第5話 憐人係の裏の顔

 キイを見送った後、残された僕は赤羽さんと申請書類を作成していた。キイを研修に送り出すと言う大仕事を終えたから、とりあえずヤマ場は超えたと言っていい。赤羽さんの説明を受けて、書類に自分の名前を書いていく。


泊木とまりぎさん、とおっしゃるんですね」

「はい、めずらしい苗字だとよく言われます」

 僕の苗字について触れた赤羽さんに、当たり障りのない返答をしておく。実際この苗字の由来についてはよく知らないし、まず親戚以外でこの苗字の人には会ったことがない。とりあえず珍しい苗字だとはよく言われる。


「すてきなお名前ですよ。止まり木って、私たちのような鳥にとっては大切なものですから」

 そう言って赤羽さんは目を輝かせてほほ笑んだ。たしかに小鳥はケージにいる時の大半を止まり木の上で過ごしているから、憐人になる前はヨウムだった赤羽さんにとっても止まり木というものは大切なものなのだろう。まだインコだったキイを飼う時も、天然木の止まり木をわざわざ選んで買った記憶がある。

 赤羽さんに見守られながら何枚もの書類に名前や住所、生年月日を書いていく。中には収入について書くものもあった。仕事ではパソコンばかり使っているから、こうして手書きの書類を作るというのは久しぶりだ。少し手が疲れたので、手を握ったり開いたりしていたらずきりと痛みが走った。昨晩キイに噛みつかれたところだ。大きな絆創膏で隠しているし、血はもうとっくに止まってはいるけど動かすとまだ痛い。


「泊木さん、その手のケガはなんですか」

「……何でもありませんよ、ちょっと転んで擦りむいただけです」

 包帯が巻かれた右手を不審に思ったのか、赤羽さんは手のケガについて尋ねてきた。キイに噛みつかれたことはとっさに隠す。憐人になった彼女にとって、人間に危害を加えたという事実はきっとマイナスでしかないはずだ。


「転んで擦りむいた? 本当ですか。なら見せてください」

 いきなり赤羽さんに右手を掴まれる。女生とは思えないほど力が強くて、とても振りほどけそうな気がしない。


「離してください。いきなり何するんですかっ」

「ごまかそうとしても無駄ですよ。まさか、わたしが気づいていないとでも思いましたか。あなたの反応と包帯の巻かれた位置を考えれば、その下に歯形が付いていることくらいわかります」

 すべてお見通しだった。いや、ごまかし切れると思っていたのが間違いだった。市役所で憐人の対応を仕事としている赤羽さんなら、何があったのかはお見通しなのだろう。


「憐人になったばかりで混乱した子が飼い主に噛みついてしまうのは、それほど珍しいことではありません。中には飼い主を噛み殺そうとした子もいます。そういった事故を未然に防ぐのも憐人係の仕事の仕事ですから」

「……キイに悪気はなかったんです。僕のケガだって大したことはなかったし、キイは絶対に危険なことはしません」

 

「それを決めるのはあなたではありませんよ?」

 赤羽さんの声のトーンが急に冷たく、重くなる。彼女の迫力に思わず息を飲んだ。包帯の巻かれた右手はまだ彼女につかまれたままだ。


「まさか、研修がただのお勉強のためだけにあると思っていたんですか? そんなわけないじゃないですか。選別するんですよ、本当に社会生活に馴染なじめるのかどうか。選別されるのは憐人になった子だけじゃないですよ、飼い主も同じです。憐人になった子を引き取れるだけの能力があるかどうか、調査させていただきます」

 選別。その単語が深く心に突き刺さった。まるでモノを選び取るような響きじゃないか。


「あなたが引き取るが無理なら、養護施設で引き取るという選択肢もあります。飼い主の体力的、経済的事情で憐人になった子を引き取ることを断念する方もいらっしゃいます。実際、一人暮らしのあなたにとって、キイさんを引き取るのは負担じゃないですか?」

「負担と言えば、負担ですよ。でもそんなのは問題じゃないっ」

 こちらを試すような赤羽さんの言い方が気に食わなくて、つい語気に力がこもってしまう。


「うまく言葉では言えないんです。でも、キイを見捨てることはどうしてもできません。たとえ社会生活に馴染めないとそちらが判断したとしても、関係ない。その結果自分が周りから非難されることになってもかまいません。その時はキイを引き取って、誰にも迷惑かけないよう山奥にでも引っ込んで暮らします!」

 はっとした表情の赤羽さんを見て、ついヒートアップしてしまったと少しだけ後悔する。でも自分の言葉に嘘はない。それくらい、自分の中ではキイは何者にも代えがたい存在になってしまっているのだから。

 かつて何かのアニメで『愛しているということを知りたい』というセリフを聞いたことがある。僕にだって、愛しているというのが自分でもよくわからないけど、たぶん、きっと。僕のキイに対する気持ちは『愛してる』というものなんだと思う。恋愛感情とはちょっと違う、他者を本当に大切だと心から想う感情。


「――さっきは試すようなことを言ってすみませんでした。飼い主が憐人になった子を引き取っても大丈夫か、判断するのも私たちの仕事なんです。でも心配なんていらなかったですね。本当に……キイちゃんの飼い主があなたのような人でよかった」

 赤羽さんは眼鏡をずらし、目頭をそっとおさえていた。かつてキイと同じように小鳥から憐人となった彼女だからこそ、何か思うところがあるのだろう。


「そこまで泊木さんから愛されているなんて、キイちゃんがうらやましくなっちゃいます」

「はは、そう言われると少し恥ずかしいですね」

 包帯の巻かれた僕の右手に、赤羽さんの両手が添えられる。


「本当に……本当に、うらやましいです」

 眼鏡のレンズ越しに、赤羽さんがこちらを見つめてくる。その視線がなぜだかじっとりと湿度を帯びているような気がして、僕は思わず目をそらしてしまった。

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