第6話 泉

 その場所は、切り立った岩を登り、またしばらく林を通り過ぎたところにあった。

 ふと目のまえが開ける。

 水面が広がる。水は波立ち、月の明かりが水面に金の粉のようになっておどっている。

 岩肌はしっとりと濡れていた。月の光が、白く、ところどころかすかに色づいて照っている。

 水は澄んでいた。月の明かりで底まで見通せる。

 水面も揺れ続け、水底の砂も同じようにおどり続けている。

 泉だ。

 水がこの池の底のあちらこちらから湧き出しているらしい。

 メアリーは、泉の池の向こう側に膝をついていた。その後ろにはさらに切り立った岩がそびえている。

 メアリーは胸にかけていた何かを持ち上げた。その表面があやしく光る。

 だが、それは普通のびんだった。歳上の女中たちはいつもこんな酒瓶で酒を飲んでいる。

 酒瓶にしてはだいぶ小さいけれど。

 それに、メアリーの持っている瓶は、蓋が違っていた。蓋もガラスでできているのだろうか。メアリーが軽く頭を下げて蓋を開けると、その蓋は月の明かりでちらちらときらめいた。

 その蓋のほうを大事そうに持って、その手を、右に振ったり、左に振ったり、顔を天に向けたり、地面にひれ伏したりしている。

 十字を切っているのとは違うようだ。

 異教の儀式?

 魔女?

 メアリーは、その瓶を泉の水に浸している。水を瓶に汲んでいるらしい。

 魔女……。

 そんなものが、この十九世紀のこの国に、生き残っていたんだ。

 しかも、いなかの村の片隅の小屋に、ではない。

 堂々たる紳士のお屋敷の、それもお嬢様のお相手役として。

 ブリジッドのおなかの底から大きな黒いものが湧き上がってきた。

 泡のようだけれど、泡よりはずっと重い。

 それが胸のところまで来て、胸から両腕へ、反射して脚へと散って行く。

 ブリジッドの腕と脚、それに体の周囲に、あの黒いぜんまいが何重にもよみがえってきた。くるくると回り始める。

 ゆっくりと回る。ゆっくりだが、その勢いは止まらない。

 気が遠くなる。力が抜ける。

 でも、力の入らない体に力をこめて、がまんして泉の横の岩の上に立ち上がったとき、迷いは消えていた。

 向かい岸でまだしゃがんだままのメアリーを見下ろす。

 脚を肩幅に開いて立ち、両手を横に拡げて。

 さて、何をしようか?

 いじわるメアリーがふと顔を上げた。

 ぽかん、と、ブリジッドを見る。

 「どうして……あんたがここに……」

 掠れた声で言うのがせいいっぱいのようだ。

 ブリジッドは唇を閉じたまま笑うと、メアリーに向かって襲いかかった。

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