あらゆる理不尽の渦中



 コンビニで買い物をする。至って普通の行為で、咎められてはいけない行為だ。仮に俺がとんでもない極悪人―――例えば、知り合った奴を悉く酷い目に遭わせてしまう奴だったとしても、買い物という行為自体に罪はない。理由は単純だ。罪とは個別で判定されるものであり、連鎖的に繋がるものではない。万引きが罪でも、店に入る事そのものが罪ではない様に(出禁は出禁でその個人に判定されているので例外にはならない)


 しかし俺は違う。俺の抱える唯一にして最大の罪、メアリ嫌いだけは、どうにもその個別判定をすり抜けてくるらしい。言っている事は今まで受けた仕打ちを知っていれば何となく分かるのではないだろうか。この町の住人が全員俺の顔を覚えている筈もないので、普段なら何の問題も無い。普段なら……厳密に言えば、メアリさえ近くに居なければ。


 いや、まだだ。別に彼女は友達と話していただけで、このコンビニに来るとは限らない。諦めるな、俺よ。山から一番近いのはこのコンビニだから、ここで和菓子を購入出来れば早く帰る事が出来る。


「…………あ、貴方……!」


「……ん?」


 メアリに気を配り過ぎるあまり、店内から掛けられた声には反応が遅れた。慌てて意識を目の前に戻すと、どこぞの二重人格が目の前に居るではないか。嫌悪感丸出しの反応的に、今は表の方か。一歩近づけば一歩離れる辺り、決して歓迎されているとは思えない。どんな馬鹿でも分かる。


「な、何でここに居るのよ!」


「何でって……え、俺が夜出歩いてちゃいけないんですか?」


「そういう事を言ってるんじゃなくて! どうして私と同じコンビニに来たのって言ってるの!」


 …………いやいや。


 誰がどう考えても偶然に決まってる。理不尽な物言いだが、メアリ嫌いの肩書はその理不尽を許容させる恐ろしい肩書なのだ。どう弁明しても手遅れなのは経験則で分かっているが、一応説得を試みる。


「偶然ですよ。逆に聞きますけど、俺が絢乃さんを付け狙う理由がないでしょ。俺だってメアリの事好きな奴は嫌いですし」


「あーもう、二度と名前を呼ばないで! 貴方なんかに名前を呼ばれたら穢れてしまいそう! 気持ち悪いのよ、汚らしいのよ! 死ね!」


「直球ですね」


「あーもう最悪の気分よ! 夜食をこっそり買いに来た時の幸せな気分を返してよ、ほんっとうに最低! 店員さん、この人、メアリちゃんの事嫌いなんですよ―――」



 何てこと言ってくれたんだ!



 手を出すつもりはなかったが、その言葉を紡がれては不都合しか生じない。さっきも言った様に、メアリ嫌いは罪としては異質で、連鎖的に判定される。分かりやすく言ってしまえば、俺がメアリ嫌いの異端である事を知られた時点で、もうそこでは一切相手をされなくなる―――コンビニに置き換えれば、そこでは二度と買い物が出来なくなってしまうのだ。


 脊髄反射で彼女の口元を抑えたが、一歩遅かったし、遅かったなら俺の行動は最悪手だった。絢乃さんにはすかさず噛みつかれたし、店員は血相を変えてレジを飛び越えると、有無を言わさず俺に殴りかかってきた。


「ぐふ…………ッ!」


 これだけ敵を作っているにも拘らず、俺は喧嘩慣れしていない。素人の拳と言えども躱す事が出来ず、もろに直撃。店内で吹っ飛んだ。


「な、な、な……何すんのよこの変態! 最低! クソ野郎! 死ね! クソ! この! この! この!」


「やめ……痛い! やめろ…………そんなつもりは別に……やめッ。うッ!」


「僕もお手伝いします!」


 これをメアリの影響を受けていない第三者が見た時、どう思うだろう。見知らぬコンビニ店員と見知らぬ女子高生が一致団結して、一人の男子高校生を虐めている。異常だとは思わないか、普通に非道徳的で、非現実的で、傷害罪だと思わないか。


 メアリ嫌いの罪にはもう一つ特徴がある。この罪が連鎖的故に、どんな罰も受けなくてはならない事だ。俺としては不本意だが、彼女が関わると警察が歪む。法律が歪む。人間の倫理観や常識と言ったものが全て彼女の味方をしてしまう。


 滅茶苦茶詰め込まれた学生鞄で滅多打ちにされたって、商品である筈の傘で腹部を突かれまくったって、二人は罪に問われない。だからと言って俺も罪には問われないが、しかし注意されるのは俺だし、非難されるのも俺だ。



 理由? メアリの事が嫌いだからだ。



 周防メアリを好いている。たったそれだけでアイツの信者共にとっては最強の大義名分になる。国にすら通用してしまう、法律にすら通用してしまう。普段『暴力はいけない』と呟いている奴でさえ、こういう時には掌を返したように俺を責めてくる。


「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなあああ! 何様の! つもり! メアリちゃんの事! 嫌いな! 癖に!」


「お前にやる商品なんかない! 今すぐに出ていけ! クソが、クソが、クソが!」


 この状況で俺を助けてくれる奴は只一人だけ。そう、他でもないメアリだ。信者は教祖様の発言を必ず聞くから、彼女さえ来れば、このリンチも途端に終わりを迎えるが、そう都合よく入ってきたりはしない。俺が絢乃のストーカーではない様に、メアリも俺のストーカーという訳ではないのだから。


「あ、がはッ、ぎッ、ぐう…………おぅえ…………」


 三十発ほど殴った事でようやく気が済んでくれた様だ。絢乃さんは俺に謝りもせず、そのまま外に出て行ってしまった。しかし上機嫌ではない。どうも俺の頭を打ち過ぎて穢れたらしい。知った事じゃないが。


「お前の行動は、全てあそこの監視カメラに記録されている! 本当はお前を警察に突き出しても良いが、メアリちゃんの同級生だろ、お前。あの子の悲しむ顔を僕は見たくない! だから今日の所は見逃してやる。分かったら…………」


 店員は倒れ込んで動けない俺を無理やり引っ張り起こすと、店の外まで連れ出し、思い切り突き飛ばした。



「二度と来るな!」



 天を仰ぐ。


 全身を滅多打ちにされたせいで、体が動かない。特に腹部を傘で突かれたのは効いた。店内の吐瀉物はあの店員が掃除するのだろうか。どうでもいい。メアリのせいでこうなったのは確かな事で、俺はますます奴の事が嫌いになった。


 メアリに対する好意は過激なんてものじゃない。あれは一種のヤンデレだ。彼女を崇拝するがあまり、貶める奴に対しての攻撃性が過剰になっている。店内にある刃物を使われなかったのは奇跡……いや、悔しいがメアリのお蔭だ。不可視の存在を除けばアイツだけが俺を嫌っていないせいで、情けを掛けられている。


 何故俺を嫌わないのだろう。


 感謝でも無ければ困惑でもない。湧き上がるのは憤怒と憎悪だけだ。せめて俺を嫌ってさえくれれば、この苦しみから永遠に解放されるというのに。こんな形で情けを掛け続けられたら、生殺しにも程がある。


 死とは幸福度をニュートラル……ゼロにする概念だ。故に幸福な者は死を恐れ、薄幸なものは死を救済と有難がる。勿論俺は後者で、生涯で唯一メアリに感謝する瞬間があるとすれば、俺を嫌ってくれた時だろう。それ以外で奴に感謝する事は何一つとしてない。


「……山に帰ったら心配されるかな…………あはは」


 可愛さも、優しさも、女性としての魅力も、命様の方が上だと俺は思う。だからこそ俺は彼女が好きだし、いつまでも一緒に居たいと思っている。それ故に…………心配させたくなかったりするのだが、この身体は特別治りの早い体質ではない。和菓子を買えたとして、それまでに痣が見えなくなる可能性は皆無だ。



 どう言い訳しようか。そもそもこのコンビニを使えなかったら次にありそうな場所は随分遠いから、当分戻れないのだが、それもどうしようか。


 駐車場で寝転んで考える事ではないが、どうか赦してもらいたい。全身が痛くて、痛くて、痛くて。全く動けないのだから。


「…………和菓子、か。よく考えたら、買う必要なんて無いかもな」





 













 


 盗むと思ったか?


 残念ながら人間を捨てた覚えはない。未だに痛みの残滓に苦しめられる俺が向かったのは、自分の家だった。和菓子は清華が好きだった食べ物だ。家に貯蔵が無いとは考えにくい。絶交宣言をした手前、入り辛いと言えば入り辛いのだが、ここが次に距離の近い場所だったので仕方がない。


「ただ……………………いま」


 俺は飽くまで同居人だ。そして「ただいま」や「おかえり」は家族に向けて放たれる言葉だ。言う資格も無ければ言われる資格もない。俺は家族を……信じない。


 居間に入ると、清華と両親が仲良く談笑しながら夜食を取っていた。俺の分は無い。多分俺の気配には気付いているが、平常運転通り無視してくれている。今回はそのままで居てくれた方が良いか。家族の話などには耳を傾けず、俺は階段の裏にある段ボール箱に手を伸ばす―――あった。饅頭と羊羹とみたらし団子とおはぎとひなあられときんつばと草餅と―――無駄に種類が豊富である。これだけあるならわざわざリンチされに行った俺が底なしの間抜けみたいではないか。お金もかからないし、どう考えてもこれを持っていった方が建設的だ。


 非常食を疑うくらい貯蓄されている和菓子の事だ、勝手に持ち出しても暫くはバレないだろう。俺自身は別に和菓子は好きでも嫌いでもないから、あの三人は今、俺が何をしているかなんて全く分かっていない筈だ。


 リュックサックを神社に置きっぱなしにしているが、問題ない。家には置きっぱなしのレジ袋などが山ほどあるから、それに入れて行こう。


 自分の家の物を持っていっているだけなのに、何故か空き巣の気分を感じる俺であった。

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