第10話 伝説の勇者と田舎4
そうこうしているうちに母親から呼び出しの声がかかる。どうやら晩飯の支度が終わった様だ。まだ頭の中が整理しきれていない状態である柊弥だが、空腹であったのだろう勇者が食卓へ行きたそうにうずうずしていたので、一度深呼吸をして出来る限り落ち着きを取り戻す動きをした後、食卓へ向かう事にした。
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「いやあ、相変わらず食欲をそそる料理だ。柊弥はずっとこの料理を食べてきたと思うと、羨ましい限りだ。」
食卓に並ぶ料理を眺めまたもや目を輝かせる勇者。そして嬉しそうにする母親。昼間と同じパターンであったため、今回はそのやり取りに特に反応は示さず柊弥は食卓の席につく。
ただ、昼間とは一つだけ違う事があった。
「彼が柊弥の友人か。元気な子だな。」
今回の食卓には、仕事から帰宅していた父親が同席していた。
「ああ、申し訳ない。美味そうな料理を前に取り乱し挨拶を怠ってしまっていた。
はじめまして父君。私の名はトーマ。柊弥の友人です。」
勇者は父親に深いお辞儀をしながら挨拶をする。
相変わらず洗練された礼儀の良さである。
「!」
勇者の言葉に一瞬目を大きく開き、身体を固まらせる父親。
まさか、と同時に柊弥の心臓の鼓動が速くなる。
だが、特に問題は起きず、父親は表情を戻し、会話を始める。
「ほう、礼儀正しい子だな。こちらこそ、息子がお世話になっているようで、ありがとう。」
父親は勇者の挨拶に対し座ったままの状態で軽く頭を下げる。
どうやら杞憂に終わった様で、心の中で安堵する柊弥。
(なんだよ焦らせやがって。とりあえず今はまだ気付かれてはいない様だな。)
何気ない食卓の光景なのだが、いつも以上に両親の挙動を気にする柊弥。
そう、勇者には正体がバレない様に、再び変わらず男のふりをしてこの食卓にはいてもらうことにしていたのだ。
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部屋から出て食卓に向かう前、柊弥は風呂場からそのまま連れてきてしまったのでまだ髪を乾かせていなかった勇者に一旦浴室へ戻り髪を乾かせてから食卓へ向かう様伝え、
ドライヤーが置かれている脱衣場まで一緒に行く。
ドライヤー自体は柊弥の部屋で既に使った事があり、この実家に置かれてあるドライヤーも特段使い方が違うわけではなかったので、置いてある場所だけ伝えた後は、勇者はスムーズにそれを使いながら髪を乾かしていた。
そして、その最中に柊弥は勇者にひと先ずは今まで通り男のふりをしてもらうよう要請。
まさか女だとは予想にもしていなかったので、柊弥は両親には男の友人と伝えている。
既に面識のある母親はまだしも、これから初対面で会う父親に実は女でしたなんて伝えようものならどこから説明して良いか分からなくなるので、まずは余計な混乱を避けるため、面識を作り勇者の事を知ってもらった後に時期を見て打ち明けようと考えていたのだ。
勇者はそれに対し、特に疑問も持たずあっさり了承する。今まで通りの対応をするだけなので、問題はないようだった。
了承をもらえた事だけ確認できると、柊弥は先に食卓に向かっていると伝え、どこかぎこちない動きで脱衣所を後にする。女性だと分かると髪を乾かす為に髪を触る仕草さえどこか色気を感じてしまい、このまま見ておくと自分が意識をし続けてしまいボロを出してしまうかもしれないと察知したためだ。
こうして、食卓に姿を現した勇者は再び胸を包帯で巻いて隠してもいるし、少しゆとりのある部屋着も相まって女性と言われないと意識のしない凹凸の隠れた格好にて姿でやってきた。
昼間母親に見られた時もそうだが、そもそも出会ってずっと一緒に過ごした自分もついさっきまで気付かなかったくらいなので、普通に過ごせば気付かれることはないはずなのだが、正体が魅力的な女性と知ってしまった柊弥は客観的に勇者を見る事が出来なくなり、結果的に自分が一番意識してしまう状態となっていた。
**********
「トーマ君、ビールは飲めるのかね?」
選の抜かれたビール瓶とグラスを手に持ち、勇者へ促す父親。
以前飲ませた際は炭酸が受け付けない様な素振りを見せていたので得意ではないのだろうが折角の誘いを断るわけにはいかないと笑顔でグラスを受け取り、酌を受ける勇者。
「ありがとうございます。それでは私も」
自分のグラスへビールが注がれた後、同じようにビールを父親のグラスへ注ぎ返す勇者。
教えたわけでもないのにこの世界のマナーに即座に順応する勇者の姿にただ関心を覚える柊弥。相手への気遣いに長けているからこそ成せる技なんだろう。
「ああ、これはすまないね。気が利く良い青年だ。柊弥も見習ってほしいくらいだな。」
お酌を受けながら自分の皮肉を言われつまらなそうな表情を見せる柊弥。
別に身内なんだから良いだろと思いつつも、青年という言葉に勇者を男と思っている父親の言葉には内心ホッとする。
「いえ、柊弥にはいつも気を遣ってもらい、とても良くしてもらっています。
私なんて柊弥に比べればまだまだです。」
すかさずフォローを入れてくれる勇者。
本当になんてできた人間なんだろうと感動すら覚える柊弥。
「そうか。あの柊弥がな。にわかには信じられんが。。」
あまり信用してなさそうに表情も変えず父親は返事する。
今まで碌に褒めてもらえたことも無いので父親から低い評価をされている事には慣れているが、だからと言って面白いわけでは無いので適当に聞き流しながら、無表情で食事に集中しようと料理を口に運ぶ柊弥。
「ところで、トーマ君は何の仕事をしているんだね?」
父親からの問いに柊弥は思わず箸が止まる。
しまった、この質問は想定内なはずなのに答えを用意していなかった。
焦りを見せながら早急に答えを探す柊弥。
「仕事?職業ですか…。」
答えに困っている勇者。昼間母親に勇者と名乗った際に自分以外に正体を明かすなと忠告をしていたので、答えられないといった様子だ。しかしこの沈黙も良くない。徐々に顔がしかめっ面になっていく父親を見ながら、柊弥は必死に答えを探し続けた。
「まさかとは思うが、無職…ではないだろうな?」
仕事人間である父親にとって無職はこの世で一番許せない存在だった。
障害や病気を持っていて働けない等の事情がある場合は別だが、健康でしかも若い人間の無職は最も父親が嫌いな人種だ。
まさかこいつはその自分の最も嫌いな人間なのではないかと父親は疑いの目を勇者に向け続ける。
「ぶ、舞台俳優なんだよ!今はファンタジー物の劇をやっていて、勇者の役をやっているんだ!」
咄嗟に思いついた答えを口にする柊弥。
ファンタジー物に縁があるとさえ思わせれば今後もし何かの切欠で勇者がファンタジーワードを口にしても誤魔化せると考え、今後の保険も兼ねた回答であった。
急遽考えた答えとはいえ、我ながら筋が通っていると柊弥は内心自分を褒める。
「まあ!そういうことだったのね!そういえば昼も勇者とか何とか言ってたわね。
確かにトーマくんはお顔もキレイだし、舞台映えしそうな感じよね!」
単純な母親には効果があった。
柊弥はしめたと思い、すかさずフォローを続ける。
「そうなんだよ!だから髪も金髪にしててさ!ただ役に入り込み過ぎる時があるから、たまに変な事言っちゃうことがあるんだ。」
なんとか勢いで正当化を図る柊弥。
母親は完全に信じ切った様で、うんうんと頷く。父親はしばらく疑心な目を向けていたが、最後は渋々納得してくれた。
「まあ、そういうことなんだな。しかし舞台俳優とは、安定しない職業だな。
生活は問題ないのかね?
一難は去ったが、また一難とやってくる。
舞台俳優という設定でなんとか理解はしてくれた父親だが、今度はその職業に関して疑問を持ち始めたのだ。
「テレビや映画に出ている俳優ならば、一度で高収入を得る事が出来るだろうから多少仕事が安定しなくても生活は出来るだろうが、舞台は集客も乏しいので大した収入にはならんだろう?今は若いから何とかなるだろうが、将来もし有名にもなれなかったらどうするんだ?」
次々と持論を述べる父親。公務員として長年勤めている父親にとって安定とは何よりも正義なのである。安定した収入があるからこそ家族も養える。その為、収入が不安定な職業はそれだけで悪なのである。
柊弥もこの言葉と信念によって育てられたため、いつしか自分の夢も持てず、ただ会社員は安定しそうと理由で今の会社に勤める事になった。そして辞めるとその安定は崩壊する為、それを極度に恐れる様にもなった。だが、その結果として、社畜となりながらも我慢の日々を強いられることにもなった。
(勝手な事言いやがって…!)
勇者に対し、延々と説教を続ける父親に憤りを覚える柊弥。
嘘の職業ではあるが、自分を励まして、肯定して、同意してくれる勇者、自分に勇気を持たせてくれる友人にまでその自分の信念を押し付けている光景に、柊弥は徐々に怒りが噴き上げ、拳を震わせながら力を入れていく。
(もう限界だ!ぶん殴ってやる!)
意を決めて父親に殴りかかろうと拳を振り上げた矢先、その拳は強い力で押さえつけられる。
柊弥はすかさず自分の腕を掴んだ相手、勇者に目を向ける。
怒りに燃えている柊弥の目を見て、勇者は無言で、ただ優しく微笑みを見せた。
「まあまあ、お父さん。別に良いじゃない。舞台俳優だって立派な職業よ。
それにトーマくんは見た目が良いんだから、モデルとか、それこそ芸能人にだってなれるかもしれないわよ。」
そんな一触即発な空気にも臆さず、母親が口を開く。いや、母親からはこの空気を感じ取れている様子は伺えない。ただ思った事を言っただけだろう。
「…わしは彼の為を思って言っただけなんだが。まあ良い。折角来てくれたんだ。
料理が冷める前に食べなさい。」
いつもと違う柊弥の態度に一瞬驚きを見せた父親だったが、すぐさまいつもの仏頂面に戻り、食事を再開させる。
いつもは厄介でしかない母親の天然ぶりに助けられる形となりこの場は収まったが、柊弥の中での怒りは収まらず、結局この夜の食事は何も味が分からなかった。
********************
「すまなかったな。柊弥。」
自分の部屋のベッドで電気も点けず横になっている柊弥に、勇者は声を掛ける。
すっかり夜も更け、開けている窓からは風に揺れる林の音や、虫の鳴き声が聞こえる。
「…別に。トーマが悪いわけじゃないし。」
柊弥は顔を向けず、横になった状態のまま勇者に答える。
(そうだ。別にトーマが悪いわけでは無い。あんな場で空気の読めない事ばかり言う父親が悪いのだ。あんな父親だから、自分はいつまでも自信が持てず、やりたいことも見つからず、こんな辛い日々を送っているんだ。)
柊弥は未だに怒りが冷めやらず、頭の中で自分の父親を罵倒する。。
父親のせいで自分は不幸になってしまっていると、過去言われてきた父親からの言葉を思い出しながら、その都度怒りがこみ上げる。
「…いや。私が悪かった。この世界に来た時、柊弥から私の素性は隠すよう忠告を受けていたにも関わらず、明かしてしまった。柊弥の身内だったので、油断してしまっていた。」
「違う!トーマは何も悪い事はしていない!」
勇者が謝罪をすることに納得いかず、柊弥はベッドから勢いよく起き上がり勇者に向けて反論する。
被害者である勇者が謝罪をするのは間違っている。謝罪すべきは父親の方だ、と喉まで言葉が出かかっていた柊弥だが、寸前のところで言葉が詰まり、徐々に顔を俯ける。
(いや、悪いのは父親だけじゃない。俺もだ…)
初対面の人間に否定的な言動をする父親は確かに悪い。だが、それと同時に否定をされている友人に対して何も言い返せなかった自分に一番腹を立てていた。
父親から繰り出される言葉を鵜呑みにして生きてきたせいで、何も反論が出来なかった。
あの父親の言葉を否定するという事は、自分の今までの人生も否定する事になると思ったから。
そして最終的にはその父親に暴力を振るおうとさえしてしまった。
恐らく勇者に止められなければあのまま殴っていただろう。それでは何も解決しないのに。
自分が自分の意思で生きてさえいれば、きちんと言い返せていただろうに。所詮人の意思で生きてしまっている自分では、父親にあの場で何も説得力のある言葉を言い返せなかった。
その事実が悔しくて、ただただ悲しく、怒りという感情で今も自分に襲い掛かる。
「…柊弥はやはり優しい男だな。」
黙って俯いている柊弥を見ながら、勇者は優しく微笑む。
「…どこがだよ。優柔不断で、意思が無くて、度胸も無い。
男として最低の人間だよ。」
今は何を言われても自暴自棄な結論にしか至らない。
柊弥は正直今は話しかけて欲しくなかった。
「…少し話がしたい。風に当たらないか?」
ただ、それでも放っておけないという考えの勇者。柊弥と外で話がしたいと要望する。
正直言うと嫌だったが、勇者の真剣な表情を見て、嫌とは言いづらかったため、柊弥は渋々外へ出る事にした。
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