第4話 とある市役所の市民生活部福祉課憐人係
一応、ではあるけれどキイは市役所に行くことに納得してくれた。納得してくれたはずだ、と思いたい。市役所に着いたとたんに暴れ出す可能性も一瞬頭をよぎったが、あれこれ考えてばかりいても仕方ない。今はとりあえずキイを信じることにした。
市役所に行くために何の服を着せるか迷ったが、結局スウェットにした。柔らかい素材の服でないと、彼女のお尻に生えている尾羽を傷つけてしまいそうな気がしたからだ。スウェットの上からジップパーカーを羽織らせる。室内で飼われているインコは、寒暖の差にはあまり強くない。おそらくキイも外に出かけるときは暖かくして出かけた方がいいだろう。暑ければ脱いで調整してやればいい。
スマホでタクシーを呼び、市役所へ向かう。そこそこ大きな街なだけあって、市役所も5階建てくらいはありそうな大きな建物だ。初めて目にする巨大な建造物に驚くキイの手を引いて、建物の中に入る。入口にある案内板を見ると、目的地は市役所1階の奥にあるようだ。
――市民生活部 福祉課 憐人係。
受付のカウンターのところには、赤いフレームの眼鏡をかけた若い女性が座っていた。きれいなグレーの髪の毛には、キイと同じように羽のようなものが混じっている。おそらく彼女も飼われていた小鳥から憐人になったのだろう。
「こんにちは。今日はお手続きですか?」
にこやかに受付の女性から話しかけられ、とっさに頷いた。
「はい、実は、飼っていたインコが、その……“憐人”になりまして」
「なるほど、初めての申請手続きですね。いろいろと戸惑うこともあるでしょうけど、こちらでいろいろとサポートをしますのでご安心ください。今準備をしますので、そちらのスペースでおかけになってお待ちくださいね」
女性の示す先には、他人の目に触れないようにするためかパーテーションで区切られた一角があった。確かに、多くの人が行きかう市役所という場所であればこういったところのほうが落ち着ける。椅子に座ってひと息つきながら、テーブルのかごに置いてあった飴玉をひとつ拝借してキイの口に入れてやった。
「ねえごしゅじん、さっきのおんなのひと、だれ?」
飴玉の入った口でもごもごしゃべりながら、キイは僕の腕を強くつかんできた。まさか嫉妬しているのだろうか。たしかに、インコという動物はとてもヤキモチ焼きだ。飼い主が触っているパソコンやスマホといった無生物にすら嫉妬してくちばしでつつくくらいなのだから、生物に対してより強く嫉妬するのは当然なのかもしれない。
「あのお姉さんはね、ここで働いているんだよ。髪の毛に羽があったから、たぶんキイと同じなんじゃないかな」
「……ごしゅじんは、キイとあのおねえさん、どっちがいいの」
がりっ、とキイが飴玉をかみ砕く音がした。僕の腕を掴んでいる彼女の手に力がこもる。うかつな返答をしたらまずいことになると、本能的に察してしまう。
「あのね、さっきのお姉さんとは今日初めて会ったんだ。ずっと一緒に暮らしていたキイの方が大事に決まってるだろ。でもあのお姉さんにはこれからいろいろとお世話になると思うから、あまり失礼なことをしてはいけないよ」
小さな子供に語り掛けるように穏やかに話すと、キイはうんうんと頷いてくれた。
「わたし、市民生活部福祉課憐人係の
「研修、ですか」
書類手続きがあるのは何となくわかるけど、研修というものがいまいちよくわからない。赤羽さんもそれを察してくれたのか、付け足して説明してくれた。
「研修というのは、憐人になった子をこちらでお預かりして社会生活に馴染めるよう教育を施す制度です。この研修は法律で定められた義務なので、必ず受けていただく必要があります。憐人になったばかりの数日間はとても大事な期間なんです。この期間、憐人の子達はまるでスポンジが水を吸収するように、人間では考えられないくらいのスピードで学習します。だからこの時期は、社会生活に適応するためにもっとも大切な時期なんですよ」
「なるほど……たとえ離れ離れになってでも研修を受けないといけない理由がわかりました」
「もちろん、憐人になったばかりにとって飼い主さんといきなり離れ離れになってしまうのが辛いのはわかります。かつてわたしもそうでしたから」
「赤羽さんも、やっぱり憐人の方ですか。髪の毛を見てそうかとは思っていましたが」
セミロングの髪に混じった灰色の羽をさわりながら、赤羽さんはちょっと恥ずかしそうに顔を赤くした。そんな可愛らしい姿に目を奪われていると、隣に座っているキイがものすごい顔でにらんでいるの気づいたから慌てて何もなかったようにごまかした。
「わたしはヨウムとして飼われていました。いきなり人間の体になったと思ったら、役所に連れていかれて。しかも研修では何日も飼い主と離れ離れにならないといけなくて。とても寂しくて、辛かったです」
「そう、ですよね……。僕がしっかり、支えてあげないと」
「優しそうな飼い主さんで、本当によかったです。少しお待ちくださいね」
ちょっと書類を取ってきます、と席を立った赤羽さんの後姿を何となく眺めていると、お尻のあたりから赤い尾羽がのぞいているのに気が付いた。そういえば前にペットショップで見かけたヨウムも、体は灰色だけど尾羽だけ鮮やかに赤かったような気がする。別にいやらしい気持ちで見ているわけではないが、歩いているお尻が左右に動くたびにふりふりと揺れる赤い尾羽から目が離せずにいた。繰り返すが、決してやましい気持ちは――。
「ご しゅ じ ん ?」
いきなり視界いっぱいにキイの顔が飛び込んでくる。至近距離でこちらをのぞき込んでくるものだから、照明の光がさえぎられて彼女の顔が暗く見えてしまう。正直なところちょっと怖かった。
赤羽さんはもう一人別の小柄な男性職員を伴って戻ってきた。スーツを着た初老の男性職員はいかにも「優しそうなお爺ちゃん」といった雰囲気だ。これといって動物らしい要素は見当たらないところを見ると、このお爺ちゃんは憐人ではないようだ。
「憐人係で研修の担当をしております、
いよいよ、キイを研修に送り出さなくてはいけない。涙をいっぱいに溜めて、それでも声を上げて泣くのは必死に我慢しているキイを見ていると、僕の方まで胸が張り裂けそうになる。
長引けば別れが辛くなるとはわかっているけれど、最後に少しだけキイの顎の下をなでてやった。彼女は僕の手を取って、すりすりと自分のほっぺたにすり寄せる。
「キイ、がんばるから。ごしゅじんにあえないの、がまんするから。だからぜったい、ぜったいむかえにきてね?」
杉下さんに手を引かれ、研修に連れていかれるキイを見送る。研修は数日間。キイにはまたすぐに会える、はずなのだけれど。キイの姿が見えなくなると、なぜだか妙の胸騒ぎがして仕方なかった。
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