいのだが、君に素直になって欲しいと言うつもりはない。それはそれで君の魅力だ、少年の長所をわざわざ殺すような真似はしない。只、どうしても気になってしまった。なあ、聞かせてくれたまえよ少年。君は人の身には余る仕打ちを受けながら、どうして正気を保ったままでいられるんだい?」
茜さんの身体は体温を感じない。ひたすらに冷たく、傍に居るだけで死人と相対している様な寒気を覚える。でも、その冷たさが、今は心地良い。彼女と一緒に居るだけで、疼きが収まった。
「俺という人間の、最後のプライドです。それに、命様や茜さんが味方で居てくれるじゃないですか…………こんな事言うのも変ですが、俺は、二人と出会えて良かったと思ってます。そしてこれからも、ずっと仲良くしたいって思ってます。だからその――――――狂気になんて、染まれないですよ」
「何故そこに私が居るのか、不可解な所ではあるがね。他でもない君がそう言うのだからそうなんだろう。フフフ………いやあ、嬉しいねえ。会って間もない私が君にとってそんな存在になっているとは」
「俺にとって歳月なんてものは参考になりませんよ。家族でさえ、あんなにもあっさりと俺を裏切ったのに…………大体、そんな事を言い出せば、命様と知り合ったのもつい最近ですし」
そう、俺にとって時間とはそう大切なものではない。一般論として時間は関係を深めてくれるかもしれないが、それが一番長い家族があの様だ。関係の深浅などどちらでも良い。事実として突き合った時間の浅い茜さんや命様は俺の味方をして、アイツ等はメアリの味方をしているのだから。俺にとってどちらが大事なのかは言うまでもないだろう。
魚心あれば何とやら。敵意剥き出しの奴と仲良くする事は出来ない。
「茜さん、俺の頼み、聞いてくれませんか?」
「うん。何でも言ってくれたまえよ」
「…………五分間だけ、このままで居させてください」
「お安い御用さ」
完璧な沈黙は存在しない。黙れば心音が聞こえる。電灯の点滅する音が聞こえる。猫の鳴く声が聞こえる。偏にそれらは環境音であり、ともすれば居心地の悪さに繋がるが、今の俺にとっては全くの逆。居心地の良さに繋がっていた。
沈黙の満たされる五分は、意識しない三十分よりも遥かに濃密だった。俺は茜さんからそっと離れると、レジ袋を手に再び山を目指す。
「おや、もう行くのか」
「命様が待ってるんです。これ以上心配は掛けられませんよ」
「信心深い事で。なあ少年。もしもあの神様が、実は全く違う存在だったらどうするつもりかな?」
公園の入り口で、一度だけ俺は振り返る。
「何かが少し変わっただけで信じられなくなるなら、俺のやってる事はメアリ信者共と同じですよ。俺は命様がどんな存在であれ、信仰するつもりです。それが俺の出来る唯一のお返しですから」
何とか神社にまで辿り着けた。今までは特に気にしてこなかったが、ちょっと勘で歩き回るのはきついので、そろそろ行き方を把握しようか。
数百段の階段を上り切って鳥居を潜り抜ける。刹那、社から一瞬で距離を詰めてきた(瞬間移動ではなく、純粋な走力である)命様が、俺の両頬を掴んだ。
「うわッ…………!」
「………………」
「み、命様……? お待たせして申し訳ございませんでした。これが和菓子です」
「誰にやられたのじゃ」
「え?」
「誰にやられたと言っておる。名を述べよ!」
非常に困った。
茜さんには最初からその気はなかったらしいが、命様みたいに純粋な神様ではそんなひねくれた事は出来ない。だからこの満ち溢れた殺意も、きっと本物だ。絢乃さんを守る為にも、当然俺は先程みたいに誤魔化すのだが……何が困っているって、二重人格の概念が命様に理解出来るか、という事である。
絢乃さんの問題が解決したとき、ここに連れてくる事になるのは絢乃さんだ。しかし俺をボコボコにしたのも彼女だ。ここで誤魔化せたとしても、もし彼女を連れて来た時、何かの間違いで見抜かれてしまったら―――きっと只では済まない。神通力が使えなくても神は神。人が太刀打ちできる存在ではない。コンビニ店員は名前を知らないのでどうしようもない。
「……メアリの信者です」
「そんな事は分かっておる。名を述べよと言っておるのじゃ!」
「いやあ、俺の方は名前を知らない……いや、そもそも面識がほぼないんで、分からないですよ」
「初対面であるのに、お主はこうなってしまうのか!?」
「それがメアリを嫌うという我儘の代償なんです」
当たり前だが、命様は言葉を失っていた。メアリの影響を受けていない人間に同じ事を話しても、多分同じ顔をされる。こんな仕打ちは、こんな所業は法治国家に許されて良いものではない。否、理性ある生物に許されるものではない。
このままだとせっかくの楽しい雰囲気が台無しになってしまうので、俺は無理して笑顔を繕い、命様を抱きしめた。
「俺は大丈夫ですから。ね、命様? もう月も上がってますし、神通力を見せてくださいよ。ちゃんと和菓子も買ってきましたから」
「………………うむ。そうじゃな。承知した。他ならぬ信者の頼み故、妾も此度は水に流そう。それに神通力は気が進まぬと言ったが、その様に傷ついた身体を放っておくのは妾としても心が痛む。良い良い、直ぐに準備しようではないか。創太、お主は社の表に座っておけ」
「……あ、はい。でも準備なんかしないといけないんですか? そんなマジックじゃないんだから……月を見れば使えるんじゃ?」
「人の考える神通力とは随分お手軽じゃな。じゃがあながち間違ってはおらぬし、重ねれば月を見る必要さえない。月の光が差し込む場所に居る事こそが肝要なのじゃ」
「では何の準備を?」
「服装じゃな。この服では少々きつすぎる―――これより見せるは妾が信者を多く抱えていた頃の姿じゃ。今の妾よりも少々性格が過激になるが、覚悟は良いな?」
命様は鳥居を背中に据えて、社に座る俺と対面する。そして何処からともなく取り出した黒百合の扇子をバッと開き、口元を隠した。
「しかと刮目せよ! 一瞬でも見逃す事まかり通らぬ。目に焼き付け、記憶するのじゃ―――!」
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