彼女は皆の救世主

 掃除すると言ってはみたが、この神社、俺の想像よりも遥かに広かった。帰るにしても(帰る気はないが)掃除を終わらせてからとなると、どんなに頑張っても日が暮れてしまう。校舎全体の掃除よりはマシだろうとの考えからまず間違っていた。あれは生徒全員でやるから、実際の負担はそれ程でもない。

 だがこの寂れた神社の掃除は俺一人だ。他に居るとすれば神様だが、神様に掃除をさせたら信者失格である。

「ほれほれ~妾の信者を名乗るのじゃから、しゃんと掃除せい。二百年の汚れはそう簡単には落ちぬぞー♪」

「何で貴方が楽しそうなんですか……全く。いや、ちゃんと掃除はしますが、鳥居とか石畳とかは直せませんからね?」

「今はそれだけでも十分……いや、違うの。お主が妾の信者になってくれた…………それだけで、喜ばしい事じゃ!」

 二百年ぶりに人間と話したからか、それともその人間がすすんで信者となってくれたからか、神様はとても上機嫌だった。まだ会って間もないが、感情の起伏が随分激しい事だけは分かる。まるで子供だ。このご機嫌な女性がついさっきまで駄々をこねていたと言って誰が信じるか。

「そう言えば、俺、神様の名前聞いてないんですけど、教えてはくれないんですか?」

「それは妾もじゃ。お主の名前、まだ聞いておらぬ。聞かせてみせよ」

「……失礼いたしました。俺の名前は檜木創太です」

「では、創太よ。お主は妾の信者になると言ったな? ならば今一度言おう。不敬であると。信者が神の真名(まな)を知りたいなど無礼千万。もしお主に名を教える日が来たとすればそれはお主と夫婦の契りを交わした時よ。じゃが―――いつまでも神様と呼ばれるのも気に食わぬ。そうじゃの……命(みこと)と呼ぶが良い」

「……命?」

「ああそうじゃ。今世の流儀に合わせるならば、弓月命(ゆづきみこと)とでも名乗るとするかの」

「因みに、名前の由来は?」

「この神社に人が来た最後の日……暇を持て余した妾がふと空を見上げると、上弦の月が浮いておるではないか。それが今でも、印象に残っておるでな」

 上弦の月とは半月の事であり、半月を弓の形になぞらえ弓に張った弦が上向きになっていることから、上弦と呼ぶ。また、半月とは別名弓月である。命(みこと)様の発言が言葉不足だったので、勝手ながら補足させてもらった。

「所で創太。掃除はまだ終わらぬのか!」

「この神社結構広くて。もう少し時間が掛かりそうです」 

 空の染まり具合から見て、今は午後五時か六時……。掃除が終わるまであとどれくらい掛かるだろう。基本的に掃除は嫌いなのだが、久しく出来ていなかったまともな会話が楽しくて仕方がない。相手は神様だが、同じ人間より遥かに話が通じる事が嬉しかった。

「命様。これが終わったら社の中も掃除いたしましょうか」

「うむ。よろしく頼むぞ、我が信徒よ!」

 段々竹箒が手に馴染んできた。道のりは果てしなく遠いが、何。学校生活に比べれば何でもないさ。














 境内の掃除、社の掃除、崩れた灯籠の除去。全てをやり切る頃には、夜もすっかり更けてしまっていた。勿論何時になろうとも帰る気は全くなかったのだが、ここでとある問題が浮上した。

「…………あ、そうだ。風呂に入らないと」

「銭湯にでも行けばどうじゃ?」

「…………この街に銭湯なんてありましたか?」

「妾が健在だった頃にはあったぞ」

「時代を感じますね…………」

 特別に隣に座る事を許可されたので、遠慮なく社の縁に腰をかける。風呂に入りたければ、家に帰るしかない。家に帰るならば、ベッドで寝た方が良い。神様と相対するなら身体は清めておくべきだ。

「……………気が進まねえけどなあ。命様、今日は一日中ここに居るつもりでしたが、やむを得ず帰らせてもらいます」

「その心構えや良し。じゃがお主、帰らぬならば何処で眠るつもりだったんじゃ? まさか社の中とは言うまいな?」

「そこの階段で寝ようかなと」

「正気かお主ッ!?」

 命様は驚いて社から腰を下ろし、真正面から俺の肩を掴む。

「お、お、お、お主、もしや孤児(みなしご)かッ? 正気の沙汰とは思えぬぞ!」

「―――ああ。そう言えば命様にはこの街の状況と、俺の立ち位置について話していませんでしたね」

 神すら正気を疑う俺の行動は、元を正せば全てアイツが原因だ。俺は命様を落ち着かせてから、この街が今どういう状況にあるのかを簡潔に説明した。説明には彼女の存在が避けては通れないから一瞬だけ躊躇したが、信者の俺が己の神に偽りを吐くなどあってはならない。

 だから『この街で現在崇拝されているのは、メアリという女性です』とだけ強調して、後はそのまま説明した。

「成程。お主だけが、この街で唯一現人神を嫌っておるのか」

「現人神?」

「そのメアリという女子じゃよ。現人神とは文字通り『人』として『現』れた『神』じゃ。お主は大層嫌っておる様じゃが、もしかしたら他の者は無意識にその女子を崇拝しておるのかもしれぬな。ふむふむ成程。それで妾の神社が見捨てられてしまったと」

「…………悔しくないんですか?」

「悔しいなどと俗な感情はもう抱いておらぬよ。妾も神の端くれじゃからな? 人の子に嫉妬するなど―――」

「本音は?」



「悔しくて涙が出そうじゃよッ!」


 

 この神、建前が簡単に崩れるぞ。

 ちょっと面白い。

 簡単すぎるくらいに容易く乗せられた命様は、頬を桜色に染めて俺の背中を叩いた。

「―――と、ともかく、事情は分かった。ではまたの、創太。息災でな」

 命様はゆっくりと立ち上がると、社の奥に配置されたご神体に向けて歩き出した。高校生活はメアリのせいで最悪なスタートダッシュになってしまったが、誰も知らぬ秘密の関係も同時に始まった。今日に限って言えば、中々良い一日だったと思う。これで家にさえ帰る事がなければ、最高だったのだが―――


 ぐうぅぅぅ~。


 命様と別れる直前、彼女の方からよく響いた腹の音が夜の山に木霊した。命様は両足の揃った所で足を止め、振り袖をはためかせながら恥ずかしそうに身を翻した。

「……創太。次に来る時は神饌(しんせん)も用意せよ」

「しん……せん?」

「お供え物の事じゃ。二百年ぶりに飢餓を感じておる。この際贅沢は言うまい、今世における食物を堪能させよ!」

「ああ、そういうッ。分かりました。では明日、たくさん買ってきます」

「その言葉を忘れるでないぞ! 忘れたら妾泣くからなッ!」

 

 …………頼られたのは、いつ以来だろうか。


 悪い気分は全くしない。むしろ嬉しいくらいだ。初めて俺の存在が承認されたみたいで……ああ、何言ってるんだろう、俺は。

「俺も、変わったよな…………」

 誰かに優しくされた程度で、ここまで気持ちが昂るなんて。

 石段を下りながら、俺は人知れず涙を流した。 

 





「風呂、冷たそうだな…………」

 追い焚きすりゃいいだけの話か。


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