信仰を咎めよ



「…………ふう。気持ち良かったのう、創太」


 泉から上がった命様の声はとても艶っぽかった。湯帷子を着ているから裸体が見えている訳ではないが、俺が普段の状態であれば、辛抱堪らなくて今すぐ抱き締めただろうが、この全裸の状態で神様と言えども見た目は女子高生な命様を抱きしめられる程、タフじゃない。せめてズボンさえ履いていればまだ良かったのだが、何故俺だけが全裸…………


 初心な俺に女子の裸体は見せられたものじゃないという理屈は理解しているが、それはそれでやはり不平等を感じていた。


「み、命様。その……一つだけ聞きたいんですけど」


「何じゃ?」


 「その…………これからも水浴び、お供させてもらっても宜しいでしょうか」


「当たり前じゃ。というか妾が見えるのはお主しか居なかろう。であれば妾がどうしようとここにはお主しか来れぬ。何じゃ? もしや気に入ってしまったのか?」


「…………いえ、その。気に入った……は気に入ったんですけど。色々と、その」


「何を言いたいか分からぬが―――安心せよ! 妾もお主との水浴びは気に入った」


「気に入った……? 具体的に、どの辺りが?」


「まこと不思議な話じゃが、お主に髪を触られているとこう……身体が火照ってしまっての。しかし悪い気分ではなかったのじゃ。無理に誘うのは悪いと思っておったが、お主が望むのであればこれからは積極的に同伴させるとしよう―――それはそれとして、創太」


「はいッ?」




「全裸を恥ずかしがる割には、堂々と話しているではないか」




 あ。


 視線がぎこちなく自分の身体に向いた。今となっては信じられない事だが、指摘される瞬間まで俺は自らが全裸である事をすっかり忘れていたのだ。当然、自分以外には見せてはいけない物も見えてしまっている。


「ぎゃああああああああああ!?」


「恥に顔を赤らめるのが遅いぞ。もしや演じておるのか?」


「んな訳ないでしょ! ちょっと、見ないで下さい! 恥ずかしいです―――あれ、俺の服何処ですか?」


「そこにあるではないか。濡れておるが」


「何で濡れてるんです!?」


「お主が妾を伴って飛び込んだからじゃ! 代わりの服は用意しておらぬのか?」


 あるにはある。含みがあるのは、リュックの方に入っているからであるのと、そのリュックは鳥居の前で置き去りになっているからだ。早い話、ここから全裸で神社まで戻れば良い話なのだが、そんな度胸が俺にあると思っている奴は馬鹿だ。確かにこの神社には俺以外来ない。しかし山の中を全裸で歩く行為は、人目があるなしで片付けられる様な安っぽい羞恥心には収まらない。単純に嫌だ。


「……神社の方にはありますけど、そこまでの道のりを全裸で移動するなんて俺には出来ません!」


「妾を除けばお主の裸体を見る者など居らぬぞ?」


「それも嫌です! もし命様が見て居なくても嫌です! 外を全裸で歩くなんて!」


「我儘な信者を持つと神様は困るの。じゃが理解は示そう。要は裸で現世を歩きたくないんじゃな?」


 発言に妙な引っ掛かりを覚えたが、その理由を俺は直ぐに理解した。


「え、ま、まあはい。そうですね……この山の中に限った話じゃありませんから」


 むしろ山はまだマシな方だ。町中なんてどう見ても犯罪だし、どういう時間帯にしても人目についてしまう。町中を出歩く事さえ、メアリのせいで嫌なのに、裸で出歩くなんて恥ずかしくて恥ずかしくて。


「あいや承知した。ではそこで暫し待っておれ。くれぐれも妾の後ろをつけてくるなよ?」 


 命様は湯帷子姿のまま、泉の奥に見える細い道に向かって歩き出した。


「ど、何処へ行かれるんですか?」


「服を取りに行く。お主への贈り物も兼ねてな。良い子で待っているのじゃぞ」


 そう言われると付いていきたくなるのが人間だが、神様の言いつけを守らぬ信者が何処に居ようか。神様の性格が悪かろうと、気分屋であろうと、その神を信仰すると決めたのは自分だ。ならば神様に従うのが信仰の道理というもの。


 ずいぶん待たされるならば考え直したかもしれないが、約束通り三分程度で命様は戻ってきた。


「ほれ。待たせたの」


 とてとてと命様が接近してくる。手に持った藍色の衣を俺に手渡してきた。


「これは…………甚平ですか?」


「うむ。これが妾からの贈り物じゃ。身の丈には合わせたつもり、今日一日はこれを着て過ごすが良い」


 命様は現世を知らないし、俺が同伴しなければ出られもしない。通貨の概念は流石に知っているだろうが、現代の通貨については持っている筈もない。まして甚平は植物みたいに自生するものでもないので…………ひょっとしなくても、これは手作りなのではなかろうか。


「こ、これを俺にくれるんですか?」


「妾に夫はおらぬ故、お主以外に渡す者が何処に居よう。妾も着替えるから、お主も早う着替えよ」


「は、はいッ!」


 下心を抜きにしても、素直に嬉しかった。プレゼントなんて初めてだ。知っての通り俺の家族との関係は最悪で、誕生日プレゼントなんて貰った事がないし、そもそも誕生日が来るたびに「アンタなんか産まなきゃ良かった」と呪詛を吐かれる。バレンタインで渡されるのはチョコではなく生ごみ、または鉄拳。ハロウィンではお菓子をあげるあげないに拘らず体中に落書きをされたり、持ち物を隠されたり、一番酷い時には川に突き落とされた事もあった。


 命様にとってはささやかな贈り物だとしても、その行為が俺にとってどれだけ重大な行為か。否、どれだけ嬉しい事だったか。笑いたければ笑うが良いさ。好きなだけ笑い、馬鹿にすればいい。そんなものが一切気にならなくなるくらい、嬉しくて…………


 また、涙が出て来てしまった。


「……命様」


「ん~?」


「……この先何があっても、俺、命様を信仰します」


「おお~そうか、そうか。そう言ってくれると嬉しいの♪ まさかそこまで感謝されるとは。ではその感謝に付け込み、お主に頼みごとをしようかのう」


「何でも仰ってください! 物理的に出来る事なら、何でもお聞きします!」


「神饌を用意せよ。月見団子などと贅沢は言わぬから、出来れば和菓子を頼むぞ!」


「お任せください!」



















 完全に勢いだけで山を下りて来てしまったが、学校も終わって、水浴びもして、気が付けば夜の六時頃になっているではないか(まだ六時だったのかとも言える)。和菓子の店なんて知らないし……コンビニにあるだろうか。或はスーパーマーケットにでも行こうか。何とも下らない迷いかもしれないが、幸福な迷いだった。それは断言しても良い。メアリという単語が耳を通らなくなるだけで、ここまで精神が安定するとは自分でも思わなかった。


「さっさと帰りたい所だけどなあ…………」


 こういう時に厄介事に巻き込まれると、本当に面倒くさい。まあ俺に絡んでくる奴なんて精々メアリくらいだし、アイツとの遭遇にさえ気を付ければ、何事も起こるまい。家族がまた探しに来る可能性を考慮しないのは、事実上の絶交宣言が清華を通して家族にも伝わっているだろうという希望的観測にある。実際、俺と関わりたくもないだろうから、あちらからすれば願ってもないだろう。


「…………んん?」


 山を下りて一番近くのコンビニに到着すると、駐車場の隅で何やら不良らしき人物が集っている事に気が付いた。関わるべきではないと心得ているが…………無視しようにも、そのあまりにも耳通りの良い声は、決して無視を赦さない。




「―――という訳。分かったかな? 何か質問があれば受け付けるよ!」


「いや、大丈夫だ!」


「へへ、俺達が善行をする日が来るなんてな!」


「しっかしメアリよお、優等生のお前もこんな時間に出歩くんだな」


「だって幽霊と出会えるかもしれないじゃん! 私、生きてる内に幽霊を一目見てみたいんだーッ、えへへ。別に悪い事じゃないよね、人間は自由に生きるべきなんだから」


「違いないな!」


「そうに決まってるぜ!」


「皆が理解してくれて私は嬉しいよ。じゃ、任せたよ。信じてるからねッ」 



 ―――本当、交友関係広いな。



 関われば俺が不幸になるだけなので、気にはなったが、俺はそのまま視線を戻し、コンビニの中へと入っていった。

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