彼女の為だけに全てがある

 ―――もう散々だ。

 いつでもどこでもメアリ、メアリ。何かにつけてメアリ、メアリ。アイツの名前を聞かない日はない。頭がおかしくなるぐらいその名前を聞いた。幾ら天才だからってものには限度がある。他の皆もあれだけ聞いておいて、よく飽きないものだ。

 あまりにもその名前を聞き過ぎて、俺―――檜木創太は恐らく発狂していた。壁に耳あり障子にメアリーなどという下らないダジャレにすら殺意が湧くくらいだ。これを発狂していると言わずして何と言おうか。

 周防メアリは俺がこの世で一番嫌いな存在だ。

 銀髪碧眼の美少女は、俺を除いた全ての人間に好かれている。彼女の前では偶然すらも必然になり得るし、どんな間違いも正しくなる。それはもう不自然なくらい好かれている。理不尽なくらい恵まれている。

 今日の入学式も新入生代表はメアリだった。彼女が読み上げた答辞は俺以外の全員を涙させた。入学式特有の厳かな雰囲気も最終的には敗れ去り、答辞が読み終わると同時に、体育館中から拍手が巻き起こった。


 正直、気持ち悪い。


 そこまで大した事は言っていなかったと思うが、この考えをうっかり漏らしてしまった日には、袋叩き間違いなしだ。現に一度あった。

「俺には全く理解出来ねえよ……! アイツの何処がそんなに魅力的なんだ…………!」

 確かに、見た目は可愛い。絶世の美少女と言っても否定しないし、どちらかと言えば肯定する。だが周防メアリはあまりにも完璧すぎる。人間と会話している気がしない。ここが彼女の夢の中だとすれば説明は付くが、紛れもなく現実だ。現実の中で、彼女は肯定され続けているのだ。

「んで、何でアイツとはいつもいつも同じクラスなんだよ……! 誰だよ、俺とアイツをいつも同じクラスにする奴はよお……!」

 クラス替えの要望は基本的に通らない。どうしても関わりたくないなら退学すれば良いだけの話だが、流石に人生を棒に振ってまで何とかしたいとは思わない。けれども、やはり関わりたくない。関われば関わるだけ、俺が彼女を嫌っている事が周囲に露呈し、最終的に俺が嫌われる。独り言が無意識の内に出るのは、これのせいだ。

 趣味か性格か、或は両方で馬の合う相手が居ても、メアリが嫌いというだけで関係性は簡単に切れる。何度か己の感情を偽って関係性を作った事もあったが、只一人の例外もなく、口を開けばメアリの称賛ばかり。話題が無くなればメアリの話題。近くに本人が居れば本人も巻き込んで雑談。

 一週間も持たずそいつとは距離を置いた。いや、メアリの事を好きな奴と距離を置いた。その中には俺の大好きだった家族も含まれており―――


 精神的な意味で、俺は天涯孤独の身となった。


 入学式の日は決まって早帰りになるのがこの高校だ。早く終わって良かった。お蔭でこうして校門前広場でゆっくりと携帯を眺める事が出来る。家族と仲違いしている今、俺は極力家に帰らず、そしてストレスなく過ごす事を目的としている。

 俺がメアリを嫌いで居る限り、そして皆がメアリを好きで居る限り、俺に安住の地は無い。

 因みにメアリがまだ帰らないので、俺以外の奴等はまだ校舎を出てすらいない。


 チロチロリンッ♪


 携帯の通知音が鳴っている。何の通知か確認すると、メッセージアプリの通知だった。一年B組。俺のクラスだ。緊急連絡網の代わりという事で渋々入っているが、何故早速使われている。


『創太何処に居るの? トイレ?』


 早速イラっと来た。

「俺がいつ呼び捨てを許可したんだよ。大体そこまで仲良くねえだろ俺達」

 だがこれはメアリとの個人グループではない。俺が何か言えばクラス全体にも伝わる。虐められるのも嫌だし、ここは穏便に行こう。


『帰宅途中だ』

『何で! 今日はクラスの皆で親睦会やろうって言ったじゃん! 今迎えに行く。何処に居るの?』

『重要な用事があるんだ。葬式だよ』

『うそ! 創太のお父さんに聞いたらそんなのないって言ってた!』


「はっや!」

 ていうか親父の奴、いつの間に個人でメアリと繋がってたんだ…………信じられねえ。これじゃあ適当な嘘で誤魔化す事が全く出来ないじゃないか。元々信用出来ないとは思っていたが、内通していたとは流石に考えていなかった。


『とにかく行かない。絶対に行かない。俺一人欠けた所で問題ないだろ。どうぞ勝手に親睦会をしてくれ』

『やだ! 創太の妹が言ってたよ? 最近友達が出来なくて兄貴が暗いって!』


「あいつらあああああああああ!」

 俺が暗いのは誰にも理解者が居ないせいだし、友達が出来ないのは他でもないメアリのせいだ―――などと言ってしまった日には夜道で刺されかねないのでやはり言わない。本当にもういい加減にしてほしい。メアリを通して聞けば家族思いの良い家族だが、いざ家に帰れば誰も俺と口を聞いてくれない。

 ふざけてる。それでも家族か。


『いいよ暗くて。友達なんて仮初だ。嘘っぱちだ。何か一つ掛け違っただけで簡単に関係は終わる。何処かの誰かのせいでな』

『大丈夫だよ、皆良い人だよ? 創太もきっと仲良くなれるって―――』

『仲良くしたくないって言ってるのが分からないのかお前は。とにかく俺は参加しない。勝手にしてくれ』

『同じクラスなのに!』

『じゃあ空気なものだと思って、無視してくれ』

『空気は無きゃいけないものだよ!』

 

 携帯の電源を落とした。こうでもしないと延々着信をかけられてストレスになるので、この選択に後悔はない。勝手に心配してくれた彼女が出てこないとも限らないので、全速力で俺は学校から離れた。しかし家に帰るつもりはない。帰った所で―――あの内通具合を見る限り、親睦会への参加を促されるに決まってる。

 だから遠くへ。誰にも見つからない場所、誰も来ない場所へ。俺だけの秘密基地。メアリの手の届かない所へ、その名前を聞かずに済む場所へ。

 信用できる場所に。






 

    

 

 





 

「はあ…………はあ。ここまで来れば、流石にアイツも探しに来ないだろ」

 黄泉平山(よもつのひらやま)。地区の端にある山であり、肝試しのスポットとしても有名だが……同時に樹海に次ぐヤバさ(幽霊が出るという意味)だという事も知れ渡っている為、自殺願望のある人間でもない限り、こんな山には来ない。

 だが俺に自殺願望は無い。メアリから逃げたくて死ぬなんて、馬鹿らしい事この上ないじゃないか。もっと分かりやすく言うと、何か負けた感じがして嫌だ。だから絶対自殺しない。

「俺に構うんじゃねえよ……長い付き合いなんだから、分かれよ!」

 何度でも言おう。俺は周防メアリの事が嫌いだ。大っ嫌いだ。世界で一番嫌いだ。それを態度に表した事もある。うっかり泣かせてしまった事もある(そればかりは申し訳ないと思わなくもない)。それなのにアイツはいつも俺に手を差し伸べてくる。

 仲良くなろうよと。

 誰が仲良くなってやるものか。俺は俺を貫く。他の奴らみたいにアイツを好きになんかならない。凡人には凡人なりの矜持がある。周りに流されるものか。

「…………何すっか」

 メアリの魔の手から逃れる事に必死で、ぶっちゃけ何もする事がない。この山の中だと電波が届くか怪しいし、電波が届いたらそれはそれで困るし。八方塞がりじゃないか。当てもなく獣道を歩いていると、百メートル前方に何百段もありそうな石段が見えた。

「は?」

 万が一にも誰かと遭遇するとそこからメアリに位置情報が伝わりかねないので、極力獣道を歩いてきた。それなのに、どうして目の前に人工建造物があるのだろう。

 見た所手入れは一切されていない。所々ひび割れているし、その罅から雑草も生えている。落ち葉も地面に落ちたまま、誰にも掃除されていない。ずっと昔に作られた階段……と言った所か。最初は身構えてしまったが、この汚さならば怯える必要はないだろう。手入れがされていないと言う事は、誰も来ていない事の証明にもなる。

 唯一気になるとすれば、蟻の一匹も見当たらない事だが……俺の探し方が悪いだけだ。蟻が居ない山など考えられない。そう結論付けて、俺は何となく石段を上る事にした。

 どうせ行こうとしていた場所も無ければ、帰る場所もないのだ。中学の頃に使っていた秘密基地は人海戦術で探し当てられてしまったが、ここならば―――或いは。




 階段の先を見上げると、角が欠けた鳥居が俺を見下ろしていた。

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