第5話 社畜の脱社畜化
夢を見ていた。
幼い頃の夢。
兄弟も無く、田舎で子供が少ないうえに人見知りだった俺は友達もろくに出来ず、
家の中で独りで遊んでいた。
誕生日に父親が買ってきてくれたRPGゲーム。初めての父親からのプレゼント。
結局プレゼントはその1回きりだったが、その時は嬉しくて、貰ったゲームを飽きもせず
毎日のようにやり続けていた。
そしてイベントをクリアする毎に食事の時間に報告し、母親は楽しそうに聞いてくれた。
父親は表情を変える事は無かったが、心なしか嬉しそうにしていた。
ストーリーを全てクリアしても、なおそのゲームで遊び、気づけばレベルも99の上限に達するまでに没頭していた。
そこで夢は終わり、目が覚めると俺は布団の中にいた。
「夢か…。こんな懐かしい夢を見るとはなあ」
恐らくこの夢を見た原因は俺の目の前にいる存在の影響だろう。
こちらは夢ではなく、実在しているが。
確か昨日は勇者の入浴を待ってから寝ようと食卓も兼ねたこたつ机で携帯を触ったまま寝てしまったはずだが、恐らくこの目の前の男が布団まで運んでくれたんだろう。
ゲームの中と変わらず、正義にあふれ、優しい人間だ。
勇者は旅の野宿さながら両手で鞘に納められた剣を抱いたまま、座った状態で眠りについていた。
*********************
柊弥はそのまま起床し、朝飯の支度をする。
トースターで食パンを焼き、フライパンで目玉焼きを作り、電気ケトルで沸かした湯をマグカップにインスタントコーヒーを入れて注ぐ。
社会人になってから毎日行っているルーティーンだ。今や手つきも慣れたものになっていた。
「今日も食事の世話になってしまってすまないな。」
勇者は何もしてやれてない事に申し訳なさを感じていた。
「いや、良いよ。元々毎日やってることだし。1人分も2人分も変わらないからさ。」
こたつ机の上にトーストと目玉焼きが乗った皿をそれぞれ並べながら笑顔で返す柊弥。
柊弥にとっては勇者が何もしていないとは微塵も思ってなく、昨日だけでも
その明るい性格で暗かった気持ちを少し晴らしてくれたので、むしろ感謝を覚えているくらいだった。日々変わらない社畜生活に苦痛を覚えていた柊弥にはまさに救世主の様な存在だ。
「一つ頼みがあるんだが、聞いてくれないか?」
勇者は真剣な表情で柊弥を見つめる。
「うん、どうした?」
「私も外に出てみたいんだ。折角この世界に来たので外の世界を見てみたい。
それに、もしかすると何か元の世界に戻れる切欠が見つかるかもしれない。」
気持ちは分からなくもない。異世界に来た上に、今までこの部屋に軟禁状態なのだ。
自分でも状況を確認したいし、なにより退屈だろう。ただ、その要求は残念ながら飲むことは出来ない。
「悪いけど、それは難しいな。この世界にはこの世界のルールがあるから、トーマが一人で外に出るのは危険だよ。」
そう、勇者にはまず国籍が無いのだ。言ってしまえばこの現状は密入国者である。警察に職務質問されようものならまず大事になる。更に、この勇者は中世的な容姿に加え、清廉な姿勢でどこか他の人とは違うオーラを発している。つまり目立ってしまうのだ。それは寧ろ良い事でしかないのだが、この状況においては職務質問される可能性が高くなる為仇にもなっている。
「…そうか。柊弥がそう言うのであれば仕方ないな。それでは今日も待機しておくとしよう。」
本音を言えば、外に出してあげたかった。外の世界を見て昨日の様に驚き、喜んでもらいたかった。柊弥も一緒に外に出れば危険を避けて案内する事が出来る為、一緒に出てやりたいが、今日はまだ火曜日。休日の土曜日まであと今日も含め4日間もある。社畜である柊弥には叶えてやれない望みだった。
「それはさておき、柊弥は何か怖いものがあるのか?」
「え?」
突然の問いに面食らう柊弥。
「昨日帰ってきた時、並々ならぬ疲労を感じた。あれは私が魔王軍を倒すと目標を持って戦っていた時の疲労とは違う。どちらかと言えば魔王軍に怯えていた村人の疲労に近かった。だから、何か恐怖を感じている事があるのではないかと思ってな。」
図星を突かれて柊弥はたじろぐ。この勇者は腕力のみならず、洞察力にも優れている様だ。
「もしそうならば、その恐怖を打ち払う為、私も何か力になれれば良いのだが。」
そしてその優れた洞察力を悪用せず、人の為に使う。伝説の勇者と評されるだけある。
あまりの尊さに心を震わせられた。
「…ありがとう。でも、大丈夫だよ。俺の問題だから。それじゃ、行ってくる。」
「そうか。勇気を出せば解決することもある。いかなる時も勇気を持て。柊弥。」
これ以上激励されると涙が出そうになるので、足早に柊弥は玄関の扉を開け、家を出た。
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(勇気を持て、かあ。)
勤め先に向かう電車の中で柊弥は考える。車内は同じく通勤する者や、通学する者で溢れている。とても集中できる環境では無いのだが、日常茶飯事である柊弥には問題は無かった。
(まだ1日しか経っていないのに、既に心打たれてる。あの存在感は凄いなあ。)
早くも勇者の立ち振る舞いに感銘を受けている柊弥。
(そういえば、外に出たいって言ってたな。何とか叶えてやりたいけど…)
自分を鼓舞、激励してくれる勇者に感謝の意を込めて何とか叶えてやりたいと考える柊弥。
週末まではあと4日。待ってもらうにしても、そもそも突然現れたので、何が起こるか分からない。その間に突然元の世界に戻るかもしれないし、別の場所へ移る可能性もある。
それに、もし4日後にまだいたとしても、今回の発端はあのゲームが関係している可能性が高い為、今回の週末は実家に調べに行く必要がある。
(いたとしても、ずっと家にいても退屈だし、やっぱりそれまでに出してやりたいな。)
今日も部屋で隔離となる勇者の心情を察する。自分が有給休暇を取ってさえしまえばこんな事を考えずに済むのだが、柊弥の会社は過去誰一人として有給休暇を取得してこなかった闇の歴史がある。取りたいと申請した暁にはどんな仕打ちが待っているのか。社畜となってしまっている柊弥には極めて難しい問題だった。
(トーマなら、そんなの関係なしにはっきり主張するんだろうけどなあ。)
有給休暇は社員に与えられた権利である。本来は取れないという環境が問題なのだが、社畜で溢れたブラック企業においてはそんな常識は通用せず、取ったとしても陰口を叩かれるのではないかと恐れ、誰も取れない。言わせない環境を構築しているのだ。
だが、あの勇者であれば正しい事であるならば気にせずはっきりと物言いするんだろう。
(俺にも、出来るだろうか。)
今までなら絶対に何があってもこんな考えは持たなかっただろう。
ただ、勇者の姿を思い出すと、不思議と自分にも出来るのではないかと勇気が湧いてくる。
(別に死ぬわけじゃないんだ。よし、やってやろう!)
覚悟を決めた柊弥は、目的地の駅に到着した電車から下車をし、会社に足を進めた。
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「え?明日有給休暇取りたい?やけに急だね~。というか、そんなこと言う人初めて聞いたよ」
業務開始の朝礼を終えた直後、柊弥は上司である山中へ有給休暇の申請願いを出した。
時間をおけばおくほど決心が鈍る。善は急げだ。
希望日は明日の水曜日で申請した。別に明日でなくても良いのだが、時間をおくとその間に断れない仕事が入ってしまう可能性も否めない為、敢えて直前を選択した。
「はい。身内の具合が悪くなったので、看病をしなければならないんです。」
続けて適当な理由で正当化を図る。
身内の面倒を見るという点は、あながち間違ってはいないか。
「…ふ~ん。まあ、いいよ。明日ね。仕事残さないようにね。」
予想だにしないあっさりとした了承に、柊弥は思わず面食らってしまう。
(え?これで取れるの?)
確実に難癖つけられると思い、言われるであろう言葉を10パターン以上シミュレートし、それぞれに対しての回答まで用意していたのだが、とんだ気苦労に終わった。
初めての有給休暇取得者の誕生に、周りの社員もざわつき始めた。
何はともあれ、社畜であった柊弥は初めて会社に交渉し、成功を収めた事に
今までにない達成感を感じた。
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