第6話 理解ある上司と可愛い後輩と
市役所での手続きを終えた後、牛丼チェーンでさっと遅めの昼ご飯を食べてから出社した。部長に急に休んでしまったお詫びをすると、気にするなと言いながら一枚の書類を見せられた。まさか退職届じゃないよな、と一瞬嫌な想像をしてしまったが書類には「扶養異動届」と書かれている。たしか、子供が生まれたりして扶養する家族が増える時に会社に出す書類ではなかっただろうか。
「ウチの会社では、
午前中に市役所へ行っていた間、部長は会社の総務に話を通しておいてくれたらしい。昨晩のうちに部長に連絡を入れておいたのはやはり正解だった。口数が少なくてちょっと怖いけど、いざという時は本当に頼りになる。
「ありがとうございます。何から何まですみません」
「いいんだ。新しく増えた家族の面倒を見るってのは、大変なことだからな」
もう一度部長にお礼を言い、自分のデスクに戻ってパソコンを立ち上げる。午前中だけとはいえいきなり休んでしまったから、ある程度業務の遅れを取り戻さないといけない。
「あ、あの」
隣のデスクからおずおずと声をかけてきたのは後輩の
「ごめんね、午前中は急に休んじゃって。不在の間に何か変わったことはあったかな」
「いえ、大丈夫です。と、
「そう言ってもらえると助かるよ、ありがとう」
「そ、そんなことないですよぅ。私なんか」
僕が烏丸さんにねぎらいの言葉をかけると、照れているのか彼女は顔を赤らめた。昔と比べるとだいぶよくなったけれど、彼女はとても引っ込み思案な性格をしている。後で聞いたことだけれど、前の職場では人間関係がうまくいかなかったらしい。今の職場で僕の後輩として配属されてからは、なるべく丁寧な指導を心がけたおかげか、着実に仕事を覚えてくれた。その堅実な仕事ぶりは周囲からも評価されており、今では僕の自慢の部下だ。
「烏丸さん、泊木が午前中休むって聞いた瞬間この世の終わりみたいな顔してたぞ」
「ぶ、部長……! 言わないでくださいっ」
部長に僕が不在だった時の出来事を暴露され、烏丸さんはさっきよりも顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。突発的な休みとはいえ、半日の不在でそこまで烏丸さんがショックを受けるとは思ってもいなかった。
これではうかつに休むと烏丸さんに負担をかけてしまいそうだ。頼られるのはうれしいけれど、依存されるのはちょっと考え物だろう。もっと経験を積んで自立して仕事ができるようになってほしい、とは思うのだけれど。
「ところで先輩、部長と話しているのを聞いちゃったんですけど……本当に憐人をお迎えするんですか」
「ああ、飼ってるセキセイインコの子が憐人になってね。今は役所で預かってもらってるんだ」
「その子は女の子ですか」
「えっ」
いつものおどおどした烏丸さんとは思えない、張り詰めた声色に思わず言葉に詰まってしまう。
「いや、まあ、そうだね、女の子だね……。でもキイはほら、憐人になったばかりでまだ子供みたいなもんだから」
突き刺さるような烏丸さんの視線にたじろぎながら、なんとか言葉を返していく。そもそも後輩の烏丸さんにはそこまで関係ない話のはずなのに。それなのに、どうしても彼女の迫力に
「キイさん、でしたっけ。今はまだ市役所に預かってもらっているんですよね。そうですか、じゃあ、チャンスは今しか……」
最後の方はごにょごにょとつぶやいただけなので、内容をはっきりと聞き取ることはできなかった。なぜだか聞き返してはいけないような気がしてそのまま仕事に戻ることにする。どこか一点を見つめている烏丸さんの様子は少し気になったけれど、何か考えごとをしているのだろうとそれ以上深く追求はしなかった。
仕事を終えて家に帰れば、キイのいないワンルームはやけに広く感じられる。この部屋は5階にあるが、左右の部屋が空き部屋のせいであまり物音が聞こえてこない。そのせいか、自分がひとりぼっちであることをなおさら強く感じてしまう。
ところが隣の部屋から何か物音が聞こえてきた。誰かが引っ越してきたのだろうかなんて思っていると、隣の部屋のドアが開く音がかすかに聞こえる。鉄筋建てのマンションではあるけれど、それくらいの物音はどうしても聞こえてしまうのだ。ほんの数秒後、僕の部屋のインターホンが鳴り響いた。
「夜分にすみません、隣に引っ越しましたので挨拶に来ました」
部屋に設置されているインターホンにはカメラが内蔵されており、画面には来訪者の姿が表示されている。最近のインターホンはカメラの画質もなかなか良くなっているらしい。眼鏡をかけた、羽の混じった灰色の髪の女性だと画面越しにもはっきりと確認できる。
――こんな偶然があるだろうか。
見間違えるはずもない。つい先日市役所で会ったばかりの赤羽さんが、インターホンの画面越しにこちらを微笑みながら見つめていた。
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