第10話 おかえりなさい

 烏丸からすまさんの助けもあり、キイと生活を始めるために必要なものはひと通りそろえることができた。いよいよ今日はキイを迎えに行く日だ。


「お久しぶりです、泊木とまりぎさん。憐人りんじん係の杉下です」

 市役所の憐人を担当する部署の窓口に行くと、憐人になったキイの教育担当をしてくれた初老の男性職員が出迎えてくれた。杉下さんに連れられ、小さめの会議室に案内してもらう。


「キイさんをお迎えする前に、あなたには話しておかなければいけないことがあります。まずはお座りください」

 優し気な物腰だけれど、杉下さんの表情は真剣なものだった。


「泊木さんはなぜ飼われているペットが“憐人”となるかご存知でしょうか」

「正直、よくわからないんです。飼っているペットが不思議な力で人間の体になるってことくらいしか知らなくて」


「憐人は、ペットが飼い主へ向ける愛情によって人間の体をたまわると言われています。つまりペットが飼い主に向ける愛情が大きければ大きいほど、そのペットが憐人になる可能性は高い、ということです」

 突拍子もない内容ではあるけれど、淡々と語る杉田さんの話には妙に説得力があった。今まで考えたこともなかったけれど、キイはそんなにも僕に対して深い愛情を向けてくれているのだろうか。


「僕は普通にペットのインコとして可愛がっていたつもりでしたけど……。まさかキイにそこまで愛情を向けられていたなんて、思いもしませんでした」

 僕の言葉を聞いた杉下さんの表情が少しだけ険しくなる。


「覚えておいてください。憐人になった子は、あなたが想像しているよりもはるかに強く、根深い愛情をあなたに向けているのです。言葉も話せず、餌を与えられなければ死んでしまうペットにとって、頼れる存在は世界にただひとり、飼い主しかいません。憐人になった子にとって飼い主というのは、それだけ絶対的な存在なのですよ」

 杉下さんの言う通り、ペットにとって飼い主は唯一かけがえのない存在だ。飼い主が餌をあげたり世話をしたり、愛情を注いでくれるおかげでペットは命を繋ぐことができるのだから。


「わ、わかりました。肝に銘じておきます」

 飼い主が思っている以上に、ペットは飼い主へ愛情を向けてくれているのだ。ならば、飼い主である自分もそれに応えないといけない。必ず憐人になったキイを幸せにすると心に誓った。


「もし、憐人になった子から向けられる愛情を裏切るようなことをすれば、その時は――」

 杉下さんは眼鏡を指先でおさえ、意味ありげにっこりと笑う。


「そ、その時は……?」

「どうか、キイさんを大事にしてあげてください。私から言えるのはこれだけです。今キイさんを連れて来ますので、少しお待ちくださいね」

 裏切ったその時はどうなるのか。その疑問に答えてくれることのないまま、杉下さんは会議室から出て行ってしまった。残された僕はどうしていいかわからないまま、ひとり取り残される。待っている間の十数分、ついスマホで『憐人』『飼い主』『襲われる』なんて調べてしまったのは、墓の中まで持って行く秘密にしておくことにしよう。


 そうこうしているうちに、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。僕はスマホをしまい立ち上がった。


「ご主人!」

 レモンイエローのふわふわした髪が視界に入ったかと思うと、まっすぐこちらに向かって突っ込んでくる。僕は全身でキイを受け止めた。


「会いたかった……! もうご主人と離れたくない、ずっと一緒なんだからっ」

 涙目のキイにぎゅっと抱き着かれ、僕はそっと彼女を包み込んだ。キイにとって、飼い主である自分と離れ離れにされるのはきっと辛かったに違いない。こんな小さな体にそんな辛い思いをさせたかと思うと、胸が張り裂けそうになる。


「さあ、キイさん。お勉強の成果を見せてあげてください」

 杉下さんに促され、キイは僕から名残惜しそうに体を離した。それから可愛らしく姿勢を正して、僕に向き直る。


「わたし、泊木キイっていいます。住所は○○市××10丁目5、スカイバード501号室! ご主人の名前はね、泊木翔とまりぎしょうさんっていうの!」

「もう何十年もこの仕事をしていますが、いつも憐人になった子の学習能力には本当に驚かされます。数日前には舌足らずな幼子おさなごのようでしたが、今のキイさんなら小学生の高学年くらいの知能レベルはあるでしょう」

 本当に驚くしかなかった。人間なら何年もかかるような成長を、憐人になった子はわずか数日で飛び越えてしまうのだ。きっとこの驚くべき能力も、憐人になった子が天から授かった不思議な力なのだろう。これなら日常生活にそれほど支障はなさそうだ。


「すごいな……キイ、えらいぞ! 頑張って勉強したんだな」

 嬉しくなってついキイの頭を撫でまわしてしまう。いきなりペットが憐人になった時は、正直不安もあった。でも、こうして僕に撫でられながらとろけそうな顔をしているキイを見ていると、そんな不安も消し飛んでしまう。


――次にキイの口から出てくる言葉を聞くまでは。


「あのね! キイ、もう少ししたら卵を産めるんだって。先生が教えてくれたの!」

 キイのきらきらした瞳に見つめられ、思わず僕は固まってしまう。杉下さんはなんてことを教えてくれたんだ。ほんの少し恨みがましい視線を向けたけれど、杉下さんはそっと顔をそむけた。


「……仕方ないのです。これも避けては通れない教育でしたから」

 なるほど、保健の授業もどうやら必須科目だったらしい。確かに必要なことではあるけれども、ちょっと教えるには早すぎじゃないだろうか。

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