彼女の前では神も屈する
階段を上り切った俺を待っていたのは、階段以上にボロボロで、今にも倒壊してしまいそうな―――むしろどうして倒壊していないのか不思議な社があった。屋根は辛うじて存在しているが、いつ崩れるかも分からないので内側に入りたくない。
しかし本当にこの神社、廃れ過ぎている。石灯籠はかつての名残を感じるが上から半分が完璧に崩れ、足元に転がっている。手水舎は水が入っていない。完璧なる廃神社だ。多分というかやはり俺以外の人間は絶対来ない。安心した。誠に勝手ながら今日からここが俺の秘密基地だ。
「なんか逃亡生活送ってるみたいだなー」
ぶっちゃけ間違ってない。メアリは俺だけが彼女を嫌っている事実に余程我慢ならないのか、距離を取ろうとしてもずーーーーーーーーーーーーーーーっと話しかけてくるし、そういう意味では逃亡生活と何ら変わりない。
「お主」
「何で俺に関わろうとするかな。普通の人間なら一人や二人くらい仲悪い人間とか嫌いな人間とかいるもんだろ。おかしいのはアイツなんだよ、どうしてこの街の奴等は皆アイツが大好きなんだ。どんな人格者だってあり得ねえよ万人から好かれるなんてどんな奇跡だよ……そんな良い奴じゃねえだろ」
「これ、無視するでない。人の子よ、不敬であるぞ」
「…………あ?」
もしかして俺に声を掛けて…………って、人!? しかも階段の方からではなく、社の方から。驚いて振り返ると、声の主は意地悪そうに笑った。
「くくくく。妾が何者か分かるか? 人の子よ」
見た目だけで語るならば、巫女さんというのが正しいだろう。だがこの寂れた神社に巫女さんだけ残っているというのはおかしな話だ。まあ神主だったとしてもやはりおかしいのだが……それに巫女さんが着ているのは白と赤の巫女服だが、女性は、黒と赤の巫女服を着ている。女性の一人称からも分かるが、只者ではない。良く伸ばされ、整えられた黒髪も、俺と同年代にしては珍しい髪型だ。
「……どなたですか?」
見た目だけで正体を見破れる程名探偵ではないので、尋ねる。至極普通に正体を尋ねられた女性は、呆気に取られていた。
「…………え! 妾知らないのッ? え、え。結構有名なんだけど本当に知らないの?」
「いや、知りませんけど」
「こ、この街には結構な数の信者が居たと思うのじゃが……」
「信者……?」
こんな田舎にアイドルが居るとは思えない。新興宗教の胡散臭い教祖様とも思えない。恐らくその枠にはメアリが入る。俺以外の全ての人間に好かれているなんて、どう考えても『ヤバい奴』だ。と、消去法で考えると、目の前の女性の正体は一つに絞られてくる。
「……もしかして、この神社に祭られてた神様ですか?」
「おお、ようやく気付いたか! 妾は嬉しいぞ…………うむ。それでは人の子よ、改めて問おう。この街には妾の信者が大勢居た筈じゃ。その者達は何処へ行った? 妾の名前を、本当に知らぬと申すかッ!」
「…………無礼を承知で言わせてもらいますが、見た所この神社は相当前から誰一人として足を運んでいない様に思われます。貴方の言う信者達は、もうずいぶん前に―――居なくなってしまったのではないでしょうか」
メアリは俺を除いた全ての存在に好かれ、俺は全ての存在に嫌われている。彼女が持っていて俺が持っていないものはたくさんあるが、俺が持っていて彼女が持っていないものは只一つだけ。
それがこの『視る力』だ。
単に霊感と言ってもいいかもしれないが、俺は感じ取る事は出来ない。だからそのまま『視る力』という事にしてある。この力は幼少期から存在しており、幼稚園の頃に限って言えば、メアリのせいで嫌われたのは『止め』に過ぎない。昔から人間以外の何かが見えた俺は、普通に煙たがられていた。或いは嘘つきとも呼ばれていた―――家族からも(止めを刺したのはやはり彼女なので、メアリの事は相変わらず嫌いだ)。
この力が気味悪がられている事に気付いた時は大層己の目を恨んだが、今となっては感謝している。
全てを持つメアリが唯一持たない力。この力があるから、俺はメアリの事を嫌い続ける事が出来る。彼女に理解されないで済む。誰に何と言われようと、受け入れなくて済む。メアリは俺を理解していないと胸を張って言う事が出来る。
夜になると神霊や悪霊問わず見えてしまうのが難点だが、こちらが『視えている』事に気付かせなければ何も干渉はないので、俺の日常生活に影響はない。メアリの方がよっぽど支障を与えているくらいだ。
「―――そう、か」
神様は物憂げな表情で、残念そうに呟いた。
「気付いてなかったんですか?」
「気付いてはいた。妾も神の端くれじゃ。人の一生が何と短き事も理解しておる。じゃが、およそ二百年ぶりに訪れた人の子から改めて真実を告げられると―――寂しいの」
その年月の長さを言葉の上では理解出来ても、人間に過ぎない俺には決して共感できなかった。人間の寿命は精々八〇年。滅茶苦茶長生きできても一二〇年。神様の寿命など知った事ではないが、どうやら人間よりも遥かに長生きらしい。外見年齢は俺と同じくらいでも、神様は神様だ。
何と言葉を掛けたら良いか分からない。気の利いた一言でも言えれば良いのだが…………コミュニケーション不足が過ぎて独り言が自然と出るくらいだ。そんな男が気を利かせても滑稽なだけである。
だから俺は、神様の独り言を、黙って聞く事にした。
「かつて妾の前には多くの人が居たものじゃ。時には子供を抱えた女子が、時には契りを交わした夫婦が。誰に言われずともこの神社は綺麗に掃除され、どうかいつまでもこの地に豊穣を、と願われた事もある。つい昨日の事の様でもあるが、時は無常じゃの。毎日来るとあれ程意気込んでいた童も、気が付けば来なくなってしまった。それでもこの街では土着神として妾の名を知らぬ者は居ないと考えておったが…………そうか。お主の様な若き者には、もう伝わっておらぬのか」
「…………」
「俯かずとも良い。お主のせいではないのじゃ。これは人の世が神を必要としなくなっただけの事。ただそれだけの話なのじゃから」
自らの胸の内を吐露した神様が笑顔を浮かべた―――憂いは残ったままだが。
「―――聞いてくれて感謝しているぞ、人の子よ。名も無き神の戯言じゃ、気にするでない。何、祟ったりはせぬよ。もう力は残されておらぬでな。じゃがせめてものお礼じゃ。お主の願い事、ささやかなものに限るが、叶えてしんぜよう」
「じゃあ、本音を聞かせてください」
全能の力であれば可及的速やかに周防メアリの存在を隣から消してほしいが、それが駄目なら俺の望みはそれだけだ。
神様の様に懐かしがる程昔の話ではないが、かつて俺も心霊スポットなる場所に行った事がある。勿論、普段から『視えている』俺がすすんで行くわけがない。メアリが行こうと言い出し、俺が拒否し、周囲の圧に耐えられなかったから行っただけだ。
そして俺は、幽霊が悲しむ声を聴いた。
心霊写真を撮ろうと荒らしまわり、光を焚き、居なければ落書きなどをして遊び始める事が、幽霊にどれだけの悪影響を与えるかは言うに及ばない。追い払うために心霊現象を起こしてみた所で、かえって面白がられるだけ。悪霊などほんの一部で、殆どは無害な浮遊霊だ。そんな死者達を、人は簡単に冒涜する。
だがメアリが楽しんでいる以上、その行動は全面的に正しい。俺は、そんな幽霊の無念の声を聴く事しか出来なかった―――だから今回は、せめて力になってやれたらと思った。相手は神だ。助けようと思う事自体が烏滸がましいのかもしれない。だとしても、それでも俺は、自分を貫きたい。
この十一年間メアリを嫌い続けた様に。
「本音……とな。神の膓を探ろうとは再びの不敬じゃぞ、人の子よ。妾に当時の力が残っていたら、きっとお主に祟りを起こしたじゃろうな」
「それでも俺は、知りたいんです。神様。貴方が今何を考え、何を望んでいるのか―――どうか素直に、話していただけませんか?」
「何故そこまでして知りたいのじゃ。人の子であれば、同じ人の子を知れば良かろう」
「俺は貴方と仲良くなりたいです。少なくとも、俺の知る奴よりはずっと仲良くなれると思っています。どんな形であってもね」
神様は俺の瞳を覗き込んだまま固まった。そして僅かに間を置いてから、後ろに思い切り寝転がると―――
「信者が欲しい!」
まるで子供みたいに、その場で駄々をこね始めた。
「欲しい欲しい欲しい! 妾、信者欲しい! 忘れ去られたまま死ぬなんてまっぴらごめんじゃ! 信者欲しい信者欲しい信者欲しい信者欲しい信者欲しい! このまま名も無き神として消えるなんて嫌じゃ嫌じゃ! 妾は死にとうない! 消えとうない! 忘れられとうない! 妾はもっと、もっと人の子を見ていたいのじゃ! 人の歴史に寄り添いたいのじゃ! もっと畏れよ、もっと崇めよ、もっと奉るのじゃああああああああああ!」
…………その言葉を聞ければ、十分です。
「済みません。神様にお伺いするのもどうかと思うんですが、竹箒って何処にありますか?」
「………………む?」
駄々をやめた神様は、ひょいと上体を起こして首を傾げた。
「竹箒。知らないなら勝手に探させてもらいますけど」
「―――妾には全く其方の意図が掴めん。お望み通り妾の本心は話してやったぞ。これ以上居れば、其方も帰れなくなる。親が心配するであろう、帰ったらどうじゃ」
「帰りませんし、俺の意図なら貴方の本心通りですよ」
「どういう事じゃ?」
「…………俺が信者になりますよ。神様。では手始めにこの神社を掃除させて頂きます」
―――ま、どうせ家に帰っても、メアリに出待ちされてるか家族から説教を喰らうかがオチだしな。
帰宅する理由がない。
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