第4話 遠い林

 メアリーは果樹園にも行かないようだ。牧草地の見張り小屋らしい小屋があるので、そこに入るのだろうか? それとも、まさか、厩舎とか家畜小屋とか……?

 もっと身分の低い女中なら、そういうところもい引きに使うだろうけれど。

 ところが、メアリーはそういう小屋にも脇目も振らないで素通りする。

 荘園を流れる小川に沿う道をさかのぼっている。

 足もとはあまりよくない。小川の水がにじんでくるのか、ところどころぬかるんでいる。

 けれども、ブリジッドが育った田舎町ではこれぐらいはあたりまえだった。泥に足を取られないように、でも、突き出た石を踏みつけて痛い思いをしないように、そして足どりが遅くならないように、道を進んで行く。

 その見張り小屋の一つを通り過ぎたところで、ふとブリジッドは奇妙な感じにとらわれた。

 何もない野原を、二人の少女が走って行く。

 逃げるのはいじわるメアリー、追うのは自分、このアン・ブリジッドだ。

 さえぎるものは何もない。丘もない、木もない、小川もない。地面はどこまでも平らで、草すら生えていない。

 石のようにごつごつした地面でも、砂や土や泥でもない。とても走りやすい、硬くて明るい地面だ。

 空からは月は照っていない。でも地面は明るい。地面はまばゆいほどに明るい。

 そうだ。

 いま走っている場所が月なのだ。

 学校にはほんの十日ほど行っただけでやめてしまったブリジッドだけれど、月というのは、空に浮かんだ、この大地と同じような地面を持つ天体だということはきいて知っていた。

 その月を走っている感覚で、ブリジッドはメアリーを追って行く。

 もうどれだけ来たかわからない。あの女中部屋ははるかに遠い。水車小屋さえもう見えなくなった。

 「水車小屋のところで曲がった、川沿いの道」ということを覚えていなければ、ブリジッドは女中部屋まで帰れず、このだだっ広いウィンターローズ荘のなかで迷子になってしまうだろう。

 せきを流れるひときわ高い水の音で、ブリジッドはわれに返った。

 メアリーは変わらず早足で歩いて行く。

 荘園の小川は急流になり、道は上り坂になる。

 小川は牧草地から離れて、林のなかに入っていくようだ。いじわるメアリーもその林のなかに入る。

 逢い引きの場所はこの林か……?

 お屋敷に近い林ではなく、果樹園でもなく、こんな遠いところまで来るなんて、やっぱりお嬢様のお相手役だから用心しているのか。

 それとも、相手に巧みなことばで誘い出されたのか。

 そして、メアリーはここで痛い目を見る……?

 助けを求めても、だれも助けてくれない。

 そして、きっと、何日も経ってから変わり果てた姿で見つかる。

 同情はしてもらえない。お嬢様のお相手役女中のくせに、と、みんなに言われる。そしてあの妹のお上品アンもみんなに軽蔑されるのだ。

 ブリジッドはメアリーを追って林に入る。

 もし月が照っていなかったら、これでブリジッドはメアリーを見失ったかも知れない。

 でも林はまばらだった。ましてまだ芽ぐみの季節まで間があった。木々を通して漏れる月の明かりがメアリーの後ろ姿をちらちらと照らしている。

 そういえば、自分も寒いかっこうをしているけれど、あのメアリーも上着を着ていない。

 寒いのは、自分は子どものころから慣れている。でも、あのメアリーは……?

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