輝きし夜に命は揺れる

「茜さんに聞いたんですけど」


「む?」


 あの下らない戦いは、三十分以上も続いたが、結果的には俺が負けた。しかし負けて良かったと今は思っている。完全に煩悩が暴走していただけで、確かに初心な俺に命様の一糸纏わぬ姿は身体に毒だ。強いて裸を見た事があるとすれば清華くらいで、家族だった奴の裸なんて見ても興奮する訳が無い。


 それはノーカンとして、命様の裸体。見たくないと言えば大嘘も大嘘になるが、物事には慣らしが必要だ。これから先、何度女性の裸を見る事になるか分からない(今の所一回も見ないビジョンしか湧かない)が、その一回目が完成された神様の裸体というのは、幾ら何でもハードルが高すぎる。



 ……どうして俺の『視える』力は服も透けないのだろうか。それが残念でならない。



 まあ、文句を言うつもりはない。一糸まとわぬ姿となったのはむしろ俺であり、そんな状態で彼女を見てしまえば―――――色々と良くない事になる。


「今日は満月らしいですね」


「それがどうしたんじゃ」


「命様。以前言ってたじゃないですか。月が満ちなければ使えぬ権能があるって。今夜、それを見せてくださいよ!」


「う…………ううむ。良くもまあそんな発言を今まで記憶しておったな。妾、忘れておったぞ。じゃが思い出した。その時、妾は確かに気が進まぬと言った筈じゃ。お主も納得したではないか」


「しましたっけ? 良くそんな発言覚えてますね」


「お互い様じゃッ! …………まあ、良い。敬虔なる信者の頼みじゃ、月が見え次第見せてやる。光栄に思うのじゃぞ? 妾は気が進まぬが、お主の為にやるのじゃからな? 見逃しでもしたら―――分かっておろうな?」


 命様の語気が冷え切る。泉の水よりも冷たく鋭い言葉は、俺に即答を促す事など造作も無かった。


「大丈夫です! もう命様を泣かせたりしませんからッ!」


 冷えた語気はもう雪解けを迎えた。


「泣かぬわッ! お主、妾を何だと思っておるんじゃ! 相応の報いを受けてもらうと言いたかったのに…………ううぬぬぬぬ。気のせいかもしれぬが、妾に対する畏れが足りない気がするぞ」


「……いや、そんな事は無いですよ。今日も命様は可愛いですね」


「全く畏れておらぬ……が、悪い気はせぬ。もっと褒めよ♪」


 何だろう。命様もその気になれば恐ろしい雰囲気を出せるのに、直ぐに化けの皮が剥がれる辺り、俺には素で接してくれているのだろうか。全裸で水の中に入るという経験が風呂を除けば初めてでつい距離を取ってしまったが、命様の方から接近してきた。


「のう、もっと妾を褒められぬのか? ん?」


「お美しいです!」


「当たり前じゃな。その当たり前をもっと言ってみせよ!」


「え? エ………………えっと―――あの。ちょっと近くないですか? 全裸なのが凄く恥ずかしいので、出来れば視線も外していただけると助かるんですけども」


「気にするでない。それに信者とはいえ誰かと共に水浴びをするなど妾も初めてじゃ。ほれ、何か言うてみい。妾の魅力は百や二百では足りぬぞ」


「え、えっと…………か、髪が綺麗です!」


 エロいという言葉をどう言い換えようかとも思っていたが、本人を目前にそんな事を言える度胸は俺には無い。代わりに丁度良い本音を見つけたので、それを口にした。嘘は吐いていない。


「同級生に黒髪がほぼ居ないのもありますけど、凄く長くて、とても綺麗で―――触りたいくらいです!」


 メアリは銀髪、それを真似した奴も銀髪。高校デビューした奴は金髪、茶髪。クラスメイト限定だと信じたいが、どうして生来の髪を大切にしないのか。地毛のメアリはともかく、他の奴らには黒髪に対する誇りがどうにも足りない。黒色は素晴らしいではないか。


 命様の髪はそんな俺の叫びに応えるがごとく美しかった。これを褒めない手はない。髪を褒められた事がそんなに意外だったのか、命様は己の髪を手に取って、まじまじと見つめ始める。


「…………触りたいのか?」


「出来れば……梳きたいくらいです。俺の周りに黒髪が居ないから、というのはあるんでしょうけど、それでもこう、なんていうか。黒髪は命様の超越的な美しさを際立たせていると言いましょうか、とても良いと思います! うん!」


 誰かを褒めたのはいつ以来か。メアリと出会ってから憎悪ばかり吐き散らかしているのでよく覚えていない。心なしか褒めるという行為自体下手くそになっている気もする。それはそれとして髪を褒められたのは初めての事らしく、いつもは余裕たっぷりの命様が、珍しく僅かに頬を染めた。


「…………」


 どうやら真面目に照れているらしい。口をキュッと結び、何と言ってやろうか目の前で口ごもる命様はとても可愛らしかった。可愛すぎて顔を逸らしたくなったくらいだ。別に矛盾していない。今、俺が全裸である事を考えれば、矛盾は矛盾足り得ない。


「そ、そこまでか」


「はい、そこまでです!」



「…………触ってみるか?」



「えッ?」


 願ってもない申し出だった。暫し、俺は自らが全裸である事を忘れて、命様と対面する。水面下の景色を見られたらそれだけでアウトだが、熱のこもった視線を命様は無視する事が出来なかった―――若干引いていたが、くるりと身を翻し、目を奪わん程の闇を向けて、消え入りそうな声で言った。


「…………優しく、頼むぞ? なにぶん初めて故……妾も恥ずかしいのじゃ…………」


「あ、有難うございます!」


 水面の下から優しく髪を掬い、もう片方の手で髪の毛に優しく指を入れる。黒髪の魅力とは艶だ。この艶は、染めただけの茶髪や金髪に出せる様な安っぽいものじゃない。だから黒髪は素晴らしいのだ。もしも黒髪信仰というものがあるなら、それの教祖になったって良い。というか、地毛ならともかく(メアリ除く)俺は黒髪以外がそれ程好きではない。周りに染めた奴しか居ないのが主な原因だろうが、我ながら酷い原理主義者だと思っている。だから彼女が出来ないのだろう。


 まあメアリの事を好きな奴とは恋人処か友達にすらなりたくないので、別に良いのだが。


「……命様。女の子の口説き方って知ってますか?」


「む? どうしたんじゃ突然」


「実は……まあ色々あって、女の子に俺を好きになってもらわなきゃいけなくて。茜さんからは何のアドバイスも貰えませんでしたが、命様なら或いは、と思いまして」


「事情は分からぬが、妾にもそれは分からぬぞ。じゃがお主と同じくメアリが嫌いならば、自然と仲良くできるのではないか?」


「それがメアリ好きなんですよ。そいつに好きになってもらわなきゃいけないなんて気が進まないんですけど…………仲間のよしみと言いますか、単純にお人好しだったと言いますか」


 アイツの言いたい事も分からなくはないのが、俺の運の尽きだった。既に手遅れだったとしても、それでも大切な人を助けたい気持ちは、とても正常だと思う。俺も、妹に戻る兆しがあるのなら助けたいと思っていたからこそ分かる。そこには人格も他人も関係ない。誰かを助けたいという気持ちが、裏切られて良い筈がないのだ。


「全く難儀な話じゃのう。創太。お主は優しすぎる。その優しさが己の首を絞めているとは分からぬのか」


「分かってるつもりですけど……でも、人として当然の優しさじゃないですか。優しすぎるなんて事は絶対にあり得ないと思います。もしそんな性格だったら、俺はメアリ信者及び本人をここまで敵視してませんから」


 髪に指を通して、優しく水に流す。自分の髪に櫛を掛けた時はかなり引っ掛かったが、命様にはそれが無い。流れる水の様に淀みなく、スッと指が抜けていく。


「一人ぼっちの妾に手を差し伸べてくれた時点で、お主は十分に優しすぎる。そんな創太だから、妾は惹かれてしまうのじゃろう……話が逸れたの。それで、女子を手籠めにする方法じゃったか」


「言い方! 全然違うでしょ、幾ら俺でもそれくらい分かりますからね!」


「冗談じゃ。しかし名案があるとも思えぬぞ。メアリを好いておる時点で、その者は十中八九お主を嫌っておる筈。違うか?」


「大正解です。話しかけるなとか言われました」


「ううむ。やはり無理ではないか? 創太にも折れる気は無いんじゃろう?」


「はい。でも無理って簡単に諦められる話じゃないんですよ…………何か良い案ありませんかね」


 再び指を掛けて、今度は優しく絡めてみる。髪は僕の指を掴んで離さず、ぴったりと張り付いた。そのまま暫く遊びながら、暇になったもう片方で、裏から髪をなで続ける。


「……ああ、話は変わるが、かつて妾の神社に、家出の報告をしてきた者がおった」


「―――? は、はあ、それが一体どうしたんですか?」


「そやつの惚れた男がどういう人物なのかは分からぬが、しかし惚れた理由は自ら語っておった。不当な借金を背負わされ、身売りに出されそうになった所を助けてもらったそうな。それ以来強く思慕する様になり、今回は思い切ってその男の旅路に供すると決めた、と」


「要するに悪い人から助けてもらったので惚れたって事ですよね? そんな時代劇みたいな出来事が実際にあったんですか……事実は小説よりも何とやらですね」


「うむ。事実、それ以来あの者はこの社に来なくなった。重要なのはここではなく、その理由じゃ。悪人から助けてもらった事により恩義を感じ、それを恋慕と錯覚するのであれば、お主にも同じ手段が使えるのではないか?」


「―――あああ! 成程、そういう事ですか! でもその危機ってどうやって起こせば……?」


「それくらい自分で考えよ。妾は案を出したぞ。後はお主次第じゃ。お主との現世巡りは楽しいが、それはそれとしてその他の出来事には極力関わりたくないからの。お主が虐げられている所を見た時に、妾がどれだけの憎悪を胸に滾らせていたか……じゃが、成り行きには興味がある。これからも定期的に報告せよ。分かったな?」


「―――はい。分かりました!」


「…………時に創太、一つお願いがあるのじゃが」


「え? 命様が俺にお願いなんてめずら……しくもないか。何ですか?」


「うむ。お主が助けねばならぬと考えるその者の事じゃが……全ての厄介事が解決した時には、こちらに連れてきてはくれぬか? 妾としては、もっと信者を増やしたい。不可視と可視の境界を歩むお主にしか頼めぬ事じゃ…………やってくれるか?」


 そういえば、そうだ。俺しかまともな奴が居ないから信者が増えないのであって、絢乃がまともになれば、当然命様は信者にしたがる。彼女の敬虔なる信者として心からの同志が増えるのは喜ぶべき事だが、何だろう。命様との二人きりの時間が無くなると考えると、それはそれでとても複雑だった。


 しかし私情を挟むのはメアリ関連の話で十分だ。命様が笑顔になるのなら、それで良い。


「…………分かりましたッ」


 元気よく頷くと、命様はその場で嬉しそうに跳ねた。





「おお、そうか! ククク♪ お主の様な信者が隣に居て、妾は幸せ者じゃな~! ―――これからも末永く、宜しく頼むぞ創太!」


 命様を独占するつもりはない。


 しかし二人きりの時間は欲しい。


 完全に神通力を取り戻してほしいと思っている


 しかしこのまま良好な関係が築ければとも思っている。





 矛盾を欲する俺は、何とも罪深い。



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