第21話 モンシア・ベルモントの酒宿
「チャールズ・ハンガー氏はご在宅ですか?」
またこのセリフだ。エステルは溜息を吐いて頭を抱えた。
この廃業した酒場に毎日客が訪れるようになった。
最初は不在を理由に追い返していたが、二日目以降はシャルが帰宅するまで待つと言い張って居座る連中まで出てくる次第だ。ただ居座られるだけでは迷惑なので、待っている間に有料で飲み物や食事、果ては酒や酒の肴、宿泊する部屋まで貸す羽目になった。そうすると昔馴染みやいつぞやここを訪れたことのある客が、営業を再開したという噂を聞いてやってくる始末だ。
別に営業を再開した訳ではないが、そんな懐かしい知り合いをただ追い返す訳にもいかず。彼らをもてなしている内に、シャルが買い付けた毛布や布団を運んできた行商人が目ざとく足りない食材の仕入れを申し出て来た。完全に営業再開の体を為して来た。
「ご注文を繰り返します」
自作の侍女服にエプロンを着けた可愛らしい美少女、アデルは花も恥じらう笑みで接客をしている。
貴族のご落胤とも噂されている訳有りの幼い少女が、場末の酒宿で健気に働いているのだ。それが評判にならないハズは無く、すでに彼女は看板娘として常連の大人たちからチヤホヤともてはやされている。
本人はただ家事の手伝いをしているつもりだったらしいが、チップを貰うことで金銭を稼ぐことにやり甲斐を覚えたようで、今日も勤労に励んで今では完全にウェイトレスとして働いている。持ち前の利発さと記憶力を発揮し、その見た目も相まって大活躍している。
シャル同様に体内魔力、オドに恵まれてるようで子供にしては外見以上に体力も筋力もあるようで、朝から夕方まで平気な顔で働いている。身体を動かすことが好い気分転換になったのかシャルが出て言って以来、元気がなく注意散漫な失敗ばかりだったが完全に調子を取り戻してシャルの帰りを今日か明日かと待っていた。
「ただいま」
ドアチャイムを鳴らして入ってくるのはステラだ。
「お帰りなさい」
寂しさを埋めるためか、ステラを出迎えるアデルはシャルにそうしていたようにハグを求める。ステラはそれに応えて彼女を抱きしめた。
それがアデルの国の習慣なのか、毎日の儀式のように家を出入りする際に毎回これを行うのだ。ステラの帰宅する時刻には酔客も多く、女性二人が抱き合う様子をはやし立てる下種な男もいるが、そんな人目を気にせずアデルはシャルの代わりにステラに熱烈なハグを交わす。
「今日もお熱いことだねぇ」
カウンター席で一人飲んだくれている女がこちらを見ている。
エールの入った木製のジョッキを傾ける常連の女だ。このエリンの町では見かけない黒い肌の魔術師だ。
この寒い季節にノースリーブに大胆に胸元を強調した華美なローブの裾には何本もスリットが入っている。脚を組み替えたら生足の脚線美が見え隠れする。
シュツル・レン・イブサーチャと言うシャルの帰宅を待ち伏せている新顔の常連客だ。シャルがテンタクルワームズと討伐したと言う一報が、エリンの町で広がった翌日、つまり失踪から二日目の日からこの酒宿にやって来て居座り始めた客だ。廃業した酒宿が営業再開状態になった原因でもある。
「で?件のチャールズ・ハンガー氏は今日も帰って来ないのかい?」
「ああ、どこに居るかもわからない。貴様もそろそろ諦めて帰ったらどうだ」
「アハハ!冗談、何度も言っただろう。ボクは彼に会うまで帰らないって、冒険者っていう連中は本当に物覚えが悪いねぇ。嗚呼、つまらない」
昼間から飲酒をする退廃的で自堕落な酔っ払い女。それがシュツルの第一印象だ。そしてそれは今日まで変わらない。他人の神経を逆なでして楽しんでいる下種だ。犯罪者でこそないが悪人だ。半魔族の奴隷の少女を連れ歩いていることからも、倫理観が常軌を逸している人物だという事は誰にでも分かる。
シュツルは彼女たちに興味を無くしたようでカウンターに向き直った。その近くのテーブル席には半魔族の奴隷の少女、オクタヴィアがいる。
頭から一対の巨大な山羊の様な角が肩甲骨の辺りまで延び、骨盤と腰椎の間からもう一つの脊髄が生えたように尻尾が生えている。
服から露出す肌は顎下から喉元まで蛇腹のようで脊椎を守るようにうなじは鱗でおおわれている。舌は長く伸び、手の爪と前歯と犬歯は鋭く尖っている。それだけの人外の特徴を持ちながらも、人間の肉体からそう逸脱した姿では無い。
魔族の特徴として、角や尾、羽、尖った耳や瓜や歯、鱗や柔毛等人外の特徴を持つ物は珍しくない。しかし、彼女オクタヴィア程その特徴が大きく目立つ物は非常に稀だ。
そんな彼女の姿を見ると多くの人間は魔族が出たと驚き恐怖し当然、オクタヴィアが町に入った初日に繁華街で自警団相手に大立廻りをして騒ぎになった。町中を出歩くだけで一々、騒ぎを起こす訳にもいかずこの店に入り浸ることになった。
今は背もたれのない椅子に座って大人しく食事を取っている。一日の内に八食を平らげている。テーブルには嫌いなのか食べ残したブロッコリーが一山築かれていた。
「オクタヴィアちゃん、好き嫌いはダメよ」
大人でも近づくことに抵抗を覚えるオクタヴィアに相手に、何の気後れもなくアデルは話しかける。
「あー」
オクタヴィアは言葉が喋れないようで、抗議の声を上げてブロッコリーの乗った皿をアデルに突き返す。
「仕方ない子ね」
そう言って皿に盛られたブロッコリーを一飲みにしてモグモグと咀嚼している。勿体ないとは言え、客の残飯を食べるなんてはしたないとアデルを他の舐めようとするステラは、次の瞬間に驚愕しることになる。
「うっぐ!!??ウー、ゔ~!!ゔ~!!ぐぼ・・・・・・ごっくん」
アデルはテーブルの上に膝を付いて登り、オクタヴィアの角を掴むと。口移しで咀嚼したブロッコリーを無理矢理喉奥へ流し込み食べさせた。その異常な行動に不意を衝かれたオクタヴィア当人は目を白黒させて驚きながらも、味覚の暴力とアデルの暴虐に抗おうとする。しかし、相手が触れれば壊れてしまいそうなか弱い少女を傷付けることへの抵抗と、そんな姿の子供のどこにそんな腕力があるのかという油断の所為で、結局何も出来ずにされるがままになってします。
「はい、これで御馳走様でした。好き嫌いがあるなら、注文の時に教えてね。ちゃんと食べ終わらないと、次の注文は渡せないから」
「アデル!何をやっているんだ!お前は!?」
「?」
可愛らしい顔で小首を傾げても、誤魔化しきれない異様さがそこにはあった。
「お客様にお店のルールを守って貰っただけだけど、何か問題があるのかしら?」
「大問題だ!接客以前にな!はしたない、じゃなくて、ふっ不潔だ!それは不潔過ぎるぞ、アデル、どこの蛮族の風習だ!」
シュツルは感情的になって言葉につまるステラから、説明役を引き継ぐように喋り出す。
「口移し、キスフィーディング、フードキスと言うのは、大昔には一般的に行われていた風習だがね。離乳時期の赤ん坊や消化能力の衰えた老人の介護などでよく行われていた」
廻りの雰囲気を気にせず、酒に酔っているとは思えない饒舌さでシュツルは講釈を広げる。
「しかしね、口移しによる摂食補助は歯周病や虫歯菌、ヘルペスなどの病気の感染原因になる。免疫の無い赤子や抵抗力の低下した老人に病気の原因を移すのはリスクが高い。時代を経て調理法の発達や食器類の普及によって、そんな衛生面な真似をする必要はなくなった。分かるかいお嬢ちゃん、君の行動は現代人の行動規範から著しく逸脱した問題行動だよ。飲食店なら一発アウトだよ」
「あら、こちらではそんなにダメなことだったのね。分かった。もうしないわ」
「ああ、もうしないでくれたならいいんだ。アデルはどこでこんな真似を覚えたんだ」
「シャルが昔、わたしが食べられない物がある時やってくれたの」
「あの変態!そんな破廉恥なマネを」
「アハハ!いいねぇ、面白い。早く会いたいなぁ」
「破廉恥なのはあなたも大概でしょう。初めてで野外露出で男を誘うなんて」
アデルはその外見年齢からは想像できない話題を振るう。ステラは一瞬で顔が真っ赤に染まり、また恥と弱みを晒されたことに背筋が凍った。
「ぶっハハハハハ!!!何だいソレ!お堅いふりして中身は飛んだ痴女じゃないかキミ、その話詳しく」
「止めてください!お嬢様、それは秘密にしてください」
猥談で盛り上がり始めた女子三人を無視して席を立つオクタヴィアは、嘔吐を我慢して店外へ出ていく。
外は暗闇が広がっている。穴を掘って出すモノを出して、口を濯ぐために水場へいくと、馬小屋の馬が怯えた。眠気を感じて欠伸をすると、馬たちは更に怯えだし嘶き騒ぎ出す。その様子を見て満足して店内へ帰っていく。
何故、あの少女は自分に怯えないのか。それが不思議でならなかった。むしろ、自分の姿をみて喜々として近づいて来た。こんな人間はシュツル以外では初めてだった。シャルと言う人間は、自分を見てどんな反応をするだろうか。
暗闇の中でどこか懐かしさを覚える匂いを感じた。
「あー」
思わずうめき声が出た。もう寝よう。物事を考えるのはイヤだ。人間に期待してしまうのは止めたはずだ。それでもこの町に着いてから、妙な胸騒ぎがする。ベッドに潜って何も考えないように微睡みに意識を任せることにした。
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