彼女はクラスメイトを見捨てない

「……ただいま」

 玄関のカギを開錠して、俺は静かに帰宅した。既に消灯されているので、改めて電気を付けねばまともに家を歩く事も出来ない。家族の皆はもう眠っているらしい。今回に限った話ではないので、別に怒ったりはしない。

「まあ流石にここまで遅かったらメアリも出待ちしてないみたいだな、良かった良かった」

 むしろ出待ちしていたら不審者だ。通報してやる―――ああいや、そんな事しても悪者は俺になるので、実際はしない。どうせ『メアリを待たせる様な真似をした俺が悪い』という意見が正義なのだ。そうでなければ俺は彼女をここまで嫌っていない。どう見たって悪い事してるのに、何故俺が責められなければならないのか。


 ―――風呂入らないとな。


 夜食に関してはどうせ用意されていないので抜く。うちの家族は夜遅くまで出歩く息子に飯を作り置きしておいてくれる程優しくない。俺がメアリを嫌い続ける限り、関係が修復される事は無いだろう。つまり永遠に、家族とは仲が悪いままだ。特に仲が悪いのは妹で、顔を会わせるなり舌打ちや蹴りを入れてくる事もある。無視はデフォルトなので特筆しない。

「あの山に温泉があればいいんだけど、流石に都合が良いよな」

 脱衣所で服を脱ぎ、風呂の中へ。追い焚きボタンを押して、湯船の中に入った。沸かしたてはさぞ熱々で気持ち良かっただろうが、今となっては只のぬるま湯だ。いや、何なら水面付近はもう冷水だ。熱は感じるのに、五分も入っていたら今にも風邪を引きそうな冷たさである。

 追い焚きによって湯船が再び熱されると、求めていた安らぎが俺の身体を熱く包み込んだ。

「あ~…………肉体を酷使した後の風呂はやっぱ最高だなー!」

 たった一人で廃神社の掃除をしたのだから、誰か褒めてはくれまいか。恐らくその欲求に応えてくれるのは我が神……命様だけなので、明日にでも褒美が欲しいと相談を…………その様子をイメージしたら、物凄く恥ずかしくなったのでやめる。遥か年上なのは知っているが、見た目上は俺とほぼ同年代の女の子だ。求めるのは…………何かが違う。

 誰かに期待するなんて事は、もう随分前から諦めている事だ。だから他人に期待する方法が分からない、というのもある。


 え、メアリに期待すれば絶対に裏切らないって?


 そうだね。

「………………独り暮らしって、どれくらい出費が出るもんなんだろう」

 俺がいつまで風呂に入ろうが、いつに就寝しようが咎める者はいない。のぼせるまで入浴は続いた。







 

 階段を上る。

 突き当って右側が俺の部屋。左が妹、清華(さやか)の部屋だ。扉の前には『兄貴お断り』の紙が張り出されている。

「……お休み、清華」

 扉に語り掛けて、俺は自分の部屋に入った。就寝準備は済ませたし、もう寝るだけだ。ベッドに潜り込んでいる所で、ふと勉強机の上に立てられた空の写真立てが視界に入った。そう言えば家族に嫌われてから、思い出というものを作った覚えがない。だからあの写真立てには何も入っていないのだが……

 じゃあ俺は、何であれを買ったのだろうか。

「―――あんたらは俺なんかより、メアリが娘だった方が幸せだったんだろ? 遠足で俺が道に迷って帰れなくなった時も、体調を崩した時も、迎えに来なかったもんな。アイツが怪我した時は事件でも起きたみたいに大騒ぎしたのに」

 この世に数多の理不尽あれども、俺程の理不尽を受けている奴はそう居ないだろう。正確に言えば、俺は理不尽を受けているのではなく、一人の人間が寵愛を受ける様を見ているだけだ。

 周防メアリは失敗しない。

 周防メアリは挫折しない。

 周防メアリは嫌われない。


 周防メアリは――――――――――――   














「創太! 起きて、朝だよ創太!」

「………………あ?」

 史上もっとも不快な声に、普段は寝覚めの悪い俺もあっさりと覚醒。声のする方向をギロリと睨みつけると、メアリが拡声器を片手に俺の部屋の中で突っ立っていた。

「あ、おはようッ。今日もいい天気だね!」

 どうやらこいつには嫌われているという自覚がないらしい。あれだけ露骨に嫌っているのにどうして何度も何度もこうしてちょっかいをかけてくるのだろうか。朝っぱらから拡声器越しに起こしてくるし、どう見ても馬鹿じゃないか。

「……おはよう。何でお前、ここに居るんだ?」

「あれから創太と全然連絡がつかなくて心配したんだよッ? 家にも帰ってないみたいだし、事故に遭ったのかなとも考えて病院にまで行ったんだから」

「親睦会は?」

「勿論やったよ! すっごく楽しかった! でも私は創太にも参加して欲しかったな! 親睦会はクラス全員でやるものだから」

「参加しねえって言ってんだろ。というかさっさと出て行ってくれないか? ここ俺の家なんだが」

「だーめ。創太のお母さんに頼まれてるんだ。創太は言う事聞かないから、貴方の方でちゃんと学校に行かせて、友達を作らせてほしいって」

 大いなる語弊がある。言う事を聞かないのは家族の方だ。俺はそれに反発してるだけ、自分を貫いているだけだ。そのスタンスについて文句を言われるのは心外も良い所だ。

 それと俺が嫌っている事は知っている筈なのに、どうして張本人を使うのかは理解に苦しむ。こんな言葉を家族に向けたくはないが、頭がおかしくなったのか。

「余計なお世話だよ。俺は友達なんていらない」

「怖がらなくてもいいんだよ創太! 皆いい人だよ? きっと創太も好きになるって!」

「押しつけがましいんだよ! さっさと帰れ!」

「うーん…………分かった。じゃあ家の前で待ってるから、早く来てね!」

 学校で話す事さえストレスなのに、朝っぱらから会話する事になって、早くもストレスフルだ。精神科医にでも相談すべきだろうか。でも一度行った時は『メアリさんを嫌いな貴方の心にこそ異常がある』と言われたので、気が進まない。この街は異常だ。何から何まで彼女を賛美していて気持ちが悪い。人間と話している気がしないのはこれも原因だ。

 俺は一体何と話しているんだ。人間じゃないなら神か? 神なのか? しかし俺の知る神はメアリよりも遥かに可愛くて、俗っぽいが。

 メアリが部屋を出て行って間もなく、また違う女性が殴り込みをかけてきた。

「さっきから聞いてればさ、アンタ、メアリさんに何て口聞いてんのッ!?」

「は? お前に付き合い方をとやかく言われる筋合いはねえよ!」

 気性の荒々しさに反して幼い印象を受ける女性の名は清華。俺の妹で、メアリと出会う前はかなり仲が良かった記憶がある。『お兄ちゃんのお嫁さんになる』なんて発言が飛び出すくらいには―――ああ、それについては幼さ故の迂闊な発言だと知ってる。でもそういう言葉が気兼ねなく出るくらいには、良好だった。

 だったんだよ。

「しんっじられない。メアリさんがせっかく起こしに来てくれたのに、もっと感謝しなさいよ。崇めなさいよ。アンタみたいなどーしようもないろくでなしでも優しくしてくれるのに!」

「優しくしてくれなんて言った覚えはないね。ろくでなしって言うなら金輪際俺と関わらないでもらいたいよ。そうしてくれたら感謝するさ」

 この程度の口喧嘩は顔さえ合わせれば発生する。埒が明かない事を知っている妹だがそれでも「信じられない!」と軽蔑の視線を向けた。

「それが優しくしてくれる人への態度? そんなんだから彼女も友達も出来ないのよ、馬鹿!」

「俺はアイツの事を好きな奴とは友達になりたくないし、彼女にしたくもない。大体人の交友関係にまでケチつけんじゃねえよ。だからお前も彼氏できないんだろ、妹よ」

「――――――ッ! アンタなんかと兄妹になった事が、人生最大の不幸よ!」

 そう言って妹はさっさと階段を降りて行ってしまった。御覧の通り大層嫌われている。両親も妹程ではないが、基本的には無視されているので、見方によっては一番嫌われているとも言える。

「……兄貴」

 ここでモタモタしていても仕方ないし、そろそろ階段を降りようかと考え始めた時、堪忍袋の緒が切れた筈の清華がひょこっと顔を出した。

「何だ?」

「今日、アンタの朝食ないよ」

「……で?」

「お母さんが弁当作ったから、メアリさんに渡してって」

「何で俺がそんな事…………ああ、もういいや。分かったよ、届ければいいんだろ届ければ。家の前に居るってんだから自分で届けろって話だけどな」

「お母さんの気遣いが分からないなんて、可哀想な兄貴」

「お節介だって言っとけ。アイツとだけは絶対に仲良くならないから」

 俺に家族は居ない。

 居るのは家族の皮を被ったメアリの崇拝者だけだ。こう考えると、俺が命(みこと)様にした説明はやはり正しかったのだと痛感する。

 

 ―――どうにかしてアイツ撒けねえかなあ。

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