第17話 その後の関係
「取り合えず、シャルが無事で好かったけど。どうしてアイツは人に何も言わず自分ひとりで何でもやろうとするんだ!」
すっかり眼鏡と侍女服が定着したステラは憤懣を抱えて床のモップがけを行っている。
「そりゃアンタが頼りないからだろう。とは言え、散々心配かけた詫びくらいはして貰わないとね。帰ってきたらアデルはこんなんだし」
濯ぎ終えた食器類の水滴を拭き取りながら、エステルは孫娘の愚痴に指摘を返す。そしていつものように家事の手伝いをせずに、いまだにいつもの調子が戻らないアデルに目をやる。
そこには数時間前までとは違った意味で使い物にならない様子の少女の姿があった。 アデルはシャルが失踪した際には、憔悴しきって青褪めた顔で過呼吸までおこしていたが、今ではそんな様子は鳴りを潜めている。それどころか熱に浮かされた溜息まで吐いて、恍惚とした多幸感に包まれた恍惚とした表情で優雅に午後のお茶を嗜んでいる。
まるで幸せにふやけたようなしまりのない顔でアデルは言葉を吐いた。
「ねぇ、ステラ」
ティーカップをソーサーにおいてステラの方へ振り向きもせず、彼女は続ける。
「あなたがシャルの初めてを奪ったこと。わたしはやっぱり一生許せる気がしないの」
ステラはアデルの言葉に言い知れない恐怖を感じた。優し気な嫉妬や悋気を感じさせる声色ではない。嫌に慈愛に満ちた不気味ささえ感じさせる愛おし気な声だった。
「だからね、わたしが大人になった後も、あなたのことは愛人として飼ってあげる」
それは歪んだ支配欲と露わにしたような、当然のように他人を自分の思い通りにできると思っている傲慢な言葉だった。妙なカリスマはあっても、多少同年代の娘より頭の回転が速い娘でも、所詮は未だ幼い子供だと。大人と子供の御まま事の様な、つたない関係はお互いの立場が分かれば変わっていくだろうと。嫉妬から嫌がらせを受けても、アデルは大人しい気性の女の子だから、気が済むまで甘やかされていれば許されるのだと。都合よく解釈していた自分に気づく。機嫌が直ればまた年相応な子供と大人の関係になれると、思い込んでいた。
「だからシャルが今後浮気しない様に、これからもお世話をよろしくね」
「はい、お嬢様」
それは本当に自分の声だったか。すっかり染まっている。ステラをシャルがそう評していた。単純に彼女のご機嫌取りの侍女のごっこ遊びに、自分が成りきって付き合っていたことを指した言葉だと思っていた。しかし、今実際に、自分の意にそぐわない言葉を返している。これではまるでワタシはアデルの愛玩人形にされているようだった。
無意識に出てしまった返答に、ステラは自分自身で驚いていると。
「ステラ、アンタまで何を惚けているんだい。とっとと手を動かしな。埃ひとつ見逃すんじゃないよ」
「えっ!ああ、うん」
エステルに掃除をせかされ、考えることを止めてしまった。単なる妄想だ。ワタシはただ人に乗せられやすいだけだ。冒険者になるという夢を抱いたのも、祖父に付き合わされていたことが始まりだった。日常的に役割を演じている内に、それに順じた言動を取ってしまうのは珍しいことじゃない。現にシャルは人前ではアデルの従僕の自然と振舞っていた。二人の関係性を知った後も、家の中でもシャルはたまにアデルの事をお嬢様と呼ぶことがある。ステラは先ほど感じたことは単なる被害妄想だと、結論付けた。
お茶を飲み終わったアデルは、今度はエステルの洗い物の手伝いをし始める。シャルとアデルの間に何があったのかは知らないが、それでも普段の日常生活の光景が戻って来た。今はそれでいいと思えていた。
研究が暗礁に乗り上げ、流石に何日も部屋に引きこもっているのは身体に悪い。そう考えたパトリックは気分転換を兼ねて外出することにした。当然、美咲も付いていく。繁華街には屋台が出始め、夕飯を求める空腹の労働者たちが集まり出す。以前よりも人だかりが少なくなった夜の町だ。それでも変わらずの賑わいだった。子供の見た目をしているパトリックが以前のように肉串を大量に買い込んでも、誰も因縁をつけて来ることは無くなった。安全な町になったが、それが寂しくもあった。
「パトくん、好き嫌いしてお肉ばかりじゃ大きくなれないよ。ちゃんと野菜も食べて」
そう言って野菜の入った赤いスープをテーブルに置くのは美咲だ。その姿もトレードマークになっている背中の大太刀がない所為で、少し寂しい。チャールズ・ハンガーに貸し出した大太刀はまだ帰って来ない。女である美咲が武装という示威がなくとも、夜の町で襲われることもない。
「しかし、これで本当に治安が良くなったなどと言えるのか?」
パトリックは独り言を漏らさずにはいられなかった。
「あー、師匠が退院するまで大太刀がどこにあるか分からないからね。使い魔たちも戦いに巻き込まれてみんな死んじゃったし。明日はパトくんも一緒に森へ探しに行こうよ。たまにはピクニック気分で、大自然に囲まれるのもいい気分転換になるって絶対!」
連日何かに思い悩んでいる様子のパトリックを元気づけようと、美咲は努めて明るく振舞う。しかし、その提案を却下する声が聞こえてくる。
「いや、それには及ばないよ」
声の主は地黒の肌を持つ黒髪の美女だ。彼女もパトリックと同じトパーズの瞳を持ち、エルスト王国宮廷魔術師の一等級の位階の者しか着ることを許されないローブを大胆にアレンジして羽織っている。本来は儀礼用の正装だが、まるでその権威を貶めるようなカジュアルな恰好になっている。袖は無くなり、胸元は大胆にカットされウエストは体型に合わせて絞られ、裾には何本ものスリットが入っている。美咲はいつぞやの町長も似たような恰好をしていたなぁと感想をもったが、流石にそこまで下品ではない。下品ではないが。醸し出される女の色気が同程度なら、いやらしさはこちらの方が上だろう。
「こんばんは、パトリック、美咲。王都での会合以来だね」
シュツル・レン・イブサーチャは鷹揚な態度で彼らの座るテーブルに腰掛けた。食卓に尻を置かれたパトリックは怒りで眉を顰める。
気が付けば周りでザワザワト騒がしい人だかりが出来ていた。ひそひそと野次馬が言葉を囁き合い、その好奇の視線をこちらに集めていた。彼女が連れ歩いている悪趣味な奴隷の所為だ。首に隷属の首輪をつけているとは言え、一般人からして見れば魔族が天下の往来に現れること自体が珍しい。ましてやそれが巨大な角と尻尾を持つ異形とならば尚更人目を引く。
魔族は奴隷として使用人として使うことさえ許されていない。一見すると魔族にしか見えない彼女だが、その片親は人間だ。言うなれば半魔族だからという名目で、シュツルはこの魔族の少女を飼っている。実際のところ神殿からもそう許可を得て所有しているが、周囲の目から見れば堂々と魔族の奴隷を見せびらかす背教者だ。
「何しに来た」
「お久しぶりっス、シュルツさん、あとオクちゃんも」
「ああ、久しぶりだね。シュルツじゃなくてシュツルだよ、いい加減覚えてくれよ」
シュツルは名前の言い間違いに特に気を悪くしたそぶりも見せず、奴隷の少女が引き出した椅子に座りなおす。魔族の少女は名を呼んだ美咲に対して目礼をする。頭に禍々しい巨大な角が生えている所為で頭を下げたら、周りの者を傷つけてしまう恐れがあるからだ。そんな彼女たちの様子を見て、満足気な笑顔になったシュツルは話を切り出す。
「導師様は君が面白い研究を始めたと知って、助手としてボクをキミのために派遣したんだ。本来、キミに課せられた任務はドラゴンの捜索だ。本来果たすべき義務を放って、勝手に別の研究を始めるのは感心しないな」
「オレの研究成果を横取りする気か」
「いやいや、可愛い弟弟子にそんな気を起こしたりはしないさ。まぁ、研究に協力するからには論文を発表する時には、共同研究者として名を連ねて置いて欲しいけどね」
「なら何が目的だ。師からの命令だけでお前の様な享楽主義者が、わざわざこんな田舎に出張ってくるとは思えん」
「ボクもそんなつもりはなかったのだけどね。キミの報告書には色々と興味をそそられる内容があったからさ。道中にまさにその興味深い代物を見つけてね、オクタヴィア」
名前を呼ばれた人外の女はテーブルに一丁の銃を置いた。それはパトリックには見覚えのない形の銃だった。
「あ!師匠が持ってた銃だ」
美咲はその散弾銃に見覚えがある。それが誰の者かも知っていた。
「師匠?キミの師匠がこの世界に来ているのか」
「師匠違いです。今の師匠は心の師匠のことじゃなくて、押し掛け師匠といいますか、この町で知り合った人ですよ。パトくんが報告書にも書いたチャールズ・ハンガーさんです」
「ふぅん、やっぱりねぇ。面白い事になって来た」
「それでその銃が何だと言うんだ?コレがお前の言う興味深い物だと」
「ああ、見て気が付かないかい?この銃は我々の持つ技術で作られた代物ではないよ」
「そう言えば、散弾銃ってこの国の人たちはあんまり使ってなかったっスね」
「これは後装填式で連発可能な銃だ。しかもそんな物を魔物退治で実戦投入できるレベルの完成度で実用化できている。こんな物を作れる工業技術はウチの国には無い。これはウチの王国だけではなく、神殿勢力や他の諸国を巻き込んだ大問題に発展するぞ。その異邦人のチャールズ・ハンガーと言う人物、冒険王モンシア・ベルモントが辿り着いた異国でとった最後の弟子だとも聞いている。是非とも彼からその国の詳細を知りたい。その彼が仕えているというご令嬢についてもね」
「勝手にしろ!オレは知らん」
パトリックは目の前に対処しきれない程の問題が山積みになったと頭を抱えながら、焼け食いを始めた。美咲は魔法や魔術が存在するこの世界で、その銃の存在が何故諸国を巻き込むほどの大問題を引き起こすのかが理解できずオクタヴィアに目をやる。
するとオクタヴィアは尻尾に巻き付けていた美咲の大太刀を寄こして来た。
「おお!ワタシの刀だ!ありがとうオクちゃん!これがないとやっぱりしまらないね!ていうか師匠もズルっこいなぁ。剣も銃も使えて、魔法陣まで書けるなんて。チートだよ」
「彼もキミと同じ異世界から来たなんてことは無いかい?この技術力だ。キミの居た世界は我々の文明よりもずっと銃等の技術力が高いのだろう」
「けどそうだとしたらかなり時代が違うと思いますよ。そんな古臭い鉄砲、映画の西部劇とか博物館とかでしか見たことないですもん。鉄砲の歴史は良く分かんないですけど、それは多分これはこっちの世界で作られた物だと思います」
「成る程、キミの目からはそう見えるのか。これは益々面白くなってきた!」
悪巧みをしている顔で嬉々として散弾銃をオクタヴィアに渡し、腕脚を組む。
「ところで何時になったらウェイターがくるのかな?」
「そんな店はここには無い。飯が欲しかったら自分で買いに行け!」
「何て不便な!?」
後ろに控えるヴィクトリアの顔を見るが、目と目が合いすぐに使い物にならないと見切りをつけた。溜息を吐いて自分で席を立ち、喧噪の中へ消えて行った。
オクタヴィアは蛇腹のような喉を爪で引っ掻きながら、アレは自分の食事を持ってくるのかどうか考えた。
「オクちゃん、お肉食べる?」
「コラ!それはオレが買った肉だ!」
目の前に差し出された肉串を、大口を開けて頬張った。前歯と犬歯は人間の物より鋭く尖っているが、歯並びは人間と同様だ。しかし、明らかに人間の顎の動きではない。一口で肉を丸吞みにし、長く伸びた舌で串を返す。串は唾液に濡れていた。
「うわぁ、ごめんそれは自分で捨ててね」
両手に持った散弾銃に残る匂いを嗅ぎ、懐かしい気分になった。その残り香がこの町のどこかに自分と同じ存在がいるのを感じさせていた。そう近い内に出会うことがあるのだろうか。どんな見た目でどんな味がするのか。その日が訪れるのがとても楽しみだった。
直にこの町では豊穣祭が催される。この町に潜む魔族たちはそのための準備に忙しなく動き待っていた。彼女たちは自分たちとは違いすぎる同胞を、受け入れられるかはまだ分からない。
入院場所は隠れ娼館の一室だった。以前、ステラが宿泊した部屋だ。この部屋は病室として使われているそうだ。娼婦が怪我や病気になった際に、ここで療養するらしい。エルパス・スミス医者も魔族であるため、半ばこの娼館に住み込みしているそうだ。
「来月には退院ですね」
「ようやくですか。それは良かった」
「ここまで早く病状が回復する患者はあなたが初めてですよ、見舞が一度も来なかった患者も初めてですかね」
「無断外泊して怒られている上に、許しを得る前に今回もまた無断外泊ですからね。家主と同居人が許してくれていないのだと思います。スミス先生、どうにかして女性のご機嫌を取る方法は無いでしょうか?このままでは退院してもまた入院するハメになりそうなんです」
シャルは意を決したように、エルパスへ自身の悩みを相談する。
「特にその、婚約者がいるのに家主とお孫さんと肉体関係を持ってしまったことがバレて以来、オレへの扱いが雑で。下手をしたらこのまま家から追い出されるかもしれません」
「あなたも難儀な女性関係を持っているようですね。患者が医者にする相談ではありませんよ」
「故郷でお医者様は女性との関係も、巧みだと教えられましてね」
「ただしそれは、若く有望なイケメンの医者に限ります。わたしの様な年寄りの醜男には過ぎた相談ですよ、まったく。若気の至りなら、誠心誠意謝罪して慰謝料でも渡したらどうです?」
「慰謝料?」
「精神的苦痛を伴った際に支払われるお金のことです。主に離婚の際にその原因を作った方が、相手に支払う物です。まぁ、配偶者でなくてとも手切れ金代わりにお金を払うこともありますよ」
「手切れ金ですか、今後も関係を続けたい場合はどうすればいいのでしょうか?」
「ふざけるのはその身体だけにして欲しい物ですね。そんなことしていたら婚約者に刺されますよ」
「肉体関係を持ってしまった家主のお孫さんが、オレの婚約者の使用人なんです。ついでに言うと恩師のお孫さんでもあります。世間的にはオレが彼女と恋人関係だと思われていて、気づけば外堀が埋められていって、もどうすればいいか。先生オレは」
「もう帰れ!お前!」
エルパスの堪忍袋の緒が切れた。
治療代は分割で支払う事になったが、無職になった。収入のあてが無くなったのに今抱えている問題には金銭が必要だと言う。正直、借金が出来たような身の上で多額の支出はしたくない。慰謝料、手切れ金、その代替物。
「金銭の代わりに物を送ればいいか。先生も真心のこもった贈り物なら誠意が伝わると言っていたし。手持ちの材料で適当な代物を作って渡すか」
この安易な考えでステラとシャルの関係は、ある意味決定的なものになる。この時はまだそんな事になるのは知る由もなく。手慰みに楓の木材をナイフで削り始めた。退院日は丁度、豊穣祭の開催日だ。
「アデルはいい子にしているかな」
シャルは他の女性へのプレゼントを作る間でさえ、最愛の人への想いを募らせていた。
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