第3話 社畜社員の日常

「この案件なんだけどさ、君の意見を聞きたいんだが、どう考える?」




とあるビル内の一室にある事務所フロア。40代半ばといった容姿の中年男性が話しかける。




「あ~、そうですね…。競合もいる案件なので、価格重視の提案が良いとは思いますが、


 詳細が分からないのではっきりとは答えられません。すみません。」




柊弥は言葉を選びながら、なるべく言い切らない様に、且つ正解に近い回答をする。




「何だ、その煮え切らない回答は。社会人なんだからもっと責任もった回答をしないと


 顧客からの信頼は得られないぞ。まあ良い。君の意見は分かったよ。」




一言残して自分の席に戻っていく姿を見て、柊弥は内心安堵の表情を浮かべる。


その男の名は山中孝治。柊弥の上司にあたる人物なのだが、常に人のせいにして保身を優先する何一つ尊敬の出来ない人間だ。その無責任ぶりは社内でも有名で、失敗の可能性がある案件に


おいては必ず他人から意見を言わせ、いざ失敗すればその意見を述べた人間の責任にする悪魔な立ち振る舞いは誰しもが知っていた。実際にそれで責任を負わされ会社を去っていった人間はかなりの数を占めているのだが、本人は上層部に取り入る事に長けている為評価をされており、毎回お咎め無しという理不尽な光景はもはや日常だ。




終いには失敗すれば他人の責任だが、成功した場合は自分の手柄にする為出世も早く、柊弥の入社時には既に管理職に就任していた。ただ柊弥にとってはこの会社が初めての会社であった事からこの最低上司の振る舞いが通常で、我慢するしかないと錯覚をしてしまっていた。




唯一の対処法としては意見を聞かれた時にはなるべく逃げ道を作りながら回答する。


憶測ですが…とか、はっきりとは分かりませんが…とかだ。これでも曖昧な回答をするなと


怒られはするのだが、柊弥は社内でも業務に対して従順にこなしていたことからまだ許される確率は高かった。




こんな夢も希望も無い会社で俺は死ぬまで働かなければならないんだろうか…と気を抜けば絶望


してしまう環境だ。実は何度か逃げ出すためにフリーランスを目指してプログラミングの勉強をしてみたり、投資で一攫千金を狙ってみたりと試行錯誤した事はあったのだが、どれも上手くはいかず、諦めてしまった。結局この会社でやり過ごすしかないという結論に至り、何とか思考停止をしてロボットの様に働くことでこの最悪な日々を乗り切っていた。








「はぁ~…」




午前の業務も終わり、昼休憩の時間帯。


柊弥はビルの屋上に備え付けられたベンチに腰掛けながら、缶コーヒーを片手に大きく溜息を吐く。


何とか今日も午前を乗り切れたという安堵と、この先はどうなるのかという恐怖、そして、


今日は帰ったとしてもまた違う悩みが残っているという疲れ。様々なマイナスの感情がこもった溜息だ。




「よう、お疲れさん。」




柊弥の座っているベンチの隣に1人の若手男性が腰掛けながら話しかける。




「ああ、お疲れ。」




彼の名は山田。柊弥と同期で入社した社員で、このブラック体質な会社で共に苦汁を味わい続けている。年齢も同じということもあり唯一とも言える柊弥が愚痴を吐ける人物だ。




「今日もカメレオンからの見事な逃亡、御見それしました!」




笑いながら山田は手に持ったコーヒーを口にする。


カメレオンとは、今朝の最低上司、山中孝治の事である。状況に応じてコロコロと意見を変えるその様がまるでカメレオンに似ているので、2人の間では比喩としてそう呼んでいる。




「でも、いつ捕まるかは分からないよ…。その時はどうしようかな…」




柊弥はいつか来るかもしれない絶望の未来に怯えていた。




「その時はさ、バッと言いたいこと言って辞めちまうのもアリかもしんねえぜ?」




曇りない表情で言い切る山田。山田はこのカメレオンのターゲットにはされていない。


1つは部署が違うからという理由と、もう1つは山田は思った事をはっきり言える人間で、


そのシンプルで快活な性格が上層部にも評価され、将来を有望視されているため、カメレオンも上層部の怒りを買う可能性がある以上、うかつに手出しが出来ないのだ。




何度かカメレオンからの粘着的な説教から救ってくれた事もある。


同僚だが、とても頼りになる存在だ。柊弥がこの会社で我慢できているのは、この山田の存在も大きい。




「そうだよな~…。でも辞めたところで何をすれば良いのやら…。」




「まあ、その時はその時だって!大丈夫、もし何かあれば俺も助けるからさ!」




「…ありがとう。」




山田のこのポジティブさに救われ、頑張れそうな気持ちになれた。










昼からの仕事も変わらず上司の攻撃に備えながら、業務をこなす。


どのタイミングで仕掛けられるかが予億不能な為、柊弥の部署の社員は全員常に身構えており、悪い意味で緊張感漂う空気となっていた。




営業職なので以前は無理やりでも顧客にアポイントを取り極力外出するという手段も取れていたのだが、近年デジタル化が加速し顧客は在宅勤務が増加したこともあり、訪問面談を断られweb会議ツールでの商談が主流となりつつあったため外出の機会がめっきり減少した。




その結果、この会社では以前よりも更に空気が悪い事務所が完成してしまっていた。


そもそも顧客が在宅勤務をしているのでこの会社も在宅勤務をしても何も問題はないはずなのだが、それをすると管理職様の仕事が無くなってしまうので、まず実現はあり得ないだろう。


惚れ惚れするくらいのブラック企業だ。




柊弥は考えれば考える程悪い部分が見えてしまうこの会社に苦笑いを浮かべながら、業務に取り組んだ。

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