第6話 伝説の勇者と観光旅行

携帯からアラート音が部屋に鳴り響く。


柊弥は気だるそうに携帯に手を伸ばし、アラートを停止する。


時計を見ると午前5時半。平日はいつも仕事の為にこの時刻に起きる様設定している。


ただ、今日は仕事じゃない。




柊弥は社会人になって初めて清々しい朝を迎えた。




*****************






「柊弥。まだ出たらダメなのか?」




この世界に来て3日目。勇者トーマはこれまでになく落ち着かない様子を見せていた。


ついにこの部屋から出て、この現代世界を見る事が出来るのだ。一刻も早く飛び出したいのだろう。居ても立っても居られないといったところだ。




ただ、この日本人離れした人間を外に出すためには、それなりに準備が必要なのだ。


間違っても警察の世話になるわけにはいかない。その為、タンスの中身を引っ張り出し、なるべく地味な服をあてがう様模索していた。




男性にしては意外と小柄な部類である勇者。サイズ感が重要となるジャケット類は柊弥のサイズから考えれば大きくて合わないであろうから、ここは無難に無地のTシャツ、ジップパーカーに舌はデニムジーンズといったコーディネートで勇者に着せる事にした。


今の季節は5月。日々気温が夏に向け上昇している日柄なので、これでも寒いという事は無いだろう。






「うん、やっぱ少しサイズは大きいけど、良いんじゃないかな。」




「そうか?…なるほど、これがこの世界の服か。」




鏡で自分の姿を興味深く見つめる勇者。まんざらでもなさそうだ。




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「おぉ!これが外の世界か!太陽が気持ち良いな!柊弥!」




初の外出にテンションが急上昇する勇者。気持ちは分かるが声が大きすぎて喋るたびに道行く人が振り返ってこちらを見てくる。正直かなり恥ずかしい。




「さて、折角の外出だが、生憎私はこの周辺の地理が分からない。案内は任せても良いか?」




当初調査が目的と言っておきながら、すっかり観光気分である。まあ、行く当てがあるわけでも無いので構わないが。




まずは都市中心部に向けて電車で移動する。勇者は初めて見る電車に目を輝かせていた。


すぐさま中の満員具合を見るなりの苦笑いを浮かべていたが。


電車の中は静かにするのがマナーという忠告を事前にしておいたので、電車の移動中は静かにしてくれていた。単純に満員電車のプレッシャーを我慢するために精神を集中させていただけかもしれないが。




都心部に到着してからは、観光地を巡る。


浅草観光では寺に興味を持ち、秋葉原ではメイド姿をしている女性にどこの城の務めなのかを問い困惑させ、豊洲市場で海鮮に舌鼓を打ち、そして東京駅では城さながらな光景に自身が勤めている城を思い出していた。




「いやあ、この世界は賑やかで楽しいな!モンスターの気配も無い平和な様相だし、柊弥は良い国に住んでいるんだな!」




笑顔で観光を満喫してくれている勇者に柊弥も嬉しくなる。


ゲームの世界では魔王に脅かされた村や町を旅してきた苦労をしてきた勇者という事はプレイヤーである柊弥も熟知していた。だからこそ、この世界を堪能してほしかった。




ただ、楽しい時間というものは一瞬で過ぎていく。時刻は気付けば夕方を指していた。




「そろそろ帰りを考えないといけない時間だから、次の観光で最後かな。」




初の有給休暇もあと少しで終わりを告げる。


行く先々で満足してくれる勇者のおかげで楽しく過ごせていただけに、柊弥は寂しさを感じ始める。




「そうか。確かに日も落ち始めているな。まあ既に十分楽しめたのでまだ次がある事が嬉しいくらいだ。最後はどこに向かうんだ?」




勇者のこの前向きな姿勢には常に感心させられる。


帰ったらまた軟禁状態な生活が待ち受けているというのに、今を全力で楽しんでいるのだ。






最後はスカイツリーで東京全体の景色を見に行くことに決めていた。


高層からの壮大な展望に、勇者は感動のあまり声も出せないでその景色を見つめていた。




「…これはすごいな。本当にこの世界の人間の技術には感心させられる。今までも十分高い建物を見てきて驚いたが、それよりも高いこんな塔を作り上げ、更にはこんな景色を見る事が出来る様にするとは…。バストール山から見る形式も壮大だったが、ここはそれ以上だ。」




素直に感動する様を見せる勇者。


バストール山とは、ゲームの中でイベントで立ち寄る山の名前だ。


確か、そこに魔王の城まで運んでくれる不死鳥が住んでいたんだったか。




「あの~…」




景色を堪能している中、見知らぬ女性2人組が声をかけてくる。


見る限り、2人とも女子大生といった容姿だ。現在のトレンドを意識している様なメイクや服装をしており、顔もかなり可愛い。




「すみません、さっきから気になって見ていたんですけど…。この後、予定とかありますか?


 良かったら一緒に食事でもどうかなって…」




まさかの逆ナンである。ただ、その2人組の目線は柊弥ではなく、勇者に向けられている。




そうか。そう言えば常に一緒にいたのでいつの間にか意識から外れていたが、この勇者、中世的な顔立ちをしておりかなりの美形なのだ。思い返せば、勇者が通りがかる度に振り返って見ていた人は女性が多かった。あれは勇者が度々大声で話すので視線を集めていたのではなく、もしかすると勇者に見惚れていたのかもいれない。




「すまない。気持ちはありがたいのだが、今はこの友人と目一杯楽しみたいんだ。


 気持ちだけ受け取らせて頂くよ。」




そのあと連絡先を聞かれたりもしたが、丁重に断る勇者。まあ携帯も持ち合わせてないので交換しようが無いのだが。それよりも、期待はしていたが自分を優先してくれた勇者に柊弥は嬉しさで心が震えていた。本当に楽しんでくれていることを実感する事が出来たからだ。




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楽しかった観光も終わり、勇者と柊弥は家路に向かう。


晩飯も外食で済ませてきたため、すっかり夜も更けて時計の針は21時を回ろうとしていた。




「本当に楽しかった。ありがとう柊弥。何か恩返しが出来ればと思っていたのだが、結局また世話になることになってしまったな。」




歩きながら柊弥に感謝の意を述べる勇者。




「良いよ、気にしなくて。俺も楽しかったし。勇者ともっと仲良くなれた気がして良い一日だった。」




柊弥からの返答に笑顔で返す勇者。




「そう言えば、トーマは確かいっぱい魔法を使えたよね。今でも使えたりするの?」




柊弥はゲームの中での記憶を辿り、トーマの能力がこの世界でも使えるのかが気になり聞いてい見た。ゲームの世界での勇者は攻撃魔法、回復魔法、移動魔法と様々な魔法が使える万能タイプだった。




「そうだな…。試してみるか。」




勇者は右手を前に出した後掌を拡げ、詠唱を始めた。いや、待てよ。今俺たちが歩いている道は住宅街。もしここでとんでもない威力の魔法とか出したら騒ぎになるんじゃないだろうか。


一抹の不安を覚えた柊弥は自らの質問に後悔し、すぐさま訂正の意を告げようとする。




「いや、冗談だから!今しなくても」


「ファイアーボール!」




勇者が唱えた魔法は攻撃魔法ファイアーボール。文字通り火の塊を敵にぶつけてダメージを与える魔法だ。しかし、勇者の魔法は発動することなく、柊弥の心配も杞憂に終わった。




「ふむ、どうやら、この世界では使う事が出来ないみたいだな。」






何も起こらなかった事に安堵全身から息を吐く柊弥。


容姿端麗、武術に優れ鋭い洞察力で人を気遣う事が出来る完璧と思われたこの人間も、


思った事をすぐ行動に移してしまうこの安直さは考え物だな、と思わぬ弱点に気づいてしまった柊弥だった。

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